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――オレがガキの頃は、周囲には『夢』があふれていた。
小さな地方の田舎町の片隅で、親父の少ない収入を補うために、お袋も働きに出てて、狭い部屋の中で一人、次々と移り変わる箱型テレビの画面を、不思議な気持ちで見つめていた。
すげえ…輝くような世界が、目の前には広がってて、皆幸せで、やりたいことやって、金持ちになって。
そんな、おとぎ話が『現実』のものだと――。
半ば、本気で信じていた。
今は…。
『夢』は、夢の中で、見るだけだ。
■
「寒…」
頬を掠める冬の風がわずらわしくて、オレは目を開けた。
目の前には、空。
何も遮るもののない朝焼けの空が、寒々しい色をして佇んでいる。
(…仕事)
今日の仕事を探さないと、ネカフェにも泊まれない。
屋外での野宿は、身体的にかなりきついが、食うための金を優先して、あえて外で寝た。
――寝られるもんじゃない。
寒いし、腹は減ってるし、なんだかんだで傍を通る物音にいちいち警戒して、全く眠った実感がない。
だるい身体を起こして、ぼりぼりと頭を掻く。
今日は――まともに飯を食えるだろうか。
最近、寝ても起きてもその言葉しか出てこない。
――地方の田舎町の片隅で、箱型テレビを見ていたガキの頃は、たかだか『十五年後』に、こんなことになってるなんて、想像もしていなかった。
別に贅沢できていたわけじゃない。
けれど、――ある時、親父が倒れて、すぐに死んで。後を追うようにお袋も病気で亡くなって。
…その頃、オレはちょうど高校生で、頼れる親戚もいなかったから、卒業してすぐ東京に出て、職を探そうとした。
――けれど、バブルがはじけた後の不況は、金も学歴も住所もコネもツテもない学生に、決して甘くはなかった。
気が付いたら、なけなしの貯金も、使い果たしていた。
アパートの家賃も、払えなかった。
外はキツかったから、ネカフェを点々として、何とか短期の仕事で食いつないでいった。
もう――五年になる。
ガキの頃見ていた『夢』なんて、そこには全然なかった。
あるのは、『現実』だけ…。
(そーいや)
薄暗い道は、仕事明けのホステスが、肩を落として歩いている。
何だかんだで、行き交う人間は絶えない。
皆が現実に疲れている。
(あんときのテレビ…)
うとうとしながら、慰みに思い出していたガキの頃の記憶の中に、ひとつ、拭い去れない光景がある。
夜の遅い親父とお袋を待つ間。
食い入るように見ていたテレビの中で。
さまざまな『夢』が通り過ぎていく中で、なぜか自分の鮮明に残っている、一つの記憶。
物語。
(確か…)
何て、名前だっただろうか。
教育系の番組だった…気がするのだが。
(じいさんの…)
――『じいさんのランプ』。
それは、海底に沈んでいた小石が、何かの拍子にふと海面に顔を出すような感じで、自然にわきあがってきた。
ランプ職人のじいさんが、時代に取り残されて、やけ起こす…そんな、やけに現実めいた話だった。
(まるで、オレだな)
流れていく人の波に残されて、たった一人――。
「………」
そのじいさんの物語がきっかけになったわけでも…なかったと思うのだが。
そのとき、自分の中にもう一つの情景が湧き上がってきた。
(そういや…)
じいさんつながりだったが、両親にろくに構ってもらえなかったガキのオレは、よくある人のところに遊びに行っていた。
――といっても、生来引っ込み思案のオレは、遠目に伺うのが、精一杯だったのだが。
その人の、家の場所も――名前すらも、覚えていない。
小柄で、笑顔の耐えない温和なおじさんだった気がする。
奥さんと二人で、店を切り盛りしていた。
手作りのガラス細工を、生活の糧としていたそのおじさんは、手持ち無沙汰から、遠くで店を覗き込んでいたオレを、店の中からにこにこと見つめていた。
その頃は、地方に遊びに来る観光客も多かったし、店は何かしら人が居た。
賑わいに取り残されて、ぽつんと離れて見つめるオレに、その人は一度だけ声を掛けてくれた。
坊主…ひとつ、どうだい?
そう、温かく言ってくれた言葉に、オレは素直に頷くことが出来なかった。
構って欲しかった本心を、探り当てられたような気恥ずかしさ。
そして、その一方で、デジタル化、機械化が進みつつあったあの頃、手作りの素朴なガラス細工は、時代遅れのものとして、オレの目には映っていた。
時代遅れの――そう、まるで、『じいさんのランプ』のじいさんが、時代に取り残されて、やり場をなくしていたように。
なのに、引き寄せられる素朴な魅力。
それは、自分が欲していた家族の温かさと、無関係ではなかったのかもしれない。
自分の中に沸き起こった様々な感情の葛藤の末に、そこにあったのは、一つの傲慢な結論だった。
だせーんだよ!
そう、投げつけて、オレは逃げ出した。
後で、自分の言葉を死ぬほど後悔したが、二度とあの場所には、近づけなかった。
■
「………」
ぶらぶらと歩きながら、オレは、なんとか仕事にありつくために、無料の情報誌をめくっていた。
けれど、目が素通りしていく。
『高給』。
『即払い』。
『正社員登用』。
そんな、魅力的な文字の全てが、空っぽの頭の表面を滑っていった。
気にかかるのは、あのじいさんのことばかりだった。
あの時、彼に投げつけた自分の言葉が、頭の中で、無性に自分自身を締め付けていた。
あのヒトにあんな偉そうなことを言ったオレは、今、ここで今日の食い扶持に困りながら、何をしているんだろう。
だせーとか、そんなの、あのヒトに言う権利なんて、なかった…。
「………」
ぐるぐる考え出すと、もう止まらなかった。
機械的に歩く体と裏腹に、頭は自分が何をしたいのか分からずに、あてなく無駄に考え続ける。
(………)
ケリを付けたい。
そう、感じた。
どうしようもなく、あの場所に戻りたかった。
戻って、もう一度あのヒトに会いたかった。
「………」
だが、今のオレには、金がない。
あの人の住んでいる場所もおぼろげだ。
まだ、あの人がそこにいるのかさえも分からない…。
けれど、やると決めた静かな意志は、決してあきらめる気を生み出さなかった。
やってやる。
東京に出てきてから、本当に久しぶりに、オレはそう感じた。
(やってやる…)
それからは、結構な苦労の連続だった。
元々食い扶持の確保にも困っていたところだったが、何とかまとまった金を作ろうと、食事を減らして極力外で寝た。
自分にここまでの衝動が眠っていたことに、自分が一番驚いた。やる気になれば――できるものだ、と。
そうして、無我夢中で何とか三万円を作ると、オレは鈍行列車に飛び乗った。
がたごと揺れながら、五年前に後にした、小さな田舎町を目指した…。
■
電車に揺られながら、空っぽのオレの中に、子供の頃の記憶が一つ一つ蘇っていく。
新幹線の、拷問的なスピードとは違う、懐かしい振動。
回りきってしまった時計のネジが、故郷に近づくに連れて、ゆっくりと戻っていくかのようだった。
そこには、霞みの向こう側にあったようにぼんやりとしていた、『じいさんのランプ』の記憶も、しっかりと根付いていた。
忘れたようで、意外と覚えているもんだ。
そう思いながら、オレは子供のときに嫌っていたあの物語の中へと、知らず知らずの内に、引き込まれていった…。
■
まだ、日本に電気がなかった時代。
夜になると、あたりは真っ暗になっちまって、とても外を歩けたもんじゃなかった。
けれど、外国の珍しいものが日本に持ち込まれはじめて、生活は次第に様変わりしていった。
その話の舞台だった田舎も、例外ではなかった。
中でも、人々を喜ばせたのが、『ランプ』という照明器具だ。
夜でも辺りを照らせる――しかも、ろうそくなんかより、ずっと明るい…。
そこで、ランプを作る職人が、皆から必要とされた。
職人は、皆のために、来る日も来る日もランプをつくった。
皆は、とても喜んだ。
夜が明るくなったと喜んだ。
その職人は、無口で、感情を面に出さない男だったが、皆が自分の技術を讃えてくれるのを知って、自身に誇りを感じていた。
しかし、状況は、一変する。
それから何十年か経った頃。
早すぎる文明化の波は、今度は『電気』をもたらした。
その村にも、『電気』の恩恵はやってきた。
電線が引かれ、人々はランプの何倍も明るい光に喜んだ。
そのころ、すでに老人となっていた職人は、自分の村に電気がやってくる日を――自らの役目が終わる日を知り、黙って仕事場を後にした。
村に『電気』がやって来たとき――人々は、喝采を上げた。
誰も、今まで自分たちにランプを作り続けた老人のことなど、気にも留めることはなかった。
その頃、一人老人は、自分のランプを川面に並べ、一つずつ灯を灯していった。
あたたかな、黄色の光が幾筋も水面に浮かんだ。
じいさんは、足元の小石を手に取り、自らのランプへ向かって、投げつけた。
ランプは壊れ、ともっていた灯も消えた。
老人は、黙々と石を投げ続けた。
小さな悲鳴を上げて壊れていくガラスは、かつて自分が作り出した人々の『笑顔』を、自らの手で壊していくことでもあった。
時代に取り残された闇の中、人々がランプを必要としなくなったその日、全ての灯が消えてしまうまで、老人は自らの手で、ランプを壊し続けたのだった…。
■
「あ…」
のどかな田舎の景色は、五年前と哀しいほどに変わっていなかった。
人に道を尋ね、自分の記憶を頼りながら、オレはじいさんの店にやって来た。
「………」
オレは、思わず立ち尽くした。
店は、まだあった。
けれど、人一人居ない――ほこりをかぶった看板に、しなびた木枠の扉。
そこに人が住んでいるのかどうかさえ、分からない。
こんなに、狭く暗く――今にも死んでしまいそうなたたずまいだっただろうか。
喘ぐしかないオレの前で、何かの物音がした。
随分と小さくなったじいさんが、あの頃と同じ――温和な笑みを浮かべて、とことことオレの前に現れた。
白髪が増えて、背も曲がった…。
じいさんは、ちょっと不思議そうな顔をした。
客が珍しいのだろうか。
「いらっしゃい…何か、いるんかい?」
「あ…いや…オレ…」
とっさに言葉が出てこない。
じいさんは、小首をかしげて待っている。
やっと、言った。
「昔…この辺に住んでて…、懐かしくなって、寄ったんですよ」
「そうかー」
じいさんは、ガラスの細工を見た。
店は暗く古びているのに、ガラスの置物は、艶やかに光を弾いていた。
手入れが行き届いているのだと感じた。
「あの…昔は…もっと…」
言葉を搾り出す。
なぜか、胸が締め付けられたように痛かった。
じいさんは、微かに笑った。
「昔は…観光客とかで、にぎわっとったんじゃけど…。最近は、ちーとも来やせん。年暮れなのに、あんたで、十人目」
「十人…」
声が、出なかった。
食べていけるはずのない数字だ。
どうして、じいさんは『ここ』に縛りついているのか。
この店で、たった一人で、どんな気持ちでガラスを磨いているのだろうか。
来るとも知れない客を待って、どんな気持ちで…。
分からなかった。
じいさんは、笑った。
「ばあさんが入院しとるけ、ここを離れるわけには、いかん。それにわし、ガラスが好きじゃけえの」
「………」
年に十人の客入りで、入院費など、どうやってまかなえるというんだろう。
年金だけで、補いきれるものじゃない。
店などの財産があれば、生活保護などうけられない。
けれど、じいさんはのほほんと笑っていた。
優しい――そして、凛とした、そんな顔だった。
「死ぬまで、職人をするよ。まあ、親戚が米を送ってくれとるけ、何とか食べていけるし。ばあさんも看取らんといけんけぇの」
「………」
「ほら、坊主。これ、もって行き」
「え…」
坊主、と呼ばれて、心臓がはねた。
あの頃のオレが、戻ってきたようだった。
けれど、今度は逃げずにオレはじいさんに向き合っていた。
じいさんは、しわくちゃの手で、一つのガラス細工をくれた。
「…」
「お代はいいけ、もらっとき。故郷に帰ってきた、いい記念にしぃ」
「………」
じいさんがくれたのは、ランプの形をした、ガラスの小物だった。
頭を下げるだけで精一杯で、オレはその場を離れた。
温かいランプの置物に、忘れていた涙があふれてきた。
景気が回復したといいながら、自分はそれに取り残された――忘れられた存在のように、感じていた。
『代わりの効くもの』――どうでもいいものとして、扱われることに、慣れきっていた。
『生きて』いくことに必死で、プライドも誇りも捨てた。
けれど…そんな、状況の中でだって、『生きて』いる人もいることを。
そのぬくもりを、分けてくれる人もいることを。
思い出せた気がした。
何か、――あの日、だせーと投げつけて、店を逃げたあの日。
親父に続いて、お袋が亡くなったあの日から…。
ぽっかり空いてた、空洞のようなモノ。
それを、埋める『何か』。
人に感謝して流す涙は、自分も『人間』に戻れた――そんな心地を感じさせてくれた。
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あれから、じいさんの店には足を運んでいない。
あの人に会ったといって、オレの生活がどうこうなるわけではないし、そうそうあちらに戻る旅費が稼げるわけでもない。
けれど、来るべき文明開化の定めを受け入れて、そして自分の手でランプを割った物語の中の職人のように――じいさんは、古い時代を――『昔』の温かさそのものを、ガラスにこめて、取っておいてくれたような――そんな気がしてならなかった。
今でも、一人で眠る東京は、冷たい無関心に満ちている。
けれど、じいさんのランプは、確かにともる暖かな光で、オレをしっとりと照らしてくれているかのような――そんな、温かさを、与え続けてくれている。
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