その、高い政治的統率力と、版図の安定、諸国関係の良好さ、そしてそれらが絶対的に安定していることから、『永遠の最盛期』を謳われるミルガウス王国。
その統治を支えるのが、三人の重臣とその配下たちだと言われている。
外交を司る『太政大臣』。
内政を司る『左大臣』。
軍事を司る『右大臣』。
王国が、前朝シルヴェアから、ミルガウスに移行する時に大量の官僚達が入れ替えられ、ほとんどの職が十代から二十代の若者に委ねられたというのは、有名な話だ。しかし、『たかが若造』が率いているくせに、その反映ぶりは全然衰えないところが、この王国の化け物じみているところだろう。
特に現太政大臣は長い間敵国だったアクアヴェイルと、休戦協定にこぎつけたし、右大臣は少し前の北の大国ゼルリアとの抗争で、ゼルリアの軍神、将軍アルフェリアと互角に戦ったと言う。左大臣はこの国の人間じゃないそうだが、これまで王国が唯一不得手だった海運に力を入れ、今のところ、見事成功させているらしい。
でもしかしだからって何故。
「…何で右大臣と太政大臣が門番なんかやってるわけ?」
思わず本音で呟いたティナに、
「「…国王陛下の趣向」」
二人の声調は寸分たがわず一致した。
「ま、一日中やるわけじゃないし」
「たまにはいい気分転換になるよ」
「いいの…? それでいいの…っっ!?」
語尾が『かに』のあの国王、やっぱり本性はちょっとわけの分からない愉快なおっさんだったか…
「だから、時々さっきのレイザちゃんみたいなのが覗きに来たりするんだよな…。俺たちみたいなの結構間近に見れる、滅多にない機会だから」
武官肌――サリエルは軽く肩を竦めた。
二人の様子には、高位の人間が身にまとう威厳やある種の傲慢さのようなものが、一切なかった。どちらかというとティナと同じ、庶民と言われた方がしっくりくる雰囲気をまとっている。
その空気に後押しされて、ティナも思わず普通の調子で応えていた。
「じゃ、さっき、レイザが会いたがってた『あの方』っていうのは…」
「そ」今度は文官肌――エルガイズの方。
「俗にいう三大臣の残りの一人、左大臣。今日はさっきも言ったようにこのサリエルと交代しているが。…しかし君はもう彼には会っているだろう?」
「え、会ってるって…。左大臣様みたいな偉い方なんて、拝見したことも…」
言い掛けて。
「…」
彼女はふと、これまでの行程を顧みてみた。
これまでに『会っている』んだったら、何か、それとなく高官もどきみたいなのが居なかったかしら。
「………」
彼女は軽く混乱した。
そういえば、あの、『鼻持ちならない金髪男』、首から何か国章みたいなヤツを提げてなかったらしらぁ? とか。そういえば、国王様、あいつのことを『カイオス』とかって呼んでいらっしゃったことなかったかしらぁ? とか。
そこまで確認した時、彼女は『ありえない』現実に、不覚にも胸が高鳴ってしまったのである。
「え、え、えっ…まさか、あいつ、あいつが、あいつが!!??」
そう、確かこの国の左大臣殿、御名を『カイオス・レリュード』とか、仰ったのであった。
■
「で、ティナちゃんはどうしてまたこんな所に…。部屋から出られるのはちょっと…」
「ふ、ふふふふふ」
「てぃ、ティナちゃん…?」
サリエルの言葉など、彼女の耳に掠りもしなかった。
そのまま遥か彼方に思いを馳せながら、心の底からの言葉を気前良く大空に向かって放つ。
「あははっ、何、なんなのよ、あれが左大臣!? 左大臣ですって!? 嫌味で、高圧的で、屁理屈ばっか言ってるあの男が、 噂に名高い、賢臣中の賢臣だって言うの!? うそよ、詐欺よ、お詫びして訂正して生まれ変わりなさい、あの吟遊詩人気取り!!」
「「………」」
同僚のあまりの言われ様に、残りの二大臣は揃って顔を見合わせた。
「いや、まあ気持ちは分からんでもないが」
「てゆーか、知らなかったんでしょうかね、彼女? 今まで」
「にしても、気持ちいいほどの言われ様だな」
「ええ。こっちもすっきりするほどの言い様だ」
――ティナはノンブレスで三分間ほど喋りとおした後、流石に酸欠気味になったのか、がっくりと首を垂れて、そして沈黙が訪れた。
「………」
「だ、大丈夫か?」
サリエルの言葉に彼女はまだ息荒く顔を上げる。
ふ…と、どこかニヒルに微笑んで、
「ええ。ごめんなさい。あまりの衝撃にちょっと我を忘れちゃってたの。そう…あまりの衝撃に…」
「そ、そうか」
「取り乱しちゃった…あたしとしたことが」
――既に、何かをなくした人間の眼をしていた。
「ふふ…いまさらだけど、本気で不敬罪でしょっぴかれたらどーしようかしら…」
「まあ、そこの心配は大丈夫だと思うがねえ」
それとなく断定したのはエルガイズ。
「?」
「あいつ、公私は絶対混同しないから」
「へえ、そうなの?」
そもそも、それくらいの分別がないと、『賢臣』なんて呼ばれていないか。
心の中で納得して、彼女はようやく一息ついた。
「はあ…。何か、一気に疲れた〜。やっぱり部屋に帰って寝直そうかしら」
たどり着く前にどうせまた迷ってしまうだろうが。
「部屋…、ああ、そうだティナちゃん、何でそもそも君がこんな所へ? 勝手に出てくるなと言われていたはずだが?」
今度はサリエルが身を乗り出す番だった。
「あ、…そうだった。すいません、ちょっと外の空気が吸いたくなって…。別に逃げようってわけじゃ…」
こうも真面目につめよられたら、流石にばつが悪く、彼女は目線を流して頬をかく。
「そういう問題じゃない」
一方のサリエルはため息を落とした。
彼は、先ほどのレイザとは、別の観点でティナの行為を責めているようだ。
何をどう理由にしようと悪いのは自分だ。それは分かっていたので、彼女は大人しく続きを聞き入れる。
「大体、今回の事はそんな大っぴらにしていいことじゃないんだ。まあ、そこまで厳密に説明してる暇も手間もなかったから、そっちに自覚がないのも無理ないんだろうが」
エルガイズが言い添えて、サリエルが継いだ。
「まあ、レイザがいたからそんな人目にはついていないとは思うが、とにかくティナちゃんたちが通されていたのはおいそれと人が出入りできる場所じゃないし、君たちへの伝達も左大臣自ら来ていただろう? 今なら、その異常さが分かってもらえると思うんだがんだが」
「う、うん…」
そう。あの男がどんなイヤな性格であれ、左大臣というのに間違えなければ、それがティナたちみたいな庶民に自ら言葉を伝えに来る、何て言うのは、確かに尋常ではない。つまりはそれだけ今回のことが大事である、と言うことの表れでもあるのだろう。ひょっとしたら、城の関係者でさえ、ある人間以外石版が盗まれたことを知らされていないんじゃないか、と思われた。雰囲気が緩すぎるのだ。先ほどの番兵にしても、特に張り詰めた様子もなかった。
これはもう、城の高官たちの、情報統制の凄さだろう。
「ごめんなさい…」
素直に頭を下げると、
「まあ、最も、あいつが最初にあの場に居合わせたからこそ良かったんだろうけどな」
ティナの様子に反省の色を読み取ったのか、サリエルの口調が心なし柔らかくなる。
「あいつって…、あの、カイオス・レリュ―ド?」
「そう。もし、通常の手順だったら俺らのところまで情報が届くのに半日かかる。その間に城中国中、混乱が駆け巡っていただろうな。今回は、本当に運が良かった」
「ま、あいつって元から町をうろついていることがあるし。今回はそれがいい方に働いてくれたってことだろ」
さらりと続いた台詞の内容に、彼女は思わず目を剥いた。
「へ?」
思えば最初に『鏡の神殿』で鉢合わせた時、国章首から提げてるような高官がこんなところで何してんのよ、と相手に思いっきりぶちかましてしまったティナ・カルナウスだったが、どうやら本当に町をうろつく習慣があったらしい。
「…いいの? 仕事とか」
「さあ? 滅茶苦茶忙しい時とかたまにフけてるぞ」
いいのか? それでいいのか!? このミルガウスの左大臣が!!
「俺たちの事はうやまっちゃくれないし」
「王女様のことを『くそがき』呼ばわりするし」
次々と飛び出してくる『アンタ、ちょっとそれはやばいだろ』的発言の数々。
「やっぱり…イイ性格してるのね…あいつ」
思わず口から飛び出した本心に、他の二人もしみじみと頷いた。
■
「じゃあ…カイオス・レリュードが王女様の護衛に…て言うのは、結構妥当な話なんだ」
相手方には魔法協会の長と宮廷魔導師がつくのだ。身分的な対抗馬としては、左大臣は確かに申し分ない。
「…でも」
ここで、彼女は恐ろしい事に気付いてしまった。
「左大臣がいなくて、国、大丈夫なの…!?」
何せ、今回のやまは――ティナの見立てによれば――十年はかかる。
十年も国の中枢中の中枢があっさり不在では、いくら『ミルガウス』でも、やばいんじゃないだろうか…
「…ああ、そりゃ多分大丈夫だよ」
答えたのはサリエルだった。
「へ?」
「あいつ、この国の人間じゃないだろ? いつ、何が起きてもいいように、いざって時に自分がいなくても何とかなるような組織体制にしてるみたいだからな」
「ええ!?」
自分が淘汰された時のことまで考えて、国の中枢に涼しい顔で居座っているのか、あの男は。
「…ある意味、ほんとに凄いヤツね…」
しみじみと、呟く。サリエルも少し笑った。
「何処かやっぱりよそよそしい所はあるからな。…常にいつ『左大臣』が抜けてもいいような選択の仕方をしてるよ」
「へえ…」
考えていないようで、意外と考えているのか、あの男。性格は論外だが。
「今回の、王女の護衛も…まあ、他人に任せられることでもないが、自分から申し出たくらいだし」
だから、国の事に関しては、ちゃんと後々のことまで考えてあるのだろう。と、サリエルは締めくくる。
「へえ…」
と、頷きかけて、
「でも…」
ティナはまたもや恐ろしいことに気が付いてしまった。
どれだけ優秀なオカタでいらっしゃるのかは知れないが、あの、カイオス・レリュード、確かに神殿での振る舞いを見ると何かしらの属性継承者であるらしいが、どこをどう頑張っても、所詮は『文官』なんじゃないのか?
「…左大臣が…旅…できるの………」
つまり、護衛対象が実質二人、何てことに…
「ああ。その心配はいらないよ」
今度肩を竦めたのは、エルガイズだ。
「あいつ、結構凄いから」
「へえ、そうなの?」
「ふ…」
なぜか二人は遠い目をした。
一緒にいればいやでも分かるさ…的な雰囲気がその背後に立ち昇っている。
「? それって…」
第二声を放つより、
「いや、しかし…」
サリエルが顎をしゃくったのが先立った。
「今回のあいつは、かなり対応が後手に回ってたなあ」
「? え、そうなの?」
意識がそちらに振れる。
見上げたサリエルは黒い瞳を眇めてみせた。
「ティナちゃんたちが、王の審問の時、自分たちが石版を持っていると告白しただろう? それからして、ありえない」
「?」
「それまでに、どれくらい君らを勾留してたと思う? 調べているだろう。何をしてでも」
最後の台詞をさりげなく強調して、彼は少し口を歪めてみせる。
「でも…。まあ、あたしも調べないかどうか確認してみたけどさ。そんな時間ないって………」
「それは、いつ?」
「審問の前の晩」
「審問まで六時間は軽くあるな」
武官は現実的な見解を述べて、沈黙した。
拷問めいた詰問があの晩不可能ではなかったことが、口調の端にちらりと覗(うかが)われた。
「…」
そう。石版が盗まれて大事になっていたのから。
所在もつかめず混乱していたのなら。
間違いなく、やっておくべき事だったはずだ。
「あいつに、そのこと、聞いてみたのか?」
エルガイズの問いにサリエルは首肯した。
「ええ。うまく言い逃れられましたが」
「…そうか。らしくないな」
「ええ。特に今回みたいな件じゃありえないことですよ」
「………」
二人が何やら話しこんでしまった最中、ティナも自分の思いに浸ってみる。
そうだ。自分が淘汰された時のことまで考えて組織作りをするほど、冷静に物事を分析している彼の事だ。絶対にやりそうにないミスなのに…。
考えられるのは…、あの晩、左大臣がその時に限ってうっかりしていたとか、ティナの美貌に目がくらんで、身体を調べるなんて非道に踏み切れなかったとか、もしくは…
「最初から、あたしらなんて調べても、意味がないって、知っていた…?」
ふと、呟いた独白に彼女は口元を覆った。
夢の中で、国境の兵士たちを切り裂いていった白刃の主が瞼の裏に浮かぶ。
その、瞳の青さも…
「………」
ありえないわね、とやがて彼女は肩を竦めた。考えすぎだ。あの男なら、例えばそんな行動に踏み切ろうと思った時、石版をどうこうしようという野望よりも、それをなすために否が応でも伴うリスクを考える。そんな人間だろう。
「考えすぎよ」
軽く頭を振って、ティナは軽く失笑した。
「っと…もう、こんな時間か。そろそろアベル様がいらっしゃる頃じゃないか?」
会話が一段落ついた頃、空の明け具合をみて、エルガイズが呟いた。
紫に明け行く彼方、微かに黄の光線が覗く。
「…出立は今日だが…おそらくいらっしゃるだろ」
「アベル様…って、この国の王位第二継承者じゃない」
ついでにティナ達が護衛を任されている相手だ。
そんな人間が、こんな時間にこんな所へいらっしゃる?
「ああ、まあ、驚くのも無理は無いか」
肩を上げたのはサリエル。
「俺たちがこんな時間に門番してるのも、彼女のためでもあるんだよ」
必ず毎日いらっしゃるんだけど、一般兵においそれと王女を会わせられないからねえ。と、エルガイズが柔らかく笑った。
「国王陛下も、まあご息女のためでもあるし、自分の趣味と合致した、ていうのもあるんだろうし…」
「とにかく、この時間、毎日ある場所に行かれる。俺たちの一人がそのお供」
「へえ…」
呟いたところに。サリエルが何かに気付いてティナの背後を示す。
わけが分からず軽く眉をあげたところに、
「おはようございますー」
後ろから、少女の声が彼女の耳に届いた。
噴水を背にして喋っていたので、近寄ってくる誰かの気配には気づかなかった。
振り向いた先に、
「あれ? この人、…昨日の…」
昨日王の間で見た女性の一人、十四、五才くらいだろうか、そんな少女がちょこん、と立っていた。王家の血筋が髪と瞳にありありと反映されている。にっこりと笑って、少女は礼を取った。
「はじめまして〜。私、アベルですぅ」
敬語が癖なのだろうか。
傾けた顔の頬を黒髪がさらっていく。
「あ、ティナ・カルナウスです」
この子の護衛すんの…あたし…
慌てて下げた頭の中で、彼女はそんなことを思わずにはいられなかった。
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