『彼』はただ呟いた。
「サア、『カーニバル』ノ始マリダ」
血色の瞳が空を見つめ、微笑んだ。
「人間ゴトキガ何ヲシヨウト…所詮ハ敵ワナイノサ」
――ソシテコノ僕ニモネ…
「人ハ魔族ニハ勝テナイ。ホントウニ…誰モ彼モ愚カダネ」
■
――ゼルリア王国ゼルリア城。
「ったくたりぃなあ」
アルフェリアは軽く首を回して、肩を竦めた。
見事に鍛え上げられ、ひきしまった体躯の上で無気力と黒い髪に彩られた表情が薄く笑う。二十代の半ば頃だろうか。そこには軽い自信とある種の威厳めいたものがちらりと見え隠れしていた。
青を基調としたぜルリア城の廊下。行き過ぎるたびに頭を下げる守備兵たちに軽く手を上げながら、彼は傍らの人影を顧みる。
「な、ベアトリクス。そー思わね?」
「確かに、突然が過ぎますね」
ベアトリクスと呼ばれ、応えたのは傍らの女性だった。男よりも少し若い。軽く波打つ亜麻色の髪に包まれた顔は文句の付けようもなく美しい部類に配されるだろう。表情を変えようとしないが、紡ぎだす言葉は丁寧だった。癖なのか、頬にかかる髪を軽く後ろへ流した拍子に、女の腰の剣が男のそれに微かに触れた。
「失礼。…しかし」
剣を直しながら彼女は呟く。光の反射が束の宝玉をちらりとかすめた。
絡み合う二本の剣と背後の盾、勝利の女神を模したゼルリア国の国章がその剣柄に輝いている。男のそれも調子を合わせるように微かに光る。
頬の髪を再び払いながら。
「極秘だとか」
「よりによって、あんたと、俺に、なあ」
アルフェリアは多少意味深げに肩を竦めた。応える女の方も、口の端をちらりと上げる。
――四竜。
ゼルリアにはそう呼ばれる人間たちがいた。
ミルガウスの軍隊には本物の竜がいるが、ゼルリアの軍隊には人間の竜が四人いる、と。
白、黒、青、赤――その戦闘の様子を色に当てはめて、彼らを人々はこう呼んだ。そのうちの黒白――彼らはそれに当たる。
「ミルガウスからの飛竜がついたそうですが。…ただ事では無いことだけは確かでしょうね」
「だろーな。…あーマジめんどくせぇ」
男はため息をつき、女は目を細めた。
会話がふっと途切れ、同時に眼前の目的地を護る警備兵が、一礼後、声高に宣言する。
「将軍アルフェリア・ラルバスク・J・フェーダン殿、同じくベアトリクス・レフェーラ殿、いらっしゃいました」
扉が――謁見室の門が静かに押し開いていく。
開け放たれた空間には控えの人間の姿は見えなかった。
人払いをしたのだろう。
ただ事とは思ってはいなかったが、そんなに重大なことなのだろうか。
「………」
二人は厳かに入室し、やがて玉座の前に跪いた。
年若い青年王は淡々と口を開いた。ためらいの色は無いが少々戸惑いの様子は伺えた。
「…先ほどミルガウスよりの使者が着いた。至急のことで突然だが二人には来てもらった」
「…ミルガウスから」
「あの国に何か」
「うむ。闇の石版が…」
「え…」
二人はちらりと目線を交わす。
「失礼ですが…。まさか、あのミルガウスが、何処の者とも知れない賊から石版を守れなかったと仰るのですか?」
アルフェリアの言及は核心を貫いていた。
王はただ頷いた。
「内密の事ゆえ二人にわざわざ来てもらった。ミルガウスの通達によれば、賊は逃走しながら各地で惨劇を巻き起こしながら北上。…しかし、アレントゥムと我が国の境の地域で突然遁走し、それ以来、行方が攫めていないらしい。この情報はミルガウスですら一部の者しか知らぬ。わが国も重々漏洩には気をつけねば」
「では、我が国の警備体制を強化しましょう」
「民には気づかれないように、早速手を打ちます」
「――それなのだがな」
二人の鋭い応答に王は唇をゆがめた。
「聞くところによると、ミルガウス側は左大臣や魔法協会会長御自らが、石版の奪還の任務を申し出、アレントゥム方面に発たれたとか。通達には我が国内に石版簒奪の犯人が紛れていないか探して欲しいと言うことなのだが…。我が国もアレントゥム方面に兵を出さぬわけには行くまい」
「………」
つまり、アレントゥム方面の捜索をミルガウスが行っているにもかかわらず、ゼルリアが行わないのは体裁が悪いし、いざという時、ミルガウスに恩を売るネタにできるから、ということらしい。
「…ということはまさか」
呟くアルフェリア将軍の予感は恐らく的のド真ん中を貫いていたのだろう。隣でベアトリクスも息を詰めている。
「そう。…二人には、極秘でアレントゥム方面に赴き、石版の行方をつかんで欲しい」
「………」
「………」
二人は再び目線を合わせた。
――何年かかるんだよ、この任務…。
互いが同じことを思っていることをひしひしと実感した後、二人の将軍は一糸乱れぬ動きで揃って頭を垂れる。
「御意」
「それから」
「まだ何か」
ゼルリアの王は少々苦笑めいた表情を吐いた。
「いや…。我がおとうと義弟がゼルリアの付近にいるらしいな。不都合があれば協力してもらうといい」
「………」
二人は再び目線を交わした。
やがて双方の表情にも苦笑めいた微笑が上がる。
「御意」
■
――アレントゥム自由市管轄 北セドリア海海上
「いー天気だなあ」
青い空。白い雲。
天気は快晴。波は穏やか。
たなびく髪を爽やかに海風に流し、男は人懐っこい笑みを日に焼けた黄褐色の顔の上に浮かべた。
ふいにひょいっと飛んできた矢を交わし、
「アレントゥムも久しぶりだよなあ。あそこは珍しい石とかあるからな。うん。楽しみだよなあ」
甲板の船べりでひとり空想に耽りまくっている。
「ちょっと」
「料理もうまいし。涼しいから避暑にはもってこいだしな♪」
「ちょっと、ロイド! 船長!!」
「んー? どした? ジェーン?」
船長と呼ばれて、男は振り向いた。その鼻先に人血に光る剣先が躊躇いなく迫る。
「危ねえなあ。あたったらどーすんだよ」
両の手を肩の所まであげて、降参の意を伝えた彼は、それにしては暢気な様子で相手を見遣る。
「何が『どーすんだよ』よ。あなた、今、どーゆー状況か分かって言ってるの?」
「いま?」
詰め寄ってきた長身の女性――ジェーンに言い寄られ、男はふと、自分の周囲を省みてみた。
「うぉりぁあああ!!!! 死ねやこらあ!」
「宝だせっつってんだよう!」
「たかが八人だぜ! 殺せ! さっさと殺せえ!!」
――そんな言葉が聞こえてきた。
「…うーん。襲われてるなあ。よその海賊たちに」
「うちは八人なんだから、あなたもさっさとヤりなさいよ」
ほら、ほら、と剣先で突かれて、彼はしかし、ぽりぽりと頭を掻く。
「いーじゃんか。たまにはサボっても。それにホラ、今日はあいつも闘ってるしヨ」
「関係ない! さっさと行く! …そんなに今日の晩御飯食べたくないの? あんた」
「ううっ」
最後の脅迫文句に男はうめいた。
そのまま、分かったよ、と呟いて、ジェーンの切っ先をひょいっと避ける。
「コックの横暴だ…。職権濫用だ…」
「あなたも似たような理由でサボってたでしょ。今の今まで」
「うーん」
何だかなあ、と呟きながら、男も自分の剣を抜いた。
「手加減しねえからな」
軽く首を回して呟く。
「あ、船長!」
「やるんですかい」
「もっと早く出てきてくれれば俺たち楽だったのによう」
「………」
「一気にいっちまおうぜ!」
彼の参戦に気づいた仲間達が一斉に士気を上げる。
「よしっ」
にかっと彼は笑った。
眼前の敵を一刀で切り倒し、吹き上げる透明な赤い水を、容赦なく辺りに撒き散らす。
「行くぞ、ヤロウどもっ!」
「おお!!!」
駆け出していく男の上、天を貫くマストの帆には、相手への死を宣告する海賊のシンボルが黒々と掲げられていた。
「ロイド!? あんた、あのロイド海賊団の船長か!?」
「うん。そういうことになるかな。悪いなあ、甲板の掃除させちまって」
戦闘が終結を迎えたのは、相手の人数が三分の一ほど地獄に落ちていった頃だった。襲撃した側の船長は、味方の損害に目を剥き、傷一つ負っていない敵に仰天し、頭を垂れて降参し、襲撃の非礼を詫びた。
ふと相手方の名を聞いて、漏らしたのが先ほどの言葉だった。
「…運がなかった」
「そだなあ。前に来た時はこの海、素通り出来たんだけどなあ」
「俺たちだって、来る船来る船全部を襲ってるわけじゃないからな」
「だろうな」
「しかし、あんたみたいなつわものが何だってこんな辺鄙な場所に? アレントゥム相手に戦争でも仕掛けに来たのかい?」
「まさかあ。んなことしねえよ」
ロイドと言う名の眼前の戦鬼は、こだわりなく笑ってみせた。
「仲間がアレントゥムに来た事無えって言うから、寄ってみたんだ。観光だよ」
「へえ、そうかい」
「そうそう。最近来たからな。ウチの副船長」
「副船長」
「そいつ」
くっと示された先には、この人間たちの中にあって、一種異様な風体をした人間がいた。
頭の先から足の先まで、魔術師が良く着るローブに身を包んだ青年だった。表情すら覗えない。それでも、彼は息を詰めた。味方の死人の三分の一程はおそらく、この青年が片付けたと思われる。そして、二百人の猛者(もさ)を黙らせる自分の、剣を折った相手だった、彼は。
「噂の…戦鬼の片腕…かい」
「そうそう♪ これが強いんだ、また」
ロイドの笑みは屈託ないが、男は背筋が冷える思いだった。
何て奴らに喧嘩吹っかけちまったんだろう、オレ。
「…オレの船の宝を持っていけ」
「え? おう、じゃあ、お言葉に甘えてもらうとするよ」
「それから、アレントゥムまで、送ってやるよ。この海域一帯はオレの子分達が仕切ってるからな」
「え? いいのか?」
「ああ。…襲うたびにこんなに殺されてちゃ、敵わねえ…」
「はは。…じゃ、頼むよ」
軽く礼を言っておいてから、ロイドは背後を見遣った。
あくせく甲板掃除する男の部下たちと、ロイドの仲間たちを見て、
「これで穏便にいけるな、アレントゥム」
よかったよ、と、心から喜んでいるような笑みを、素直に浮かべた。
■
――西ゼルリア平原 『デナル村』郊外 キルド族野営地
奇妙な熱気が人々を取り巻いていた。
布を張っただけの、至って簡単な造りのテント。中は大きく二部に分断され、客席と舞台に様相を違えて存在している。
客席は立ち見を作るほどの満員。
その誰もが、一斉に舞台の方へ顔を向けて、固唾を飲んでいる。その、注目の舞台には様々な大芸道具。無造作に置かれたものものの傍で仮面をかぶった人間がおどけた仕種で身体を保ちながら、大玉を絶妙に乗り回す。
「せや、次の出し物行きましょか」
仮面の男が手を広げると、わっと歓声が上がる。
こすり合わされた、白手袋の指と指。
小気味良く鳴り響いた合図と共にそでの方から現れたのは、様々に珍しい動物を連れた少女だった。自分の肉体の倍ほどある熊にまたがって優雅に手を振る。
拍手がそれを歓迎する。
少女は笑って礼を取る――
『キルド族』。
そう言い表される民族がいる。
国家集団に属さない最大の民族。
商いごとを主に生業とし、国家同士の利害に関係なく、世界の物流を古くから操ってきた。海を挟んだ大陸同士の文化の相互伝播はこの民族無しには成り立たない、といって差し支えない。特に、世界の二大大国、『ミルガウス』、『ゼルリア』と、敵対関係を持ち、しかし芸術面で他国の追随を許さない程の高尚さを維持する『アクアヴェイル国』の、建築様式や芸術の流行を世界にもたらし得る存在として、かなりの国々から歓迎されている民族でもある。実際、今日のゼルリア城も、アクアヴェイルで十数年前に生み出された技術や技巧を、多く取り入れていたりする。その代わり、アクアヴェイルの側も、ゼルリアで発明された武器をキルド族から入手して、その武器で当のゼルリア国と小競り合いをしている状況もあったりするのだ。
独特の発音を面白がられて、芸の真似事をすることもある。
様々な国の大道芸や、アクアヴェイルの悲劇をその独特な発音で『滑稽に』演じる様は、大体何処に行ってもウケられるものだった。
「次の稼ぎ時は逃されへんで」
男は呟いた。
薄茶色の髪に、夜色の瞳。
十六才かそこらの少年の面は、真摯に空を映しこみ、風の行く末を探るように、あてなく視線を彷徨わせていた。
テントの中での歓声を腕組みして見遣りながら。
皆が芸に集中する今は、表に人影は無い。
それをいい事に、手近な木の幹に身を預け、腕組みをしたまま、独白を続ける。
「…アレントゥムの…林檎市。第一大陸のかなりの人間がぎょうさん見物に来るさかいな…。俺らキルド族にとっても、稼ぎ時や。当然、いかなな。そう…ぎょうさん、お人が集まるんやね。偶然でなしに、必然に。そろそろ、『予言』の時もせまっとる…あのお人も、逃せへんやろ」
聞くものはいない。
ただ木漏れ日だけが、辺りを光と影とに優しく隔てていた。
「アレントゥム…。歴史と人が出会う町…。ほんまに…ここまで来てもうたんやな」
長かったな。と、抑揚無く呟く声はひ陽の光にいて、脆く、消える。
「長かった…」
瞳を閉じて、男は過去に馳せているようであった。
次に瞳に青空が映りこんだとき、彼はぽつりとその名を口にした。
「長かった…。そうやろ? クルス」
自嘲に口を歪めて、
「『大空白時代』から、およそ百年。ほんまに長かったわ…。クルス…――お前はどんな『必然』に迫られてんやろ」
微かに、微かに、喉の奥で笑った。
|