――ミルガウス城 城門前
ミルガウスの千年竜の国章には実はそれなりの意味がある。
『千年竜』自体は、云百年前の第一次天地対戦が終わった折、それまで地上を統べていたノニエルが自らを二つに裂いた片割れといわれている。その存在はこの地のどこかで世界の時を見守りつづけているのだ。
その千年竜とは全くかけ離れた種であるが、ミルガウスには戦竜部隊がある。竜が一頭居れば馬百頭に相当するが、如何せん維持費は馬の千倍かかる。その飛竜を千頭備えた唯一の王国――千の竜を統べる国…千年竜の国章には、そんな意味があったりする。
「あ、飛竜が出てますね…このまま出発みたいですね。最初から旅の格好してて、良かったです」
「うわ…あれがミルガウスの竜…。近くで見ると壮観ね…」
アベルと連れ立って城に帰ったティナを出迎えたのは、その噂に名高いミルガウスの飛竜だった。
クルスと旅装した町人F――もといカイオス・レリュードがその他数人の男女と共に待っていた。その中にカオラナ王女たちの姿は見えない。出立の時間をずらすか、既に発ってしまったのだろう。クルスの手にはティナの荷物が握られている。雰囲気から察すると、アベルの言葉どおり、そのまま発つらしい。
まさか飛竜を交通手段にするなんて思っていなかったので、ティナは素直に度肝を抜かれた。さすが王家。考えることのスケールが違いすぎる。
「騒ぎが大きくなるといけませんので、王と女王はお呼び致しておりません。このまま発ちますが、よろしいでしょうか」
進み出てアベル王女に申し上げたのは、先ほど門番をしていた文官肌――太政大臣エルガイズだった。
「ええ。構いません。こっちも少し遅くなってしまいましたし」
「いえ。…では、最初の予定通り、飛竜を使って、わが国の国境を越え、緩衝地帯をアレントゥム方面に限界まで進む、そこからは極力目立つ事は控えるということで徒歩で進行する、ということで」
「ええ。アレントゥム側には何と」
「行商目的で飛竜を使う事は、わが国の場合珍しくありません」
「分かりました。…騎手は?」
「彼が」
進み出たのは――何ということだろう。例のカイオス・レリュードだった。
(何…左大臣が…飛竜に乗れんの………?)
ティナはかなり切実に思ったが、周囲は何の問題もなく頷いている。『あいつ結構すごいから』…そう言っていた右大臣の言葉の意味は、そういうことか。なるほど。確かにすごい。…性格は論外だが。
「では、時間も押してございますので」
「はい」
アベルは軽く頷いて、慣れた様子でその背に上っていく。カイオス・レリュードとクルスが続き、最後にティナがおっかなびっくり上っていった。
四人を乗せた竜は、周囲が離れるのを待って、やがて軽く飛翔を始める。
視線は地面から、城門、城壁、そして城の頂にたなびく国旗を経てミルガウスの朝焼けを一望できるまでになる。
「…きれい」
ティナの呟きは風に流れ、そして竜はゆっくりと前進を始めた。
■
そこまでは、良かったのだが。
「へえ。クルスさん、て言うんですか〜。私は、アベルです」
「アベルかあ…変わった名前だねえ。あ、アベルはエライ人だから、おれ、ていねいに喋らなきゃいけないのかな〜?」
「いーえ、いーえ。もう、ため口で結構ですよ〜」
「じゃあ、ふつうにはなしていいんだ〜。アベルは今何才?」
「14才ですよ〜。クルスさんは?」
「おれ? おれは、10才くらいー。ティナは17才くらいーっ。ねー? ティナ…」
うにゃーっとクルスは傍目を振り返る。振り返って…ぎょっとした。
「ティ、ティナ…?」
「ふ…ふふ…ふ」
夜明けのゾンビも真っ青な形相で、飛竜の皮肌にへばりついたティナはくつくつと口の中で笑いを放つ。
「ティナ? だ、大丈夫? 顔色悪いよう」
「あんたら…あんたらよく、こんな揺れる竜の上でフレンドリーに会話してられんわねえ…」
「あー、ティナさん、もしかして、酔っちゃったんですか〜? ふ…よくあることです」
「よくあることだってさ、ティナ! ドンマイ!」
「………くっ」
なんだろう。なにか、非常にバカにされている気がする。
でも、酔っているのは事実なので、そんな傷心のはけ口は別の方向へ進んでしまう。
「そう…そうよ…そこのカイオス・レリュードの操竜技術が未熟なせいなのよ…きっとそうね。そうに違いないわ………」
「…俺の名前、知っていたんだな」
先ほどから淡々と飛竜を操るだけだったカイオス・レリュードは、ティナのふっかけに始めて言葉を返す。
論点は非常に逸れた返事ではあったが。
声には意外そうな響きが微かに含まれていた。
「…ふ。そうなのよ…知っちゃったのよ…今しがた…あんた…何? ホントに左大臣なわけ?」
「肩書きはな」
「へえ、ふーん、そう…」
言い返すにはそんな元気が湧いてこない。
「ふ…ふふ…」
そのまま暫く顔を伏せていた。
クルスとアベルの声だけが耳を掠めていく。
「でも、アベルは王女さまだから、すごいんだろ?」
「あはは〜。ぜんぜん凄くないですよ〜」
「うにゅ? そうなの?」
「ええ。どのくらい凄くないって言いますとねえ…。あ、そうだ、私魔法が全然使えないんですよ〜。魔法大国の王女のクセにねえ」
「ええ!?」
「だから、こんな非力な私を一生懸命守ってくださいね☆」
「ねえねえ、じゃあさあ」
「はい?」
「ダグラス・セントア・ブルグレアとかも、知らないの〜?」
「何言ってんですか! さすがに知ってますよう! アクアヴェイルの宰相で十年くらい前に失踪したんでしたか。無属性魔法発明の権威でしょ? 知らないほうがおかしいですって! バカにしちゃいけません〜」
「うにゅ〜ごめんよ…」
二人のやり取りはだんだん遠くなっていき、いつの間にかティナは寝入っていたらしい。
酔っていても眠れるもので、次にふと目を開けると大分日が昇っていた。
二人は相変わらず喋り倒している。カイオス・レリュードも相変わらず操竜に専念しているようだった。
ふと、ティナは腕の隙間から、目線を零してみた。
眼下は流れる草原が広がっている。
次々と移り変わる情景の果てに、ふと黒々とした線のようなものが見えた気がした。
気のせいでは無い。どんどん近づいてくる――。
口の中で無意識に言葉が零れる。
「ミルガウスの」
(国境線)
地下水脈を国境に定めたせいで、近年の北の大国ゼルリアとの小競り合いの際、東西に長く城壁を巡らせることになったという、国境線だ。連なる蛇の如く終わりを感じさせない人工物は、緩衝地帯を挟んだゼルリア側にも、存在する。『双蛇』。飛竜を駆る者はそれをそう評した。
それを見られるのは嬉しいが。
(よ、酔ってさえなければっっ…)
心境は最悪である。
横の会話が途切れる。
不思議に思って目線を振れると、アベルが十字を切ったのが見えた。
(あ…)
その意味がわかった。
昨日の夢が瞼を過ぎる。
『国境守備隊全滅』。その悲劇の場所なのだ、ここは。
飛竜はぐんぐんと城壁に近づき、そして一瞬で通り過ぎた。
「………」
何となく切ない思いになって、そしてティナは何となくカイオス・レリュードの方を見た。あの日の夢に居た、血飛沫の向こうのその顔の主を…。
(そんなはずないわよね…)
しみじみと感じたその思いは、飛竜酔いで三秒後には泡となった。
■
「着いたぞ」
そっけなくカイオスが言って、飛竜は徐々に下降を始めた。
「わ、もうついたんだ〜早いねえ」
「早いですよ、なんてっ言ったって、飛竜ですもん!」
「歩いたら15日はかかるもんなあ」
「何たって飛竜ですから!!」
クルスとアベルの会話は大体ティナの耳を素通って行っていたが。
「何でもいいから…早く降ろして…」
既に死亡手前のティナである。
やがて緩衝地帯の内側に竜の肢体は降り立った。飛竜の発着所はいつでも活気に満ちている。物と物、人と人が最初に交わる場所。あちこちに簡単な市場まであるくらいだ。市場の出発点。そんな光景の中、誘導に従って降り立ち、カイオス・レリュートが書類を係りの兵士に差し出す。
「………」
助かった…。
何とか昨日溜め込んだご飯を大空からぶちまけないですんだわ…。
震える足で大地を踏みしめ、ティナはぐっと汗を拭う。
残りの少年少女が騒いでいるのに、首を突っ込もうと踵を返しながら、ふと後ろを振り返ってみた。
「…」
壮大なミルガウス・ゼルリア平原がそこにあった。
振り返る。
眼前を突っ切る『双蛇』の一方、ゼルリア側の『国境線』が長く高くそびえていた。
道はここから二つに分かれ、西側のゼルリア王国と、東側のアレントゥム自由市にそれぞれ繋がっていく。
ティナたちはここから、西――つまり、アレントゥム市の方に向かうと聞いている。
「いよいよなのね…」
口の中でティナは呟く。
いよいよここから、石版を追い求める旅が始まっていくのだ。
「さっさと片付けばいいんだけどねえ」
王国のお家騒動がどう絡んで来ようが、ティナ個人がどんなにさぼりたかろうが、闇の石版は地獄と地上の結界を果たしている。
なければ、両世界のバランスが崩れ、魔族が入り込んでくる。十年前に砕け散ってから今までの――そう、現在のこの地上のように。
そんな世の中は住みにくい。
だから、ティナたちも石版集めに協力してきたし、こうなった以上とことん付き合う気でいる。
「…おい、行くぞ」
カイオスが声をかけて、多少慌ててティナは頷いた。
あわてて駆けていく、――開かれた国境の扉の向こうに『アレントゥム自由市』が広がっていた。
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