Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 最悪の一日 
* * *
 走って走って走って走って…あたしは風になった。――ようにティナは思った。
 体力だけがとり得の、しかもあんな大量の下級魔族にお付き合いするなんて、いくらなんでも女と子供の身では自殺行為だ。
 どっちにしたって、ミルガウスまでそう遠くないはず。
 うまく行けば、人に会えるかも知れないし、町に出るかもしれないし。
 乙女の恥じらいも旅の疲れも空腹も、全てを後ろに投げ出して、―――走って走って走りぬいた末、ふと、背後の気配どもが消えたと感じた瞬間―――そう、その瞬間、目の前に炎の壁が広がっていたのだ。
 その威容、たたずまい。
 轟々と煙を吐いて燃え盛るその建物は、確かに話に聞く、ミルガウスの『鏡の神殿』と呼ばれる建造物のものだった。


(あたしが…何をしたのかしら…)
 改めて、ティナは自問してみた。
 ひとつ前の小さな村で、相棒の果物を値切りたくって、商人泣きそうにさせたことかしら。でもあのおじさん、世間知らずな女子供だと思って足元見てたわよね、だからアレはしょーがない。もしくは、二つ目の石板を手に入れる際に、一緒に盗賊のアジトひとつ壊滅させてしまったことかしら。でもあれは、盗賊さんの恨みをちょっと買ってしまっただけで、近隣の村の人には感謝されたはず、そうよだからだいじょうぶ。
(人生いろいろ、いいことも悪いこともあるのよ!)
 ふっと開き直って、ティナは傍らの相棒に声をかけた。
「さ、行きましょうか、クルス」
「え、ティナ…火くらい消して行こうよ…」
「いやいやいやいや。何言ってんのクルス! あたしがここでヘタに魔法なんか使っちゃったら、むしろかえって…」
 言いかけたところで肩に手を置かれる。無意識に払いのけながら、
「いや、だから、かえって逆効果なんだってば………」
「ティ、ティナ…」
 ひどく慌てた様子で何やらこちらを指しているクルスに、内心小首を傾げながらも、
「?」
「後ろ、うーしーろっ」
「…うん、そうなのよ。さっきからその手ジャマ…」
 再び肩の手を払いかけたその手が、
「………え?」
 途中で固まった。
「………」
「………」
「………」
(やばい、見つかっちゃった!)
 今この場に、ティナとクルス以外の人影はない。
 状況的にわたしたち放火犯ですと疑われかねないが、そんなめんどうごとに巻き込まれるなんて、絶対にごめんこうむりたい。
 こうなったら逃げちゃおう、うんそうしよう。
 ティナは、ふ…とあさっての方に笑むと、すっと右手を上げた。
「じゃ、あたしたちはこれで。アデュー」
「あ、あでゅー」
「待て」
 歩き出したところを案の定呼び止められ、ティナは心中舌打ちしつつ、半身で振り返った。
 ――後ろを取られた。
 気配すら感じ取れなかった。
 ティナも決して、お遊び感覚で冒険者をやっているわけでは無い。
 プライドが傷ついたこともあるし、見つかったことに対する間の悪さを呪う気持ちもあった。
 半ば喧嘩を売らんばかりの勢いで視界を移して、そして彼女は呼吸(いき)を止めた。
 金の輝きが目に止まり、続いて悔しいほど秀麗な容貌が目に入る。湖面のような深い青が、冷めた感情を湛えているのが何となく印象に残った。真冬の青い月のような。ティナより、いくつか年上だろうか…その青年はため息混じりに切り出した。
 その拍子に、胸元の紋章が揺れる。
 何の形か、ティナが見当をつけられないで居るうちに、声がかけられる。
「………お前らか?」
 耳に届いた声は、低くしかし清涼で美しい。
 だが、どこか冷たかった。
 ティナは、ぐっと拳を握る。見た目に呑まれていても、言葉に呑まれるわけにはいかない。
 半ば無意識に胸を張って、彼女は相手をまっすぐに見返した。
「な、何がよ?」
「あれ」
 く、と指し示した先には気持ちいいほどに燃え盛る神殿がある。
「ま、まさか…!」
「どーだかな」
 最初から信じていない――むしろ、こちらの言葉を信じるつもりのない口調に、流石にむっときた。
 容貌に呑まれてしまっていただけ、何となく悔しい。
 思わず、考えるのよりも言葉と感情が先に立つ。
「何よアンタ、いきなり出てきて決めつけるようなこと言って。この…異国情緒漂う吟遊詩人きどり!!」
「…は?」
「なーにが、『お前らか?』よ。証拠もないのに、イキナリそんなことを言われる筋なんて、………」
 乗り出しかけた身を後ろから引っ張られる。
 目を遣ると相棒が上目遣いにこちらを伺っていた。
「ティ、ティナ…」
「ん? 何よクルス、今、取り込み中…」
「何か、あっちから人が来てる…。あれ、兵士だよね、ミルガウスの…」
「な、何ですって…!?」
 思わず首を回すこと半回転。視界の彼方先のほうから、確かに武装した人間が二人ほど近づいてくる。こんな時にこんなタイミングで現れる人種を、ティナは他に思いつけなかった。
「ちょっと! あんたの所為で逃げられなかったじゃないのよ!!」
「…ああそうか。残念だったな」
 誠意も何もない物言いに、言い返そうと再び口を開くが、その前に兵士たちの到着の方が早い。
 壮年の――かなり身分は高いだろう――騎士たちは、この惨状に先ず口を半開き、それから我に帰ってまくし立てた。
「か、『鏡の神殿』が…」
「早く、消火を…!!」
「お前たち、何者だ! ここには、常人が入り込めないように、結界が張ってあったはず…」
「神聖な我がミルガウスの『鏡の神殿』に火をつけようとは…。なんという不届きな…!」
 その剣幕は相当なもので、威圧的な鎧に身を包んだ男たちを前に、ティナは口をはさむ隙がない。このままでは、犯人にされてしまう…。その時、――動いたのは、眼前で腕を組んでいた金髪の男だった。
 ため息混じりに神殿に向かい、全く勢いを殺さない炎に対峙する。
「あ、あんた…いきなり、何を…」
 言いかけた兵士の口上が、何かに気付いて止まる。再び口を半開いたまま固まってしまった彼に、言葉にするのも面倒なのか、男は首から下げていた『何か』を外すと、無言で兵士たちの方に放った。
「身分証明だ。文句ないだろ」
 それ以上は口にせず、なにやら詠唱を始める。
「ま、まさか、…本当に………」
 放られた『何か』を受け取ったまま立ち尽くす兵士の手元を、ティナも好奇心が先立って覗いて見た。
「なになに? どうか、したの?」
 隣でクルスも同じようにひょっこりと顔を出す。それを傍目で感じながら、ティナは軽く息を呑んだ。
「これって…」
 時の神『ノニエル』が第一次天地大戦後、半分に分かたれた後の半身、『千年竜』をかたどった、紋章だった。
 ご当地、ミルガウス王国の国章だ。
「え、っと…つまり………」
 この紋章を提げることができる者など、限られている。ミルガウス王家の人間か、それに匹敵する高位の人間か…
「え…」
 ミルガウスの王家は、黒髪に漆黒の瞳を持つ者が大半とされるし、金髪の家系は確か混ざっていないはず、…だとしたら。
「………」
 ティナは恐る恐る振り返った。
 件の男は、丁度火を消し終わったところだった。時間にすれば、一分もかかっていないだろう。『普通の魔法使い(無属性継承者)』にできる技ではない。
「ま、まさか…しかも属性継承者だったりするわけ…」
 棒読みの単語をただ口に乗せる。
 『属性継承者』。つまりは、属性に選ばれた人間のことだ。そこら辺に転がっている魔法使い――総じて無属性継承者とは、比べ物にならないくらい強い。桁違いに強い。
「そんなのあり…?」
 聞こえているのかいないのか、男は自然体で振り返った。
「…で」
 腕を組んで、
「誰が何きどりだって?」
「っ………」
 ティナは一瞬押し黙った。
「や、やばいよぉ、ティナ…」
 隣の相棒の台詞にもとっさに返事できなかった。――でもしかしだからと言って。この男にやりこめられてのは何となく絶対にいやだった。
 腕を組んで、男に真正面から対峙する。こういうときは余裕を見せてやらないと。キザな男に負けないように、こちらもばさりと髪を払う。
「ふ…」
「何がおかしい」
「あんたがどれだけオエライのかは知らないけどねえ、…自分がどれだけ非常識か分かってるの?」
「ほう」
 ちょっと待て、そのお方は――とか何とか。真っ白になる兵士二人を尻目に、しかし当の青年は、面白そうに目を細めた。
「まがりなりにミルガウス(ここ)の人間だったら、何が何でも神殿第一でしょ? 燃えてる神殿放っといて、開口一番なあにが『お前らか』よ、おかしいんじゃない? いや、絶対おかしいわ」
「…消火の間に逃げられても困る」
「しつっこいわねえ。あたしらじゃないって言ってんでしょ?」
「お前らじゃない、という確証もないが」
「そ、それはそうだけれども!! …そ、それにねえ。千歩妥協して、仮に何かとんでもない間違いが起こって、あんたがこの国の官僚だったとしても、なんで、それがこんな街中ふらふらしてんのよ。大体ミルガウスで金髪って何なの! ホント何気取りなの! 実はさすらいの吟遊詩人なんでしょ、そうなんでしょ」
「意味不明だな」
「ふ。何とでも言いなさい」
「じゃあ、言わせてもらおうか」
「な、何よ…」
 ティナの言葉に、ごく冷静な――悪く言えば切り捨てるような――返答しかしなかった男が、初めてその視線の色をわずかに変えた。
 奇妙な圧迫感を感じて、思わず言葉を切ったティナに、男は至極淡々と告げた。
「貴君らに、王城へ同行を要請する」
「なっ、だから横暴だって…」
「お前、バカか。放火云々を置いておいても、この国の領地内で、千年竜に仇なす人間を、素通りさせるわけにはいかないだろうが」
「私は、あんたに文句言ってるだけで、別に千年竜に仇なんかなしてないわよ!!」
「申し開きは、王城の審議の場で思う存分するんだな」
「し、審議って…」
「不敬罪のついでに、『鏡の神殿』放火の件についてもたっぷり聞いてやる。楽しみにしておけ」
「な、ななな!」
「一応、強制連行だけはしないでおいてやるよ。だが、応じなければ、ミルガウス王国の息のかかった場所で、今後生きていけると思うなよ」
「ななななな!!」
 男の言葉は、屁理屈以外の何物でもない。何となくだが、ティナにはそれが確信できた。
 そもそも、本当にティナたちが放火犯確定疑いようもなく真っ黒ならば、それこそ有無を言わさず『強制連行』してしまえばいいのだ。それを、敢えて『同行を要請』だの何だの言うのは、向こうにも確信がない何よりの証拠ではないか。
「口から出まかせもいい加減に…!!」
「なぜ逃げようとした?」
「!」
「自らに後ろ暗いところがないなら、なぜ最初にその場を離れようとしたんだ?」
「ぐっ…」
 透徹の光でまっすぐに射抜かれて、ティナは次の反論を根こそぎ封じられてしまった。
「分かったわよ、誰にも文句のない場で、きっちり無実を証明してやるから、そしたらあんた、泣いて土下座して詫びなさいよ…!!」
「望むところだ」
 結局、お腹すいたと口をとがらせる相棒と一緒に、ミルガウス城に『任意同行』される羽目になってしまった。

 だが、悲劇は終わらなかった。
「残念だな」
 文句を言いながらも牢屋に入った二人のもとへ昼間の男がやって来たのは、夜もだいぶ更けた頃だった。
 ティナが何か言いかけるのを制する。いっそ残酷なほどに淡々と言葉を紡いでいく。
「不敬罪はともかく、ただの放火なら禁固程度で済んだんだがな。あの後神殿を調べてみた」
 それから、男は言葉を切った。
 薄暗い牢の、ほの暗い蝋燭の炎がただ時を刻んでいく。沈黙がやがて耐え切れなくなって、ティナは思わず首を傾げた。
「…で?」
「『闇の石版』が消失した。王国はお前らを犯人とほぼ断定。それを覆せなければ」
「覆せなければ?」
 唾を呑み込む。
 無意識に、懐の二つの石版の欠片を握り締めていた。
 この地上と、他の二つの世界を分かつ結界、『石版』。天界との境界を果たしていた『光の石版』はおよそ百年前の『大空白時代』にすでに失われ、残る『闇の石版』も、大空白時代の直後に砕け散った。五十年程前に再び全て揃ったらしいが、七つに砕けた欠片の一つ一つが意志をもってしまい、いつまた砕け散らんとも分からない状態だったらしい。それが起こってしまったのが、今から十年程前だったか。
 天と地と地が精神世界で一点に交わる地がある。それが『鏡の神殿』だ。『石版』はそこに安置され、『鏡の神殿』を護るものとして、ミルガウス王国が存在する。――当然、王国は、必死に石版を集めた。
 今ではほとんどの欠片が集まっている、と聞く。
 その欠片が…盗まれた。
「どうなるの?」
 聞いたものの、予想はしていた。
 『欠片一枚につき、金貨千枚。』
 欠片を獲得した者に対して、王国が提示した額だ。十年遊び呆けておつりがくる――そんな額だ、ティナのような冒険を生業にしている人間にとっては。つまりはそれほどに危険で、それほどに大切なものだ、ということだ。
 それほどまでに大切なものを盗んだ人間に対しては――
「極刑だ」
 陰鬱な響きが石牢を這いまくる。
 分かっているのかいないのか、クルスは沈黙している。
 予想はしていた。
 それでもティナは息を呑み込んだ。
 背を戦慄が駆け抜けていく中で、
(何で、こんなことになっちゃうのよ…)
 ああ、あたしが一体何をした、と、彼女は呆然と考えていた。

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