Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 悲しい子守唄
* * *
 優しく髪をなぜる白い手の感触と、優しい声音だけは、なんとなく覚えている。
 子守唄の響きは遠く、まどろみの中で、嬰児は母の言葉を聞く。

 フェイ、ウェイ。
 わたしのかわいい子供たち。
 あなたたちが風の属性と天使の力を継いだことで、過酷な運命が、あなたたちを苦しめることがあるかもしれない。
 だけど、どうか覚えておいて。
わたしたちは、あなたたちに苦しみを味わわせるために、あなたたちをこの世界に送りだしたんじゃないの。
 この広い世界には、あなたたちを受け入れてくれる人がきっといる。
 だから、どうかあきらめないで。
 この広い世界の中で、自分たちの居場所を、目の前にある現実だけと決めつけないで。
 わたしのかわいい子供たち。
 わたしが、あなたたちのお父様と共に生きていくことを決めたように。
 共に隣を歩く誰かとともに、あなたたちに至上の祝福がありますように……。

「おかあさん」
 風が前髪をもてあそび、少年のような姿の少女は力なく呟いた。
 一つの言葉は、一つの情景を想起させる。

――死に呪われた子。

 言葉は体を縛り上げ、ぎりぎりと締め付けていく。
 あの言葉の意味するところを、はっきりと自覚したのは、いつだったろう……。
 両親が混血児の村で死んだとき?
 千年竜から、その言葉を受けたとき?
 石板が決壊し、スヴェルとソフィアが死んだとき?
 崖から転落して、王国を追われたとき?
 自分を殺そうとした暗殺者を、返り討ちに殺したとき?

――死に呪われた子。

 その言葉をひとたび、吹き飛ばしてくれた人がいた。ジェイドと名乗った青年だった。
 彼は、当時自分がいた暗殺者集団にふらりとやってきた、異質な存在だった。
「取引をしよう」
 彼は、暗殺団の頭に、そう持ちかけた。
「取引? あんた、頭イカれてんの?」
 実際、その男の『取引』は、相当イカれているように思えた。
 15歳に満たない子供を、全て暗殺団側の言い値で買い取る、と。
「冗談じゃないわ」
「あんたたちの手の9割は、子供だからな。だからこそ、タチが悪い」
「行き場のない子供を保護してあげてるんでしょ」
「人の命を奪う道具にすることを、保護と言うか」
「文句あるの。大半は奴隷崩れか混血児。国が大手を振って、存在を忌避してるヤツらでしょう!」
 甲高い哄笑を、ジェイドは苦い表情で聞いていた。最後に、吐き捨てた。
「僕の村も、お前らのような輩に焼かれたんだ」
「あらなぁに、お涙ちょうだいの感傷話でも始めんの?」
「……」
「それに、ウチの子たちは、調教済みだから、いまさら人間になんて戻れやしないわ。ワタシに従うしかないの」
「なに?」
「子供って、本当に素直。一度刷り込まれた恐怖は忘れない。体は長じたとしても、心は闇にとらわれたまま。生涯、ワタシの奴隷よぉ!」
「……」
 ――実際のところ。
 暗殺者集団の中に突如降って湧いた、ジェイドと名乗った青年は、不可思議を通り越して『異質』なモノに映った。
 ホゴ? ニンゲン?
 何を言っているのだろう。
 獣を殺して獣に成り下がった自らの存在に、そんな綺麗な世界は似つかわしくない。
 だが。
「殺しなさい!」
 そう言って賊頭が差し向けた暗殺者が、四人がかりでかかって全員地に叩き伏せられたのを見たとき、心臓の奥底がえぐられたように、とくん、と脈動した。
 殺す気でかかって来た者を、殺さずに仕留めてみせた。
 そこには、言葉で表す以上に厳然とした力の差が存在する。
「腕に覚えもないのに、イカれた取引だけを引っ提げて、こんな場所に乗り込んでくるはずないだろう」
 ほの暗い洞窟の中で、漆黒に見えた髪が、ふと差しこんだ陽光に赤く透けた。
 返り血を浴びて輝く、赤髪の美しい獣。
「あら面白いじゃない。いいわ、特別に取引してあげる。こちらの条件は」
 指の引き方で、十数人の子供たちの誰が呼ばれたのか判別できる。
 各々に名前はない。
 男の指先を読み違えたら、怖い『お仕置き』が待っていることは、とっくの昔に体得済みだ。
「……」
 声も出さず、影のように、男の傍に控えた。
 掴まれた肩に、指が喰いこんできた。仕事を授かるときは、いつもそうだ。
 この痛みが、ヒトと触れ合う唯一のぬくもり。
「コレがワタシの最高作品。この中で、誰よりも長く生き残ってきた。この意味、分かるわね? さっきの四人を束にしても、この子には敵わない。ガキだと思ってナメてたら、痛い目見るわよ?」
 こちらを見返したジェイドの黒の瞳が、なぜか沈むような色を見せた。
 勝ち誇った声で、暗殺団の賊頭は、宣言した。
「三日時間をあげる。お互い殺しあいなさい。本気でね。ジェイドと言ったわね。それであんたが生き残ったら、条件飲んであげてもいいわ」


 ――死に呪われた子。

 一つの言葉は一つの情景を想起させる。
 雨が降っていた。
 血まみれの青年。
 ざあざあと降りしきる水の濁流に、次々と生命の滴が溶け出していた。
 始めてまみえたあの日、敵の返り血に赤く輝いていた瞳は、今や死の影を予感させて、それでもほほ笑んでいた。
「君は、日のあたる場所に戻るといい」
 最期の言葉は、そんな響きだっただろうか。
 音は雨に紛れ、自分の呼気に紛れ、赤い濁流は手の指を通り抜けて、儚く地面にしみ込んでいった。
 無情にとどめを刺した頬に、雨に混じって生温かい返り血が数滴、飛び散った。
 それが、その人が生きていた最後の鼓動だった。
 儚いぬくもりが、雨に溶けて流れた瞬間、ぽっかり空いた胸の空洞に去来した、言いようもない激情が、静かに閂を開けて流れ出した。
「あんた、やってくれるじゃない」
 それは、現か幻か。
 激昂した賊頭が、ざあざあ降りの中、血走った目でこちらを見据えていた。
 背後には、生き残った暗殺者たち。
 ジェイドに『死なない程度に』やられ、満身創痍の体を引きずり、それでもこちらに相対してくる。
「そこの蟲に何を吹きこまれたのか知らないけど、その男と組んでワタシの元を抜けようなんて、片腹痛い、笑わせんじゃないわよ!!」
 違う、と言いかけた言葉は、長い間震わせていなかった喉を、微かに波立たせた。
 雨音に紛れ、それは相手に届くことはなかっただろう。
 しかし、長らく意思を失っていた音は、『声』という情動の手段を思い出し、今、確かに体を震わせた。
 一度思い出してしまえば、理性は何の歯止めにもならなかった。
 ただ、力の奔流に身を任せ、解き放った。
「――!!」
 それは、死者を弔う慟哭か。解放された感情が、行き場を失して爆発したのか。
 ――属性継承者の感情解放。
 それは、始めて風の力を、自らの意思の元に具現化させた瞬間だった。
 そして始めて、『死に呪われた子』の運命を、まざまざと自らの前に見せつけた瞬間でもあった。

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