「…わが身の血よりもなお紅く、逸る星よりなお熱く――」
クルスが駆け出して魔物たちを牽制しているのを横目に、ティナはその言(ことば)を紡いだ。
意識を沈ませて、一言、一言。
呪具の助けも、精霊への加護の求めも無く。
ただ謳う――神が世界を創造するときに紡いだ言――『聖なる言』によりて…
属性の祝福を受けたものに許される、自然の力の使役。
「流転の象徴たる汝が力、我が手に宿りて敵を下せ」
急激に力場が変容していく。
魔力の余波によって風がたわみ、頬を攫っていった。
きらきらと魔力が文様の形を描いては空に解けていく。
螺旋に交わる力の放出。
手のひらに宿った熱の感触に、自然に唇が弧を描いた。
視界の中で、こちらに気づいたらしい獲物が、標的を絞るのが感じられた。…好都合。もっと近づいていらっしゃい…
見る見るうちに距離が狭まる。
相手の空ろな眼球の中に、不敵な笑みを浮かべた女がいるのをはっきり分かるまでに惹きつけておいて、
「…」
吸い込んだ呼気を一瞬止めて裂帛の気迫で放つ。
「炎の矢!!」
瞬間、右手が爆発した――そうとすら、感じられるような、力の放出…一気に解放された力の源流はティナの属性――『火』の形をとって、数十の火矢を晴天に散らせた。
どよめきが大きくなった瞬間、新たな絶叫が生じる。
正確無比に射抜かれて、翼を失った魔物たちが、火だるまになりながら一気に落下し地上に激突する。それで昇天――もとい地獄に舞い戻ってくれたらとっても嬉しいのではあるのだが――
「そーも言ってられないわよね…」
首の骨が折れてもまだ立ち上がる化け物に、人間の常識は通用しない。
先手必勝。
「行くわよ、クルス!」
「うん!」
さすがに、空からの攻撃には逃げ惑うしかなかった人間達も、地面に激突して煙を頭から吐き出しながら徘徊する魔物からは物すごい勢いで逃げていった。
潮が引くように辺りは静かになり、ティナとクルスを残して、人間らしいものは視界から消える。
「ていっ!」
一挙動で間合いを無にした少年の刃が弧を描くのと、ティナの魔法が完成するのが同時だった。
「炎の矢!」
乱闘が始まった。
■
「なーベアトリクス」
黒い髪をかかきあげたアルフェリアを、
「何ですか。アルフェリア」
亜麻色の髪越しにちらりと見やってベアトリクスは応じる。
「…着いて早々――なんなんだろーな、コレ」
「日頃の貴方の行いが悪いせいでは」
「な、…全部オレの所為かよっ」
「心当たりでも?」
「ちっ…ねぇよ」
アレントゥムのおける石版の探索という、嘘のような冗談のような、ゼルリア王の密命を受けて十日…――伴も連れずにゼルリアきっての将軍が二人、慎ましやかな道中を経て、アレントゥムの城壁が見えてきたと思ったら、風が運ぶは、黒煙と血の臭気――
馬に乗ったまま愕然と立ち尽くしたのも数瞬、同時に手綱を操り、駿馬は地を蹴って街を目指す。
「人が集まってるとこには、普通寄ってこねえよなあ!」
「そのはずですが」
「ただごとじゃねえ」
「あるいは――」
「あ?」
「街にまとまった石版があるのかも」
「なるほど。ま、まずはあいつら片そうや。話はそれからにしよーぜ」
言葉を交わす間に、みるみると迫り来る城壁、街に入ろうと押し寄せる魔物の黒い波と決死の形相で拒もうとする人間、その拮抗が崩れかけたと見えたとき、アルフェリアの剣が抜き打ちざま最初の一匹を地に沈めた。間髪置かず、ベアトリクスの一閃が陽光を弾く。
思わぬ敵の出現に場がしばし色めき立った。
歓喜と、動揺。
数十の下級魔物の、魔族特有の赫い瞳が、一斉に馬にまたがった二人の人間を凝視する。
「ざっと、50か…。上等」
「この分だと、他の門も危ないですね。私は西門に回ります」
「おう。じゃあまた後で会おうぜ」
「お互いに」
にやりと笑って、アルフェリアは同僚を見送った。
黒い髪に飛び散った返り血が、陽の光を暗く照り返していた。
■
「うおっ何なんだ〜!?」
「海から魔物が…」
「乗り込んできやがる!」
「空からも来るぞ!」
港も混乱に包まれていた。
さすがに街中のような絶叫はないが、空と海からの侵攻に悩まされ続ける船乗り達の恐怖は並大抵のものではない。
ロイドたちの船でも例外ではなかった。
鮮血にまみれた『戦利品』を携えて、船長と副船長が帰船を果たしたのはつい先ほど、『戦利品』を船内に運んだ副船長とコックが姿を消した直後に、『それ』は起こった。
波がざわめいたような感覚。
直後、船底を海中から何かが引っかくような音と伴に、それまで静かに凪いでいた午後の海面が、にわかに荒れた。
海に棲む魔物。
最初の絶叫は誰が上げたか。
次の瞬間には、一斉に応戦体制に入っていた。
とっさの事とはいえ、海の魔物に驚いていては、海のオトコは務まらない。
だが、そんな屈強な野郎どもも震撼せざるを得なかった。
空からの追撃。
各々獲物は手にしているが、とにかく数が多い。斬っても斬っても、文字通り、『湧いてくる』。
「けどま、ここで食い止めなきゃ、街の方まで入っちまうし」
気楽に笑うロイドの周りにも、既に死体の山が黒々と積まれていた。
「やらなきゃやられちまうし、一石二鳥だなっ」
「俺たち海賊なのによお、これじゃまるで『イイ人』ねぇか」
口を尖らせた仲間の一人ににっと笑い返して、
「いーじゃんよ。たまには、イイコトしても」
「さっきも変なガキ拾ってくるし」
「あれは特別」
「お頭、副船長にはあまいもんなあ」
「バカ言え、おまえもだろーが」
屍だけが累々と重なっていく。
(まずいかな〜)
余裕の笑みの裏で、のんびりとロイドは呟いた。
船べりに手を掛けた一匹を魔物の黒い体液に染まりぬいた刃先で一掃する。
身体を翻した拍子に、汗が視界をゆがめた。
今はまだいい。
だが、いずれは人間達は力尽きるだろう。
それまでに魔物たちが尽きるか。
全然尽きるとは思われなかった。
その時、船内への扉が開き、長身の女性とローブが吐き出される。
「おー、ジェーン、副船長。あの子供、どーだ」
「今は眠ってるわ」
「ならいいや」
「それよか、こっち手伝ってくれよ」
「キリがないんだ!」
元が八人の船である。二人が抜けただけでも戦力的に厳しい。
他の船員がたたみかけたところで、長身の女性――ジェーンは眉をひそめ、副船長は一瞬姿勢を崩した。
刹那の間に屍が増える。
髪に散った返り血を指先で払いながら、
「…一体どーゆーことよ」
ジェーンはロイドに詰め寄る。
「さーオレ達にもさっぱり」
「急に波が騒がしくなったと思ったら」
「いきなりコレだ」
「…何とか、一気に片付けられればいいんだが――」
「手はある」
『ホントか!?』
ぼそりと呟いた副船長の呟きに全員が身を乗り出す。
「廃船とありったけの油、後は火種」
淡々と吐かれた言葉に何か暴力的な響きを感じて、一同は思わず聞き返した。
『それってまさか…』
こっくり。
ローブは無情に頷く。
「要は防げばいいんだろ。――『風』が味方する」
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