――ミルガウス城 城内
――迷ってしまった。
(…どーしようかしらねえ)
ティナはぽりぽり頬をかいた。
その場のノリであまり深く考えずに出てきてしまったは良いものの。
あまりに無駄に広い城内を適当に彷徨っているうちにどうやら現在位置まで把握できなくなってしまった。これでは元居た部屋にも帰れそうに無い。
(…このまま、逃げちゃおうかしら)
迷っていたら、逃走経路もおぼつかないのだが、そんなことは今の彼女の頭に無い。
(…あーまじで、Fでも何でもこの際良いから、出てきてあたしをたすけてちょーだいっっ)
迷子になったら動くな、と言う。
とりあえず今更いろんな意味で無意味な行為な気がしたが、立ち止まって、腕を組んでみた。
本格的に唸ったところへ。
「ちょっと、あんたここで何してんのよ」
(おう、いきなり人と遭遇☆)
くせのある赤毛にワインレッドの瞳が猫のような少女が、廊下の向こう側からこちらに真っ直ぐ歩いてきた。若い。ティナよりも年下だろうか。
「あー、す、すいません。用を足そうと思っていたら、道に迷っちゃって」
何となく差し障りのなさそうなことをいって頭を掻く。恥ずかしいことに変わりは無かったが。
「…はあ?」
少女は気の強そうな瞳を不信げに細めた。見上げる目つきが厳しくなる。
「こんな城の最奥で? 迷子? …あー、分かった。あなた、石版盗んだって疑われていた人でしょ? トイレは部屋についてた筈だけど?」
「………」
しっっしまったあぁあああ〜
無言で冷や汗を垂れ流しながら、ティナは取りあえず、愛想笑いを返してみる。
「は、ははは…」
「大方、王女の護衛っていう重責に逃げ出そうってところ? あんたらの見張りにまで手が届かなかったからなあ。まあ、気持ちはわからなくは無いけど、石版が絡んでるからねえ、今回は。情報漏らさないように躍起になってんのよ。だから、おとなしくしといた方がいいって。脱走ばれたら首飛ぶだろうから」
「………」
別に、逃げ出そうとしたわけじゃないんだけどなあ。
ティナは別の意味で頬をかいた。
脱走のリスクならいくら彼女にでも分かる。クルスも置いてきたことだし。
「…てことで、部屋にさっさと戻って…」
「…うーん、いや、別に逃げようと思ったわけじゃないんだけどね…」
「?」
「ちょっと外に出たかっただけで…でも、迷っちゃって…」
「いや、それって脱走と同じことだから」
「うん、いやだから…」
「しかも、迷ってたら意味ないでしょうに。…とにかく、戻るわよ。こっち」
少女に手をつかまれたところだった。
「…レイザ。どうかしたの?」
全く異質の声が割りこんできて、二人は同時に音源を辿った。
少女は眉を上げ、ティナは眉をひそめる。
「か、…カオラナ様!」
「…誰?」
カオラナと呼ばれた少女は黒い髪を揺らしながら近づいてきた。
少女――レイザ、と呼ばれたか――はすっと跪くと深く頭を垂れる。ティナの方を伺いながら、
「我がミルガウス王国第三王位継承者、カオラナ様であらせられます」
小声で鋭く告げた。
「へ…」
とっさのことでティナは反応できなかった。
この場合の礼儀作法とは縁の無い人間である。
呆然と突っ立ったまま、結果相手とまじまじと顔を合わせることになってしまう。
「ごきげんよう」
ティナと同い年くらいだろうか…。少女はたおやかに微笑んでみせた。
「カオラナ・セレス・レン・ダ・ミルガウスです」
艶やかな漆黒の髪。黒曜石のごとく輝く瞳。
胸元で、千年竜の国章が揺れる。
そういえば、昨日王の間で尋問を受けた時、傍に控えていた人間たちの中に居たような気がしなくも無い。
そう、そのお方は、魔法協会から紹介を受けたという王国の王位第三継承者にして、お家騒動の原因の一方、その人だった。
「ごめんなさい。旅の支度は整ったのかと思って。事が事だけに人には頼めないからこうしてきたところだったのよ」
柔らかく苦笑した王女にレイザはひたすら縮こまり、ええ、整っております。今からご報告に行こうとしていた折、王女様にご足労いただくとはなんと言う不届き、平にご容赦くださいませ、と謝り倒し、挙句ティナの手を問答無用で引っ張って、有無を言わさず失礼しますと言い残して、ティナが彼女に挨拶する暇もなしに結局別れてしまったのであった。
「………っ。あーびっくりした」
王女の姿が見えなくなったところで、レイザは大きく肩を落とす。
「で、あんたは外に行きたかったんだっけ? まあ、あんな部屋に閉じ込められていたら、ストレスもたまるだろうしねえ。城門までで良かったら、案内するわよ。あたしもそこに用事があるしさ。ただ、散歩には付き添わせてもらうから」
「あー、うん。そりゃどうも」
よく喋る少女だ。あと二十年もすればさぞかし立派なオバタリアンが出来上がることだろう。
ティナは密やかに確信しながらも、話に意識を戻す。
「ああ、そうそう。あたしはレイザ・ミラドーナ。ここの宮廷魔道師やってるの」
「あ、こっちこそ。あたしはティナ・カルナウス。ねえ、ちょっと聞きたいんだけどさ。さっきの人、本当に旅に出るの?」
別に王女をバカにする気は毛頭ないが、アレはどう控えめに見ても深層のお嬢様である。石版集めどころか、普通の旅すらも満足に出来そうにない。
怒り出すかとも思ったが、レイザはあっさりと頷いた。
「そ。ま、同じ境遇だし、喋っちゃうけど、…あたしともう一人…魔法協会の会長を勤めているザイラさん、て人があの方の護衛をすることになってんのよねえ。どうしようかと思うわ、実際。あなたが護衛するのはアベル様の方だけど…まあ、似たようなものなんでしょうけど」
――と言う事は、この少女には王女を護る一翼に任ぜられる実力があるということなのだろうか。人は見かけによらない。
「ははは…」
「せいぜい頑張らなきゃねえ。…て言っても、勝負は見えているんだけどサ」
どこかさっぱりと言い切ったレイザに、ティナは思わず聞き返していた。
「…え?」
「実は、『王女による石版探し』、会議では右大臣様が提案なさったけど、アレ、カオラナ様が右大臣様に頼み込んでそうしてもらったみたいなのよね」
何だか最重要機密っぽいものをあっさり喋っていく。
「つまり、血統から言えばアベル様のほうが王には相応しいんだけど、彼女の王位の正統性を謳うには魔法協会がうるさい。カオラナ様はそのことによって国内が混乱するのを憂慮されて、わざと自分に不利な試練を提案させて負けることによって、それとなく事態を穏便に収めようとしているわけ。石版のことは…こんな言い方すると語弊があるかも知れないけど、『渡りに船』だった、て所かな。ま、タネを知ってた方があなたも動きやすいでしょ?」
「…へえ」
一旦は素直に呟いて、
「…て事は」
事態の重大さに血の気が引く。
「何がなんでも、そのアベル様の方を勝たせないといけないって事じゃない!? 責任重大? 相手に花を持たせる〜とか言って、適当にサボるのとかもなし!?」
「ま、そういうことだから、頑張って〜」
どことなくイイ笑顔で、レイザはひらひらと手を振る。
「…嘘でしょ!?」
呟く間に、どこをどう通ってきたのか、いつの間にか玄関ホールらしき場所まで来ていた。
『魔法大国』の名に恥じず、夜明け前だというのに煌々と魔法光が闇を割いているのはどことなく雄大な光景だった。
「…こっちよ」
見とれる間もなく、手招きされる。
レイザが番兵に軽く会釈し、ティナもそれに倣う。別に咎められることもなく、兵士は扉を開け放ってくれた。
「………」
夜気が風となって肌に触れる。
ひんやりとした感触に思わずため息が漏れた。
同時に耳に届くのは清涼な水の音。
(噴水…?)
明るい城内から、夜明け前の前庭へ――
微かに明けかけた空気は深い藍に淀み、ところどころに設置された魔法光の輝きも全てを照らすには及ばず、所々浮かび上がる風景が幻想的に佇んでいた。
涼やかな噴水、複雑に人工物との融和を果たす植物たち、そして、その向こうにそびえる雄大な門の姿を――
(…これがミルガウス城…)
遥か上空に目線を奪われながら、いまさらその優美を目の当たりにしたようで。
思えば昨日からこの方、この城の美しさを堪能する余裕さえなかった。考えたらもったいないことこの上ない。
後ろで扉が閉められ、彼女はその音に振り返る。
頂に掲げるのは千年竜の国旗。
絶対線対称の造形物『ミルガウス城』は無言の貫禄を湛えて静かに彼女を見下ろしていた。
「…何? 見惚れちゃった?」
レイザが促して、ティナは我に帰った。
「こっちが城門。行くわよ」
「う、うん」
歩き出した背を追って、足早に続く。
城門を護る人間の姿が見えた時、しかし、レイザは凍りついたように、いきなり止まってしまった。
「………」
「? 何、どうしたの?」
「フ。私はね。遠くから、遠くからこっそり眺めるだけでよかったのよ」
「は?」
わけが分からない。ティナは首を傾げたが、レイザはあいにくあっちの世界で浸りまくっている。
「朝の弱い私にとって、それは地獄のような苦しみだったわ。あの方の勤務はだいたいこの時刻、今日は何とか完徹凌いでようやく拝見できるとふんでいたのに、この仕打ち。どうしてっ、どうしてっ」
どうして、門番があの方じゃないのよ〜
よ〜
よ〜
「はあ…」
エコー付きで悔しがるレイザに、ティナはかける言葉もない。
そこに。
「あれ、レイザじゃないか。で、君は、昨日の…」
あまりの絶叫に駆け寄ってきたらしい門番二人のけはい、同時に若い声がティナの背後で響いた。
■
「ああ、あいつなら、旅の準備があるから、今日は俺が代わったんだよ。悪ィな」
「な、…ななななな、何ですってっっ。もういい、あたし帰る! 帰って、寝る! あ、ティナのこと、よろしくお願いいたしますっ。では失礼しますっ」
――といったやり取りの後、レイザは足音荒く、再び城内に消えていってしまったのであった。
「なんだったの、一体…」
呆然と彼女を見送った後、ティナはつい一緒に残された二人の青年を顧みた。どちらも二十代の始めの頃だろうか。闇目では髪の色や目の色までは詳しく分からなかったが、多分どちらも黒だろう。一方は見るからに武官肌、一方は文官肌だった。そして――驚くことに二人の胸には燦然と輝くミルガウスの国章が提げられているではないか。
「…ああ、驚いただろ。えっと、確か…ティナ・カルナウスだったっけ? あの子、あいつのこと好きだから。と言っても、一方的にきゃーきゃー言ってるだけだけど」
「へ、あ、はい…」
武官肌の方のとりなしに、なし崩しの返事を返す。自分の名前を知っている人間は随分限られてくるはず。実際、もう一方の王女の護衛を任されているレイザでさえ、ティナの名を呼べなかった。この城で、自分の顔や名前を知る人物。昨日、王の間での記憶の中で、『随分と若年層の官僚たちだな…』と思ったことを彼女は思い出していた。
間違いない。金髪のあの男の隣りに控えていた、二人だ。
「…ああ、そうそう。俺の名はサリエル。この国の右大臣」と、武官肌。
「で、俺が太政大臣、エルガイズ」と、文官肌。
何だかさらりとものすごい自己紹介をされた気がする。
「は、はあ…。えっと…ティナ・カルナウスです…」
条件反射で返答して、彼女は不意に泣きたくなった。
(…なんで…、なんでそんな人たちが…門番やっていらっしゃるの…っっ)
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