幸せのクローバー
          森の中には光が満ちて、見えない星たちが笑っているようなのでした。
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 森の中の小さな小屋に、ひとりの男が住んでいました。
 男のほかに住むひとはなく、訪ね人は小さな魔女ひとりだけ。
 あまりに寂しいので、男はガラクタを集めてきては、家のなかに持ち込んで、孤独を慰めていました。

「どうせ、オレはひとりぼっちだ」
 そんな男に、魔女はいつも、ちっぽけなはっぱを差しだして、こう言います。
「あんたに幸せが訪れますように」
 そして、カエルの潰れたような声で笑うのです。
 男は嬉しくありません。

「幸せか。幸せってなんだ?」
 いつものように男はひとりぼっち、ふと魔女が置いて行ったしおれた葉っぱに呟きました。
 男は目も見えない小さなころに、実の両親に捨てられ、誰からも受け入れてもえることなく、この森に住みついたのでした。
 ひとのぬくもりやあたたかさなんて、分かりません。

「幸せは、何気ないもの」
 不意に、しおれた葉っぱが語りだしました。
 小さなハートの形をした四枚の葉っぱ。
 それは、よつばのクローバーでした。
「たくさんのみつばの中に埋もれているよつばを探し出すように、何気ない一日のなかに隠れているもの、それを見つけだすことが幸せなのです」
「なにげない一日か……」
 男は、少し考えて、周りを見わたしてみました。
 うすぐらい小屋の中に、たくさんのがらくたがうずたかく積まれています。
 古い本、壊れた鳥かご、ぼろぼろのカカシ……。
 男は、自分が捨てられたので、同じように捨てられてしまったモノを見つけると、たまらなく持ち帰ってしまうのです。

「なにげない日常なんて、つまんないだけだ」
 男は暗い気持ちになって呟きました。よつばのクローバーは何も言いませんでした。
 男は、ふとこわれた鳥かごを見ました。
 魔女から、幸せを運ぶ青い鳥の話を聞いたことがありました。
「青い鳥を探しに行こう」
 男は強く思いました。
 ガラクタだらけの小屋を後にし、幸せの青い鳥を探して、一日中探し続けました。

 青い鳥は、どこにもいませんでした。
 トボトボと自分の小屋に帰った男は、目を疑いました。
 こわれた鳥かごのなかに、青い鳥がいるのです。
「幸せの青い鳥、オレに幸せを運んでおくれ」
 震える声で呟いた男に、青い鳥は答えました。
「あなたが外にわたしをさがしている間、わたしはずっとここにいました。幸せは、あなたの外ではなく、あなたの内に見つけるものです」

 男は、自分の心の内側をのぞいてみました。そして、頭を抱えました。
 目も見えない幼い頃であったのに、捨てられた瞬間だけははっきりと覚えていました。捨てられて、泣いて泣いて泣きました。しかし、誰も戻ってきてはくれませんでした。誰も、手を差しのべてはくれませんでした。……思い出すだけで、張り裂けそうになります。
 ひとかけらとして、幸せを見つけることはできません。
「オレの内側なんて、みじめなことだらけだ」
 男はふと、鳥かごのそばに落ちていた古い本を手に取りました。
 それは、世界中を旅した男が描いた、旅行記でした。
 遠い港町のことが書かれたページには、美しい宝石をはめ込まれ、金色に光輝く「幸福の王子」の絵が描かれ、街の人々から拍手喝さいを浴びていました。
「そうだ、幸せとはこういうヤツだ。幸福の王子に会いに行こう」
 
 長い旅になりました。
 いくつも山を越え、いくつも川を渡り、男はとうとう美しい海辺の港町に辿りつきました。
 あたたかい陽の光に人々の笑い声が響き渡り、心地よい風が吹き抜けていきます。
「幸福の王子は、どこですか?」
 しかし、男の問いかけに、街の人々はどこかイヤそうに首を振ります。
 やっとその場所を教えてもらい、男は胸を弾ませてそこに向かいました。

「なんてことだ……」
 美しい港町の外れのさびれたゴミ捨て場に、くたびれた銅像が横たわっていました。
 宝石も、金箔も、ひとかけらもこの像には残っていないのでした。
「幸福の王子は、どこなんだ……?」
「わたしが『幸福の王子』と呼ばれていた銅像です」
 声は紛れもなく、目の前の銅像から聞こえました。
 そして、銅像は語り始めました。幸福の王子と呼ばれていた、自らの物語を。

 わたしは、幸福の王子と呼ばれていました。
 街を見渡せる高台に立ち、毎日のようにたくさんの人に見上げられ、誉めたたえられていました。
 この像は、この街の誇りだと。
 しかし、わたしの心は、引きちぎられそうなほど、悲しかったのです。
 この街には、ゆたかな人よりも、まずしい人たちのほうが、ずっとずっと多かったのです。

 だからわたしは、心あるツバメさんにお願いして、わたしの宝石を、金箔を、街のまずしい人ひとたちに贈り届けてもらいました。
 そして、わたしはこのゴミ捨て場に捨てられました。
 ツバメさんは旅立ってしまって、もうここにはいないけれど、心はいつもここに、共にあります。
 わたしは幸せものです。幸福なるものです。
 思いを、志を同じくするものと、出逢うことができました。
 助けを必要とするひとの、力になることができました。

 男は、幸福の王子の話を、最後まで聞くことができませんでした。たまらなくなって、逃げ出しました。
 自分は捨てられたのです。追い出されたのです。
 志を同じくできる仲間は、ただの一人もいないのです。

 ぜつぼう的な気持ちで、男はあてもなくさまよいました。
 長い旅でなけなしのお金をすべて使い果たしてしまい、食べるものも着るものもなく、とうとう荒野の真ん中で力尽きて、倒れてしまいました。

 夜でした。
 空は雲ひとつなく、見わたす限りの一面にかがやく星空が広がっていました。
 それは、息をのむほどに美しく、また冷たいけしきでした。
 風は吹きすさび、虫の声ひとつせず、かすんだ目をぱちぱちとあけたり閉じたりしながら、男はぼんやりと思いました。
(オレは何をしているんだろう)
 もともと幸せなど、自分にはないものだったのです。
 なにものを見つけようとしてしまったから、こんなことになってしまったのです。
 男は、情けなくなりました。
(なにが悪かったんだ?)
 それは、怒りだったのかもしれません。
 悲しみだったのかもしれません。
(オレの何が悪くて、オレは幸せになれなかったんだ!?)
 叫びたいのに、干からびた体では、それもできないのでした。
 ただ、一筋の涙が、乾いた頬を伝って流れて行きました。
 そして、吹きすさぶ風の他には、誰もそれをぬぐってくれる人はいないのでした。
「オレだって、いちどでいいから、幸せになりたかったよ」

――幸せは、「なる」ものではなく「贈る」もの――

 それは夢だったのかも知れません。
 どこか懐かしいようなあたたかいような、不思議な心地でした。

――この世を旅立つ人が、残される者に贈る、最後の願い――

 ほの暗い闇の中、声はとぎれとぎれに吹き抜けて行きました。
 それは、荒野一面に降り注ぐ、星の瞬く声だったのかもしれません。
 星に還って行った人たちの魂が、男に囁きかけたのかもしれません。

「どうか、あなたに幸せが訪れますように」
 雷鳴が轟く、嵐の夜でした。
 赤ん坊を森の岩陰に隠すようにそっと置いて、ひとくみの男女が走り去って行きました。すぐに、悲鳴が聞こえて、あたりは静かになりました。
 赤ん坊は泣いて泣いて泣きました。
 誰も、戻ってきてくれませんでした。
 泣き果てて、力尽きようとしていた赤ん坊を、通りすがりの若い夫婦が見つけました。
 夫婦は子どもを授かったばかりで、女は乳が出ました。
 夫婦は貧しかったのでふたりを育てることはできなかったけれど、女が乳を分けてくれて、赤ん坊は命をつなぐことができました。
 赤ん坊は、森の子どもと呼ばれました。
 ある人は、着る物をくれました。ある人は、雨宿りできる小屋を建ててくれました。
 人々は貧しくて、赤ん坊を引き取ることはできなかったけれど、小さな贈りものの積み重ねが、小さな命をつなぎつづけてくれたのでした。

 男ははっと目を見開きました。
 目も見えないうちに捨てられた赤ん坊は、どうやって育つことができたのでしょう。誰かが乳を含ませてくれたのです。誰かが助けてくれたに違いないのです。けれど、男の中に焼き付いていたのは、後ろ姿でした。自分を置いて、我が家に帰っていく人々の、後ろ姿でした。
 ちがいました。
 人々は、男を置いて去って行ったのではないのです。
「どうか、あなたに幸せが訪れますように」
 はかない願いとともに、食べ物を与え、着る物を与え、男を生かし続けてくれていたのです。

 それは、夢だったのでしょうか。それとも、生死のはざまで見た、過去の光景だったのでしょうか。
 男のまぶたのうらに、たくさんの星が瞬いて消えていきました。
 それは、男が捨てられた嵐の夜、雲の向こう側で輝いていたはずの、おびただしい祝福の光のようでした。

 ふと目をあけると、見慣れた小屋のみすぼらしい天井でした。
「気が付いたかい」
 カエルがつぶれたような声がしました。魔女です。
「あんたが行き倒れていたのを助けて、ここまで運んでくれた親切な人がいたんだよ」
 ベッドのわきの机には、小さなよつばのクローバーが水に活けてありました。
 魔女はいつも訪ねてくるとき、よつばのクローバーを贈ってくれていたのでした。
 祝福の言葉とともに。
「あんたに幸せが訪れますように」
 男はたまらなくなって、思わず手を差し出しました。
 受け取った魔女の手は、あたたかく、意外なことにまだ若い女の手のようでした。
「助かってよかったね。この世界も、捨てたもんじゃないだろう」
 男は、泣きそうになって、あわてて唇をかみしめました。
 この命は、拾われたのです。見捨てずに、自分を介抱してくれるひとがいたのです。
 幸せを祈ってくれる人が、いたのです。
 ――捨てられた赤ん坊に、手を差し伸べてくれた人がいたように。

――幸せは、「なる」ものではなく「贈る」もの――
 星の声が、聞こえた気がしました。
 男は、かすれた声で呟きました。
「ありがとう。あんたに、ありったけの幸せが、訪れますように」
 そして、泣きました。
 子どものように、泣きじゃくりました。
 鳥の声がさえずり、古い本が窓からの風にあおられ、ぱらぱらとめくれていきます。
 森の中には光が満ちて、まるで、見えない星たちが笑っているようなのでした。

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