――???
彼女は突っ立っていた。
平原。見渡す限りのだだっ広い平野。
その平野を横切るように、長く東西に突っ切る城壁が見える。
(ゼルリアと、ミルガウスの)
国境線。
城砦にたなびく国旗はミルガウスのもの。だとしたら、彼女が立っているのはミルガウス側らしい。
納得するティナの目前の情景が、不意に途切れた。
次に映ったのは…
「ぎゃあぁああああああ!!!」
「たす、助けてくれ…! い、命だけでも、いいからっ…」
「うわあぁああああああ!!」
赤い、赤い、鮮血の乱舞。
(!?)
ティナは目を疑った。
国境に配属された兵士たちだろうか…次々に倒れていく。
誰にやられた? 一体どうして?
兵士たちと対峙しているのは、フードを目深にかぶった男だった。
正確に繰り出される白刃が、次々と命を消していく。
(………っ!)
ティナは思わず、口を覆った。
彼女の足元に倒れ伏した兵士が、虚空をつかんで何か言いかける。それが女性の名前だと言うことを悟って、ティナは深く目を閉じた。
「………悪いな。まあ、どうせ行き着く先は同じだ。先に休むと良い」
そんな声が耳に届く。
(…え?)
彼女は別の理由で息を呑んだ。どこかで聞いた声音だ。
清涼な音色。
思わず遣った視線の先で、フードの男は最後の凶刃と最後の断末魔を奏で終えた。
「石版の生贄として…」
(…!?)
フードの内側から、金のきらめきが零れる。
それから、静かな湖面を思わせる、青い瞳も…
(………)
誰、と思い浮かべる前に意識は浮上を始めた。抗えない現実への誘いに必死に逆らい、彼女はフードのその奥に視線を凝らす。
夢と現実の狭間、一瞬重なり合ったその容貌は、確かに、彼女が町人Fと呼ぶ青年のものだった。
「!?」
「ティ、ティナ!? 大丈夫?うなされてたけど…」
歪んだ視界が、やがて贅をつくした天幕をぼんやりと映す。
目覚めは最悪だった。
自分たちに当てられた豪華な客室の中で、静かな光景に包まれて、ティナは思わず自分の肩を抱きしめていた。
窓から差し込む光の赤はまるで血のように、彼女には思えた。
■
事態がいきなり変動したのは、その日の夕方過ぎ…宵闇が窓の外に立ち込めはじめた頃だった。
部屋の外がいきなり騒がしくなったかと思うと、慌しく、例の男が入室してきた。
何事かと問う暇もなかった。
開口一番彼は告げた。
「突然だが明朝発つ。準備を整えておいてくれ」
「…何かあったの?」
ティナは震えを押し込めて問うた。
先ほどの夢が蘇る。
拳を握って、答えを待った。
「………」
男は暫く黙っていた。はぐらかすような態度はその中になかった。
「…国境がある人間により突破された。守備隊は全滅」
「………!?」
思わず口元を覆っていた。
それを別の意味での衝撃と受け取ったのだろう。静かな調子で男は続ける。
「石版強奪の犯人だと思われる。今日では、むしろ王位継承者たちの準備が整わない。それで、明日、日が昇り次第、発つ」
「王位継承者の準備って…! まだ、そんなこと言って…」
「俺も辟易しているが…。文句は国王陛下に言うんだな」
「っ………」
唇を噛んで、ティナは押し黙った。
あの夢が、国境で起こったすべての真実を見せたとは思わない。決して思わない。――それでも。断末魔の絶叫が。愛するものを求めて虚空を掻いた手が。血風の乱舞が。
今でも瞼の裏に鮮やかに描き出されて、思わず拳に力を込めた。
「ティナ…」
「………」
相棒が気遣うように覗き込んだが、男は何も言わなかった。
用は済んだとばかりそのまま踵を返し、扉に向かう。
耳に残る、木霊する。
絶叫。断末魔。
立ち込める血臭。
拡大していく死臭。
正確無比に繰り出されていた白刃の主の顔が浮かんで、彼女は無意識に目の前の背を見つめていた。
「ねえ、ちょっと…」
渇いた喉を伝った声は、意外と冷静だった。
振り返ると思っていなかったが、相手は半身でこちらを見る。首筋で結わえた金髪が、風でふわりと舞った。
「あんたさ…。変なこと言うようなんだけど…。今日、ずっとこの城に居たわよねえ?」
「? ああ」
「うん。ありがと」
我ながらばかげた事だとは思いながら、それでも安堵の息が漏れた。
男はそのまま扉に向かい、今度こそ出て行った。
■
「………」
部屋を後にして、カイオス・レリュードは壁にもたれかかった。
城の最奥の廊下だ。滅多なことで人の通ることは無い。
それをいい事に、彼は、深々とため息をついた。
「ダグラス・セントア・ブルグレア…」
冷静そのものの音が唇を伝っていく。
握る拳だけが、小さく震えていた。
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