星の金貨 -世界で一番不幸な男の物語-
         星の金貨は男の上に、果てしなく降り注いでいました。
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 北の国の小さな村に、一人の男が住んでいました。
 大変貧しい男でした。
 身につける服は、ボロ布一枚。
 食べ物は、人にめぐんでもらうしかなく、家もなかったので、いつも外で寝ていました。
 さむいさむい冬の日には、こごえてしまいそうでした。
 人々は男をバカにして、男を見かけるたびに汚いものを投げつけたり、棒で殴りつけたりしました。

 男はいつも思っていました。
 ああ、わたしは何て不幸な男なんだろう。
 世界で一番不幸な男に違いない。

 男はぽろぽろ涙を流しました。
 自分が不幸であることを、ぽろぽろ ぽろぽろ涙を流して、悲しみました。

 ああ、あの空に輝く金貨のような星のひとつでも、わたしのところに降り注いでくれたらいいのに。

 そんなある日、東の国で戦争が起こりました。
 東の国の小さな村は、焼きつくされて、人々はひどい殺され方をしたというのです。
 北の国の小さな村の人々は口々にいいました。
 ああかわいそうに。
 あそこは、世界で一番不幸な村だよ、と。

 しかし、男は信じませんでした。
 世界で一番不幸な男は自分に違いないのです。
 男は人々にそれを訴えました。
 しかし、人々は男のことをますますバカにしました。
 ますますバカにされた男は、自分はもっと不幸になったと感じました。

 ああ、世界で一番不幸なのは、わたしの方なのに、と。

 男はだんだん村にいるのがつらくなってきました。
 そしてある日、東の村に向かって旅立ったのです。

 たくさんの山を越え、たくさんの川を渡り、男は東の村をめざしました。
 たくさんの時間をかけて、男は東の村にたどり着きました。

 すっかり焼き尽くされ、灰の山になった村の真ん中に、一人の男が立っていました。
 髪はぼさぼさで、目はうつろでした。
 世界で一番不幸な男が近づくと、彼は眼球だけをぎょろりと動かしました。
 乾いた唇からヒューヒューと息が漏れていました。

 わたし以外の村人は全員死んでしまった。

 男はその言葉だけを繰り返しました。

 世界で一番不幸な男は、驚きました。
 何てことだ。
 この男は、わたしよりも、もっと不幸ではないか!

 しかし男は続けてこうも言ったのです。

 だがわたしはまだましだ。
 わたしには健康な体と頑丈な手足が残されている。
 体があれば食べ物も探しにいけるし、そのうち家も建てられるようになるだろう。
 しかし、南の国でこの前洪水におそわれた村の生き残りは、もっとたいへんだろう。

 世界で一番不幸な男は、南の国の不幸な村をめざしました。
 たくさんの山を越え、たくさんの川を渡りました。

 洪水におそわれ、全てが流された村の真ん中に、一人の男がいました。
 男は地面に横たわっていました。
 洪水でひどく怪我をしたのか、男は今にも死にそうでした。

 世界で一番不幸な男は、あわてて駆け寄りました。
 怪我のせいで、目も見えなくなってしまったのか、男は、まぶたを閉じたままでした。
 しかし不思議なことに、死にかけた男の顔は穏やかでした。

 何てことだ何てことだ。
 世界で一番不幸な男は、頭を抱えました。

 目の前のこの男に比べると、自分の不幸などなんともないように思えてきました。
 死にかけの男は、穏やかな表情のまま、口を開きました。

 何を泣いているんです、旅の方。

 その声があまりにやさしさに満ちていたので、世界で一番不幸な男は、はっと顔を上げました。
 思わず、死にかけの男に向かって、たずねていました。

 あなたは、自分の不幸が悲しくないのですか。

 わたしは、不幸ではないですよ。

 死にかけの男はそういいました。
 世界で一番不幸な男は、驚きました。
 死にかけの男は続けました。

 自分が不幸だと思わなければ、不幸でもなんでもないのです。
 幸せとか、不幸せとか、誰かが決めるものではないでしょう。
 北の国のある村に、自分を世界で一番不幸だと思っている男がいるそうですが、わたしは、その方をこそ、かわいそうな方だと思います。
 少し顔を上げてみれば、不幸なことなど何もないのに。

 そう言って、死にかけの男は、そのまま死んでしまいました。
 安からな死に顔でした。

 世界で一番不幸な男は、ゆっくりと顔を上げてみました。
 きれいな星の海が、果てしなく広がっていました。

 世界で一番不幸な男は、ぽろぽろと涙を流しました。
 ぽろぽろと。ぽろぽろと。
 男は、涙を流し続けました。

 星の金貨は、男の上に果てしなく降り注ぎ続けていました。

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