「あら、外に散歩? 丁度いいじゃないですか、これから一緒に旅をするんですし。…私、今から行く所があるんですが、良ければ護衛代わりにご一緒してください」
サリエルもエルガイズも反対しなかったので、ティナはアベル王女についてまだ明けやらない街中を抜けていった。
もともと、この時刻に人通りはほとんどない。加えてほとんど人気のない場所を選んで、彼女はどうやら郊外の方を目指しているようだった。
郊外の――更に果て。
灯台のある、岬のほうへ――
「毎日、こんな所まで?」
思わず背にかけた声に、王女は振り向いて笑う。
「はい。日課ですっ」
「でも、アベル王女。それって、危険じゃ…」
「まあ、いつものことですし。ちゃんと護衛もいますし。…あ、ティナさん、私の事はアベルでいいですから。別にため口でも全然構いませんよ」
本気で身分に頓着しない性格らしい。
可愛らしく笑った顔の吐いた台詞に、ティナは思わず唇をなめた。
「え、…いいの? じゃ、遠慮なく…。にしても、本当に遠いわね。疲れない?」
半分は体力のない王女を気遣って、半分はこれからの旅、どーすんのと軽く脅す意味での言葉だったが。
「ええ。大丈夫です。見た目より、ずーっと頑丈ですから、私」
あはは、と笑い返されてしまった。
屈託ない笑みはどことなく陰のあるカオラナ王女よりも、人を惹きつける、とは思う。だが、カオラナが身を引いて彼女がいざ時期王に選出された時、それに相応しいか、と言われれば、ティナは迷わず首を振るだろう。本人たちには失礼極まりないことだろうが。
(…大変ねえ、この国の人たちも)
まったくの他人事と割り切って、彼女は軽く肩を竦めた。
そこに声がかかる。
「ここです」
「…え」
見回しても何もない。
いや、あるにはあるが。
断崖絶壁、目も眩むような遥か下に泡立つ海がざわめいているのが、遠目で微かに覗える。ちらちらと点在しているのは岩礁だろうか。それさえ、この高さからは見分けがつかなかった。
「………」
ティナが目を剥いているのには構わず、アベルはすっと跪いた。
別の意味で目を剥く彼女の耳に、言葉が流れ込んでくる。
聖なる言――祈りの旋律が。
「………」
ティナは立ち尽くした。
それはさっきまでのお気楽な笑顔が、決して見せそうにない類の声音だった。
祈りは風に煽られて遠く響いた。
そのまま暫く時が流れる。
「………はあ。すいませんねぇ。お待たせしちゃって」
彼女は暫くして、はにかむような笑みを見せて立ち上がった。
膝の汚れを払いながら。
「…今日からは旅に出てしまいますカラ。いつもより長めです」
にっこりと笑った。
「…十年前までは、この国にもちゃんと正統な男性の王位継承者がいたんですよ。それも、私とは比べ物にならないくらいデキた人たちが」
…岬からの帰り道。
あえて黙っていたティナに聞かせるように、独白めいた口上をアベルは始めた。
彼女の『日課』――気にはなっていた。しかし、口から漏れる祈りの意味に予想がつかない訳ではなかったし、それが『日課』とどう関係しているのかも、想像出来ないこともなかった。
それでも、耳を傾ける。
アベルはとつとつと語った。
「シルヴェア国第一王位継承者、スヴェルと、第二王位継承者、フェイ。スヴェルお兄様は体が弱かったけど、頭がものすごく良くて、フェイお兄さんは養子だったけど、とても強くて優しくて、悪く言う人なんていませんでした」
知っている。
他国が羨むほどのできだったとティナは小耳に挟んだことがある。
十年前、闇の石版が砕け散ってしまった時、二人とも失われた、そう聞く。
「…なんで、私が『アベル』と名乗っているか、分かりますか?」
急に話を振られて、ティナはちょっと詰まった。
「…さあ」
「ふふ。なかなか変わった名前でしょ? 『アベル』なんて。ホントは、ちゃんとかわいくて抱きしめたいくらいイイ名前がちゃんとあるんですけどね〜」
あははー、と笑う。
「…イマシメ、なんです」
下を向いて、ぽつりと述べた。
「…え………」
「イマシメ、なんですよ」
自分への。
そう言って、少女は微かに笑った。
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