不可抗力。
この言葉の恐ろしさを、齢十七にして、初めてティナは悟ったのであった。
■
結局どうにも断ることが出来ず、ティナとクルスは護衛を引き受けてしまった。その相手は、前シルヴェア王国最後の国王にして、現ミルガウス王国初代国王ドゥレヴァの直系の姫君、アベル王女だ。
十年前の事故により、男子の王位継承者を全員亡くしてしまったシルヴェア王国は、男子のみしか王となれない旧王国の制度を嫌い、女子も王位を継承できるという条件のみを付け加え、後は旧王国の制度を全て踏襲した、ミルガウス王国へと移行した。別に革命が起こったわけでも、王が何らかの理由により淘汰されたわけでもないから、特に名前が変わったくらいにしか認識されていないし、事実そのようだった。
考えてみれば、この『ミルガウス王国』、時代は遡ること云百年、第一次天地対戦後に『ソエラ朝』が建国されてから、名称は変わっているものの、実質王国が絶えたことも、王家が断続したことも無い。それでいて、いつの時代も変わらず栄えているんだから、化け物としか呼びようが無い国だ。そんな国に、そんな国に、まさか、関わってしまうことになろうとは…。
(…しかも、王女の護衛…)
石版集めにどれほどの年月がかかってしまうのやら。ちなみに、闇の石版が砕け散ってしまってから、ティナ達が新たな欠片をミルガウスにもたらすまでに、どう控えめに見ても十年は経っている。
犯人が誰で、どこに逃げたのか知らないが、どう見積もっても十年を下回る予想は立てられなかった。
十年。
十年も、王女の護衛。
さらにその上、あの男が付いて来るというではないか!
(……脱走しようかしら)
豪華な客室に事実上閉じ込められていながらも、ふと、空の青さに目が行ってしまう。…ここから飛び降りたら骨何本かしらね…。
「……ナ」
「……もちろん、治療費は王国に請求してやる…」
「ティナ! ティーナっ! 聞いてる?」
耳元がなにやら騒がしい。
横目にして視界を移すと、栗色の髪が揺れていた。その向こうには、ミルガウス城の下働きらしい人間が控えている。二種の視線が困ったようにこちらを伺っていた。
「…ん? 何よクルス。今あたしは人生のたそがれを感じてるんだから、ジャマしないでよ」
「そーじゃなくってさ。お城の人が、必要な装備があれば、言ってくれって。別に、何も無いよね…」
「翼」
「………は?」
「誰もあたしを追って来られないような、究極の翼の生えた足」
「ティ、ティナ……?」
「冗談よ」
わりと本気だけど。
相棒に怯えたような瞳を向けられて、ティナは取り繕うようににっこりと笑いを返した。
神経質そうにめがねをかけた痩身の青年に向かって、旅に必要と思われるものをつらつらと挙げていく。
ついでに高価な魔法道具や薬草も要求しておいた。
実は、その青年の胸にも千年竜の紋章が揺れていたのだが、ティナは気付かなかった。
「とりあえず、このくらいで。すぐに手に入らないものは現地調達できますから、無理にじゃなくてだいじょうぶです」
立ち尽くす彼にひらひら手を振ると、先方は丁寧に一礼をして退室していった。
「……それにしても暇よねえ」
見送ってから、肩を竦める。
「うにゅ〜。腹減った〜」
「ハイハイ。何か頼めば? 持ってきてくれるわよ」
相棒の泣き言を適当にあしらって、彼女は思い切り伸びをした。
出立は一週間後だという。
どうせ時間もあるしやる事も無いし、一眠りでもするか、と彼女は天幕付きのベッドに向かった。
■
――同時刻。ミルガウスの国境線。
「異常なし」
日は西に微かに傾きかけ、しかしまだかなり強い日差しが平原を遍く照らしている頃、定期的な見回りを終えて、見張りは首を軽く回した。
第一大陸の二大勢力、中心部のミルガウス王国と、北方のゼルリア王国。
つい最近までは軽い戦争状態になっていたこともあり、見晴らしのあまりにいいこの国境線には長く城壁が張り巡らされ、ちょっとした緊張状態が続いていたが、現在は静かなものだ。『両国間を流れる地下水脈を国境線に』などという取り決めの所為で、この見渡す限りのミルガウス・ゼルリア平原には、人気も無い。遥か彼方――緩衝地帯の向こう側にゼルリア王国側が築いた同じような城壁が微かに連なっているのが見渡されるくらいか。
もともと平和な場所なので、そんなに兵が割かれている場所でもない。時々行商人の隊列が通るほかは同僚以外に話す相手もいない。こんな日は、家族が恋しくなってどうもいけない。
見張りが、思わず苦く笑ったところだった。
「おーい」
城壁の上で風を浴びていた彼にだろう…――かけられる声がする。
「ん?」
城壁の内側――ミルガウス王国領地内から、こちらに手を振る男が一人。
「通してくれないか。急いでいるんだ」
フードを目深にかぶった男だった。清涼な声音が耳に心地よく響く。まだ若いだろう。…しかし、一人でこんな場所に。
「…一応、話を聞くか」
傍の同僚と目線を重ね、彼は手で合図をし、城門を開け放った。
下に行き、身分証明書の提示を求める。
金糸をフードの下から覗かせた青年は、青い瞳を真っ直ぐこちらに放ってきた。
「すまないな。急いでいるものでな」
「…一人旅かい。ここらの魔物は強くて物騒だ。大体みんな馬車を使っていくのに…余程腕に自信があるんだねえ」
「いいや? それほどでもないさ」
「謙遜するねえ」
人に会うのは珍しい。つい話し込んでしまう。
相手は、くつくつと笑った。
「…本当に腕に自信がないんだ。…だから、『空間』を渡って一気に行こうと思っていたんだが…。さすが、魔法大国、ミルガウス。国境に対空間魔法の防護壁が張ってある。並みの術じゃ…通れない。俺のも所詮あの方の『真似事』だからな。見事に引っかかってしまった」
何か、話の雲行きがおかしい。
空間? 防護魔法?
「………。あんた…」
警戒から声が低くなる。
相手は、軽く肩を竦めた。
「ああ、すまない、身分証明書の提示だったな。…ほらよ」
身構える暇も、逃げる隙も無かった。
白光が翻り、そのまま見張りの意識は飛んだ。
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