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それはまるで、色とりどりの蝶が青空へ吸い込まれていくような静けさだった。
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戦後間もない日本の空は昏く、食糧事情は日を追うごとに荒んでいった。
私の父は戦時中、足をもがれて復員したが、それ以来厳格な国家主義の人となり、戦争に負けてからも、天皇陛下が『人』と成られてからも、お国の為天皇陛下の為と謳っておられたが、そんな父ですら、幼い私がGHQの派遣したアメリカ兵の手からチョコレートを隠れてもらって来ていたのを、止められないでいたようだった。
家族は七人居り、四人が空襲で死んだ。
祖父母は足が悪く、母は幼い妹を庇って、共に劫火の中に消えた。四人の亡骸を探そうとする頃に、父は帰って来た。兄と二人でこらえようもなく泣いたのを、鮮明に記憶している。
父が満足に働けなかったため、終戦を迎えてからは、私と兄が二人で復興途中の廃墟を巡り、金になりそうな資材を集めて食い物にするのが日課であった。父は己が食扶ち以外の何者でもないことにひど非道く落胆し、兄もそれを責めている様な素振りをする事があったが、私はそうは思わなかった。父は私の『家』だった。拠るべき、帰るべき、かけがえのない場所であった。
幼い私どもにとって、廃墟は賄いの場であり、闘いの場であった。せっかく資材を金に替えたところを襲われ、半死になったこともある。日が昇る前に父の元を離れ、一日中歩き尽くして何も手に入らなかったことがある。喧嘩は日常茶飯事だった。五日何も口にしなかった時には、近くの農家に土下座して、小さな芋をひとつ分けてもらった。三人で、生のまま貪り食った。
晴れた日でも、雨の日でも、私たちが帰途に着くのは、深い闇が怪しく影の帳を落とす頃だった。
重ね重なり合う陰影。背後を常に何かに気取られたような緊張感。角のほうに潜む息ある静寂。砂利を踏みしめて、一歩一歩兄の背を追う不安の果てに、不意に小さな灯火が現れる。父のランプだ。
布きれの屋根。新聞紙の敷物。『我が家』の中心に腰を据えて、父はいつもそこに居た。
珍しく米が手に入った時も。有り金根こそぎ奪われて、頭から血を流しながら帰り着いた時も。足の血豆が潰れるほど歩いた果てに、手ぶらで疲れ果てた時も。生来無口な父は決まってこう口にする。「お帰り」。
酒も煙草も口にしなくなった父の声は深深と闇に冷えて消える。
私も兄も、ほうっと口から吐息する。「ただいま」と。
そんな時分だった。
その年の夏は暑く、人の熱気と相成って、町の復興は急速に勢いを増しつつあった。闇市が盛んに行われ、少しは食料が手に入りやすくなる時期でもあった。
日雇いの仕事も増えた。
土木、使いっぱしり…何でもした。
その頃には我が家も、布のテントからプレハブ小屋に昇格していた。お上の人の計らいらしい。そういう福祉がどうだ、人権がどうだという事、先だって『コウフ』された新憲法の存在すら、当時の私にはよく分からないものだったが、生活に少しでも余裕が生まれることは、この上なくありがたいことであった。
父は相変わらず家の中心に居た。
私が帰宅すると、「お帰り」と言い、私は「ただいま」と言った。
生活の余裕は時間の余裕を生み、時間の余裕は子供心に『娯楽』を求めさせた。
その頃、できたての空き地に道化屋が姿を現した。
奇妙な人間だった。
顔を米利堅(メリケン)粉で噴き、目の周りに食紅を塗りたくっていた。『ぴえろ』と名乗ったそのちんどん屋は、私たちに摩訶不思議な芸を見せた。
ある時は、コインが消え、ある時は、空の帽子から鳩が飛び出すのだった。
『ぴえろ』が姿を現すと、決まって人だかりができた。
私も兄も、来られそうな暇を見計らってそれを見た。
『ぴえろ』がおじぎをすると、拍手が起きる。拍手と共におひねりが投げられる。それはほんの小さな額だったが、道化屋はおそらくそれを目当てに来ていたのだろう。私も、三度に一度位は一銭を放った。道化屋はおどけた仕草でそれをかき集めると、もう一度礼をして手を左右に開く。『お開き』だ。不文律のその合図で見物人たちは帰途に着く。
私も兄も帰途に着く。
不思議な道化屋だった。
見物客が一人残らず帰るまで、決してその場を去ろうとはしなかった。
どこから来てどこから来るのか。
誰も知らなかった。
道化屋の芸は面白かったが、私たちはそれを父に話したことはない。
根が厳格な父のことだ、そのような半端者の芸におひねりを投じたなど、言おうものなら問答無用で外にたたき出されてしまうであろう。
三人の食卓は静かなもので、茶碗と箸のぶつかる音しかしなかった。
時折兄が口を開き、時折私が口を開いた。
父はいつもただうなずいていた。
嬉しいことも、悲しいことも、全て無言で受け取っていた。
ランプの光は薄暗く、私たちはいつも川の字になって寝た。
それは、盆を過ぎた、ある日の夕暮れのことだった。
川辺のあぜ道を吹く風は微かに涼を運び、私と兄は、日雇いの賃金を手に家路を急いでいた。
川の音が耳に心地よく、ふと私は目線を投じた。
足元の斜面は緩やかに長く、遥か下の潜流は陽(ひ) の光に微かに紅い。
下流域の水は複雑に編み込みながら、黒々とした橋の下へと縺れこんでいた。
ふと私は目を見張った。思わず前を行く兄の背を引っ張った。
「兄ちゃん」
「どうした」
「あれ」
白い米利堅粉は夕闇の中でもはっきりと目立った。
道化屋だった。
小脇に抱えた包みは芸の道具であろうか、急ぎ足に橋の下の方へ向かっている。
「つけてみるか」
「つけてみようか」
互いに顔を見合わせて、くつくつと笑った。
兄と私はゆるい斜面を、音を忍ばせて影に迫っていった。
どこかから現れて、どこかへ消えていく道化屋。
どんな顔をしているのだろう。
どんな声をしているのだろう。
「し――っ」
「し――っ」
吹き出しそうになるのをこらえながら駆け下りた。
風に煽られて、草がさやさやと鳴いた。
道化屋は橋の下へ消えた。
私たちは橋の影からこっそりと中を窺った。そして、顔を見合わせた。
「………」
暗がりでよく分からなかったが、道化屋は泣いていた。
鼻をすすり上げて、息をしゃくり上げて、しくしくと泣いていた。
「泣いてる」
「泣いてるねえ」
私と兄は顔を見合わせる。
道化屋は、私たちの目の前ではっきりと泣いていた。
私はそれまで、大人たちが泣くということを知らなかった。おそらく兄もだろう。
家族の大人たちは気丈な人たちで、父が徴兵に行かれる時すら、母も祖父母も毅然としていたし、尋常小学校の先生たちは、常日頃から、日本男子たるもの、涙などは見せるものではないと、強く語っておられた。
『泣く』のはみっともないことであった。
その『みっともないこと』をしながら――道化屋はさらに、何やらグラスのようなものを取り出して布で磨き始めたのだ。
私は再び兄を見た。
「変なの」
「おかしいの」
その時、子供心にこみ上げてきたのは、滑稽を笑う衝動だった。
私たちは肩を震わせて口を覆った。小鳥のようにくつくつ笑った。
その時だった。
ふいに兄が震えた。
私は驚いた。慌てて振り返った。
息が止まった。
「――」
体が跳ねた。
道化屋の見開いた瞳が、静かに私たちを見つめていた。
喉まで出かけた悲鳴は、あまりに大きすぎて、そこでつっかえてしまい、まるで陸に揚げられた魚そのもののようになって私はただ喘ぐしかなかった。
――道化屋は、恐ろしかった。
幾筋も顔を奔る涙の筋が、米利堅粉と食紅を混ぜ流し、醜くただれて顔面に張り付いていた。
目は虚ろで、口唇は乾ききっていた。
奇妙な圧迫を私は受けた。
それは、道化屋の背後にはびこる闇が形を持って迫ってくるようなおぞましさだった。
何かを探るように、不意に道化屋の手が動いた、――瞬間、
「わ――!!」
兄が叫んだ。
私の呪縛も吹き飛んだ。
「きゃ―――!!」
後は無我夢中だった。
私たちは先を競うように斜面を駆け上がった。
草にすべり、風にあそばれながら、私たちは走った。
今更ながらに心臓が暴れ、体中を汗が這いずり回る。
あの道化が背後に迫ってきているかも知れないという恐怖が、ひたすら体を前へ前へと押しやった。
粗末なプレハブが行く手の彼方に見えたとき、私たちの足が不意に緩んだ。
しかし、それは安堵によるものではなかった。
「明かり…」
兄の言葉が呆然と私の方にも響く。
薄ぼんやりと灯っているはずのランプが今日はうかがえなかった。
ただ闇の中に、粗末なプレハブが兀然と建っていた。
それは未知の闇だった。
震えが夜気に伝わった時、私の中からもはや道化のあの目は消えていた。
兄が先か、私が先か、知れない。
こみ上げた鼓動は先ほどの比ではなかった。
残りの道程は跳ぶように過ぎ去り、そびえ立つ扉を体ごとぶち破った。
「父…ちゃん」
誰かが呆然と呟く。
黒い月明かりの中に、父の体が倒れていた。
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