Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 最悪の依頼 
* * *
 泣いて喚いて叫び倒すよりは性に合った死に方を選ぶ。
 そんな女だろうと、そんな印象は持っていた。


――ミルガウス城 地下牢



「極刑か…」
 石版を盗んだ者に対する、処分を伝えたカイオス・レリュードに対し、目の前の女はそう言って肩を竦める。
 そうは言ってもやはり、泣き喚いて鉄格子をぶち破りかねないかも知れない、と思っていた予想は見事に裏切られ、彼は微かに目を細めた。
「ねー、ティナ、キョッケイってうまいの?」
「なーに言ってんのよクルス。まずいわよ。マズすぎ」
「………の割には余裕だな」
 それとなく口を挟むと、意外とまともな返事が返ってきた。
「取り乱すより、どうやって誤解を解くか考える方が先よ」
 牢屋の中から彼を見上げる深い紫欄の瞳が、青年の金糸を映して幻想的に輝く。不敵に笑みを刻む口許をちらりと見遣って、カイオスは腕を組んだ。
「………まだ、そんなことを言っているのか」
「悪い? 最初から言ってるでしょ。やっていないもんはやっていないのよ」
「そうか。まあ、がんばれ」
 ――はっきり言ってしまえば。
 目の前の女どもには微かな同情があるだけで、その他の感慨は一切浮かばなかった。
 そのまま踵を返しかける。
「あ、ねえ、ちょっと」
「…何だ」
「一応、公の場で弁解はさせてくれるんでしょう?」
「一応、な」
「へえ。さっすが腐っても、天下のミルガウス。ちゃんとやることはやってくれんのね」
「それはどうも。…国王陛下が直々に審問をされることになっている。せいぜい頑張るんだな」
「国王陛下…」
 さすがに、眼前の女の表情がこわばりを見せた。
 世界一の大国を束ねる王が自ら審議を行う――その重大性は、はっきりと認識できたらしい。
「どうした。いまさら怖気づいたか」
「まさか」
 女を束の間、支配していたこわばりは、鎖がほどけるように消え、その表情には当初と変わらない、意思の強さがよみがえった。
 紫欄色の視線が、ひたむきにこちらを見る。
「ああ、後さ。こっちからこんなこと言うの何なんだけど……調べたりしないの?」
「何を」
「身体。盗まれた石版、まだ隠し持ってるかも知れないじゃない?」
「……仮にお前らが石板を盗んだ犯人だとして」
「……」
「盗んだ『宝』をそのまま持ち歩くほど、頭が悪いようには見えないがな」
「あら、じゃあ、とっさにどこかに『隠した』って思ってるわけ。あたしらがあの場所に行ったときには、鏡の神殿はすでに燃えてたのよ? そんな隙どこにあったっていうのよ」
「さあな。それは公の場で明らかにすればいいことだ」
「……」
「…王の審問は明日早朝だ。せいぜいよく寝ておくんだな」
「そーね。そうするわ」
 極刑をほのめかされたにしては、いっそ正気を疑うほどに気楽な声を後ろに、男は今度こそ牢屋を後にした。
 ――女どもの行く末には何の感慨を抱くこともなかったが。
 彼にはしなければならないことがあった。


――ミルガウス城 左大臣執務室



「ほら、約束の品だ。文句ないだろう?」
 ――牢屋から帰って、人払いをした後。
 明かりを落とした自分の執務室の中で、カイオス・レリュードは『それ』を放った。
「今なら、まだ戒厳令が出ていない。さっさと国境を出ろ」
「ふん…」
 対峙した相手は軽く受け取る。目深にかぶったフードの裾を上げた。金糸が光に映える。零れる音は、驚くほどカイオス・レリュードのそれと似ていた。
「石版が『盗まれてから』どのくらい経ったの言うのだろうな。まだ、国境が自由になっているのか」
「普通の人間なら、どんなに早くとも、二日は費やす距離だからな」
「『普通の人間』、ねえ…」
 相手はくつくつと笑った。
 カイオス・レリュードは笑わなかった。
「もう、いいだろ。さっさと行け」
「ふん…分かっているさ。しかし、たかが欠片四つとは…天下のミルガウスも、大したことはない、というわけか」
 フードの下から刺すような眼光がカイオスを貫く。青い湖面の、深い意志を秘めた輝きが――。
 カイオスは表情を変えなかった。
 無表情な青年が沈黙を保っているのを相手の目の中に淡々と見ていた。
「………」
「ふっ…じゃあ、またな」
 詮索するのは諦めたのか――
 面白くなさそうに、口許を歪めて、
 相手は、消えた。
 その場から、何の痕跡も残さず、相手は一瞬で消えていたのだ。
 残された青年は、ため息混じりに窓の外を見た。
 漆黒の世界をその目に焼き付けて、落としたため息にため息を重ねた。


――???



 見渡す限りの廃墟だった。
 ティナは、そこにいた。
 喉まで何か出かかっているはずなのに、声が、出ない。
 顔をさらう疾風が、見開かれたままの瞳を冒していく。
「っ…」
 ぎりぎりまでこみ上げてきたものがあった。
 彼女は、ある瞬間にそれを爆発させた。
 あらん限りの感情で、あらん限りの激情に乗せて――。

「――これが…あんたの望んでいたモノだって言うの!? いいかげんにしなさいよ! ………!!」


 ――夢を見た。
 それが夢だと自分で分かるまでに随分と時間がかかった、そんな、背筋の凍るような夢だった。

「………」

 最悪。と呟いて、ティナは半身を起こした。
 あの男に極刑をほのめかされた後、いくらも経たないうちに眠ってしまったらしい。そういえば、昼間は魔族に追われて全力疾走したのだった。疲れていて当然か。
 額を拭うとぐっしょりと汗が絡む。
 寝心地がお世辞にも良いとは言えない石の床だ。――隣で寝言まで囁いている相棒は置いておいて――、浅い眠りを散々繰り返した挙句…あの夢だ。
 目を覆うばかりの廃墟で、顔の見えない相手に向かって、必死に何か言っていた…。
(現実になんなきゃいーんだけど)
 思いながら、肩をほぐす。
 遥か上の高窓から、微かな明かりが床の上に差し込み、砂と誇りがきらきらと日に反射して舞い散っている。
「朝…か」
 寝起きは最悪。
 何となく、幸先にも影響ありそうで、ティナは無意識に頭を振った。
(ま、考えてみりゃ、これ以上最悪な状況ってのもないのよね)
 性に合わない死に方だけはしないだろうな。
 行き着くところまで行き着いているくせに、そんな予感がちらちら頭を離れない。
 やがて、兵士が二人を呼びに来て。
 ティナは思いっきり相棒を蹴り起こした。


「大体の事は聞いておる」
 朗々と響き渡る声音を以って、玉座の王は――このミルガウス王国の初代国王、ドゥレヴァ・シル・セレステア・ミルガウスは――漆黒の瞳をじっと二人に注いだ。
「その方らには、『鏡の神殿』から石版を盗み出し、さらに神殿に火を放ったという疑惑がかけられておる。何か、申し開きはあるかな?」
 人払いをしたのだろう。
 謁見室と思われる広い空間には、彼女と相棒、そして玉座の王を除けば、六人ほどしかいなかった。
 王女らしき少女が二人、昨日の金髪男と、同年齢ほどの男性が二人、壮年の男性が一人。
 黒髪黒目の人間たちの中で、例の男の褪せた金色の髪が、やけに浮き立って鮮やかに、ティナの目には映った。
「では、申し上げます」
 ひとつ、息をついて。彼女は眼前の人間全てに言い放った。
 どうにも覆しようもない状況に置かれて、まさかこうも真っ向から反論をしてくるとは思っていなかったのだろう――、騒然としたような雰囲気が顔に吹き付けてくる。
 ティナはそれほど動じなかった。最初で怖気付いた人間が勝機を逸するのだ。――どんな時でも。
 何度も何度も頭に描いた言葉を口の端に乗せる。
 響かせるように、紡いだ。
「私たちは、昨日偶然あの場所を通りかかったに過ぎません。確かに、神殿に火を放っていない、という確証もありませんが、反対に神殿に火を放ったという確証もないと思います。確証もないままに罪を決するのは、いくら王国の裁きとはいえ、強引過ぎると思います」
 裁くならば罪にふさわしい根拠を。
 いくら天下のミルガウス王国とは言え、国王直々に冤罪を是とする道理はない。
「それに、盗まれたという石版ですが。聞いたところによると、王国により、呪が施されているのでしょう? 私たちが持っていれば、あなた方が感知できるのでは」
「………」
 王は、沈黙している。
 これは、ティナの言葉が相手に届いている証ととらえていいのだろうか。少なくとも、あの金髪男と違って、国王陛下はティナたちのことを、頭から何者と決めつける様子はない。
 いっそ、このまま無罪も確定してしまえ!…と思っていたティナの思考に、いきなり横から冷静な声音が割り込んできた。
「…恐れながら、私から奏上申し上げてもよろしいでしょうか」
(あ、あいつ!)
 おのれどこまであたしの邪魔を…
 そんなティナに関係なく、男は優美な動作で進み出ると、頭を垂れて王の言葉を待つ。
「おお。カイオス。おぬし、確か、あの場に居合わせたのであったのう」
「は」
 『カイオス』と呼ばれた男は礼を深くする。
 おそらく、この国の官僚の正装だろう。――礼服に身を包んだ男は、その若さとしては信じられないくらい場馴れしたしぐさで視線を上げた。
 ――そう言えば、ここに集まった人間のほとんどが二十歳がそこらの若者だと言うことにティナは不意に気付いた。この場に居る、ということは随分と高身分の人間だろうに、その年齢層は不釣合いな気がする。
 そんな事を思っているうちに、男は奏上を始めていた。
 王に向けて淡々と紡いでいく。
「…確かに石版には呪が施されておりましたが。ご存知の通り、あの神殿の周りには一般の者が立ち入らないよう、常時結界を張り巡らせております。あそこに近づけるのは、『高位属性継承者』以外にありえません。…もし仮に、その者たちが、それに見合う魔力の持ち主であれば、呪を解く事など、容易いでしょう。案の定、宮廷魔術師たちの尽力にもかかわらず、石版の行方がつかめておりません」
 非の打ち所のない言上を悔しいほどにすらすら並べ立てていく。
 さあ、次はどんな屁理屈こねるんだ?――そんな視線をティナになげかけて、――少なくとも彼女にはそのように解釈された――男は一礼を返すと、所定の位置に戻っていった。
(く、異国情緒漂う吟遊詩人気取りの分際で…)
 もはや根拠の無い八つ当たりでしかないことは自覚しつつも、そのあまりに平然とした表情に苛立ちを覚える。
「ふむ…確かに、そうじゃのう」
 王はふむふむ頷いている。
 頷いた末に囚人(未定)達に問うた。
「で」
「…で、とは?」
 思わず聞き返す。
「いやなに、他に言う事は無いかの?」
 何だかこの王さま、口調に威厳が無くなってきたのは気のせいかしら。なんて考えながらも、
「ええ。いえ…」
 思わず、言いよどむ。
 何となく幸先が悪くなったような感覚を覚えた。…ああ、やっぱりあの夢が原因かしら。いや、あの男の所為だ。そう、きっとそうに違いない。
 ――と、微妙に弱気になっていたその矢先に。
 隣りで気配が動いた。
「でもさあ。ひどいよ。オレ達、石版をミルガウスに渡しに来ただけなのにさあ」
『!?』
(クルス!)
 そう、誰であろう。
 一瞬でその場の雰囲気を変えたのは、(実は誰からも忘れ去られていたりした)少年の一言だった。
 茶の髪をふさふさと振って、上目遣いに続ける。
「せっかく闇の石版を持ってきたのに、盗むわけないよう」
「…そ、それは誠かに!?」
(…『かに』!? 語尾が『かに』!?)
 どうやら思わず理性を失ってしまったらしい国王の語尾の衝撃に、むしろティナはのけぞった。そもそもミルガウスには石版を持ってきた云々については、単にそこまで頭が回らなかった――というより、この一連の成り行きの中で、ティナ自身すっかり失念してしまっていたのだったが。――ともかくも。
「まさか、残りの欠片を所持していると…」
 周りの人間たちには、相当の衝撃だったらしい。
 一気に騒然となる雰囲気に取り残されて、彼女は思わず相棒と顔を見合わせた。
「何か、結構効き目あり?」
「みたいだね! おれ、やったよ、ティナ」
「うんうん。ご褒美に、後で思いっきりご飯食べに行きましょーね」
「わーいっ」
 尻尾があったら振りそうな勢いで、クルスは黒い目を輝かせる。そうこうしているうちに、結局その場では、結論を出せなかったらしい重臣たちに連れられて、今度はうって変わって豪華な客室に招かれたのだった。

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