太古の昔、三つの種族が各々の『世界』で、暮らしていた。
天使『イオス』の統治する天界と。
魔王『カオス』の統治する地界と。
そして、時の神『ノニエル』が統治する地上。
神に見守られた天界、地界の文明は、やがて命さえも操り得るほどの大文明へと発展していく。
一方の地上は、神の願い――いつまでも、地上の人々が純粋で平和であれ――の下に、『感情』を持たぬ『ヒト』が暮らしていた。
三つの世界は『天と地と地』が精神世界でただ一点で交わる『聖地』でつながっていたが、その時代、三世界の交流は天界で罪を犯した者が地界に送られる以外にそれといってなかったと言う。
ただ、それは、確かに楽園だった。
絶妙な均衡の下で、三種族は確かに共存を果たしていた。
しかし、長い時の経過と大文明と言う名の甘美な麻薬は、いつしか天使たちに傲慢を起こさせていくことになる。
特に地界の魔族たちに対するものだったその感情はいつしか憎しみへと発展し、それを受ける魔族たちの精神を徐々に蝕んでいった。
純粋であったがため、憎しみを受けつづけた魔族たちは、やがてそれを『快楽』として受ける術を身に付けていく。やがて、それでも天使たちの憎しみをその身に受けきれなくなった時、彼らは自我を失い、本能のまま、大群をうって天へなだれ込もうとした。天界もそれらを迎え撃つべく軍を送った。
両者は地上で激突した。
第一次天地対戦である。
命を操り得る文明同士の激突。その悲劇は、地上世界の大陸の半分を消し去り、やがて、イオスとカオスの魂を地上に散らせ、それでも戦火は衰える気配を見せなかった。神はあまりの惨状に大戦最中でその御身をお隠しに成ってしまい、神にすら見捨てられた、天界と地界双方の長無き戦局は混乱を極め、意味すら打ち捨てられた戦いの中、しかし、その無為を悟った一部の者たちによって、一つの転機が訪れる。天界、地界において、四属の要素(エレメント)を司りし『四天使』、『四魔族』。かれらは己が命を賭して、天界と地界、そして地上がただ一点で交わる地、『聖地』に結界を張り、三世界の完全な分裂をもたらす事で、戦争の継続に終止符を打とうとしたのだ。三世界は、結界によって完全に分離した。そして、分断された地の集う唯一の接点――聖地に顕れた結界の要石として、天界側の『光の石版』と、地界側の『闇の石版』が彼の地に眠ることになったのである。四属性を司りし彼らの魂は『神剣』に封ぜられ、彼らの肉体の死滅によって地上に彷徨い出てしまった四属性の力の流動を人知れず操り保つ存在となる。
三世界の分断――その結果として、多くの天使や魔族が地上に取り残されることとなった。
特に天使たちは、大戦の全ての根源として『絶対者』としての神から厳しく断罪を受け、天界に戻ること二度とあたわず、地上に彷徨い人間たちから迫害を加えられるものとなっていった。
地界の魔族たちも、もはや失われた理性は取り戻すことができず、地上に残った者たちは絶えず人とせめぎ合い、ここに、三種族の入り乱れる混沌とした戦闘状態が生まれることとなったのである。
第一次天地大戦後――ここから、人間の『時』が始まるとされている。
大戦前は感情を持たぬものとして『時』の制約の下、神の庇護に包まれて暮らしていたこの者たちは、戦争の恐怖とその解放による、『感情』の――ひいては『自我』の獲得を成し遂げた。
彼らの『時』を縛っていたノニエルは、己の役割の終わりを感じ、自らの身を半分に引き裂き、一つを『千年竜』、もうひとつを『不死鳥』として、時の『監督者』から、『傍観者』へと姿を変えた。
それまでは天使や魔族が支配していた属性を、人間が操れるようになった。『属性継承者』の誕生だ。特に『光・闇』の属性に『選ばれた』二属性継承者、『地水火風』の四属性に『選ばれた』四属性継承者、そして、それに順ずる『氷雷炎』の三属性に『選ばれた』三属性継承者たち。――前二者の存在はやがて訪れる『大空白時代』の前後から、その存在が伝説化していくが、特にこの三者は高位継承者として他の属性継承者たちに比べても、比類なき力を有したという。
ただ、『属性』に見初められ、その力を操り得ることは、ある種の特権であった。
ある選ばれた者だけが操り得たこの力は、徐々に他の人間によって模倣されていき、『属性魔法』に対する『無属性魔法』も開発されていくこととなる。
そして、石版の眠る聖地に人が集まりやがて形成されていった、後の未曾有の大帝国の基となる『ソエラ朝』の成立。
人間の文明の幕開け。
感情を持ち得なかった純粋な民族は、自分たちの純粋で無知であった過去を『先史』――神話の時代として封印し、己の時を謳歌し始めたのである。
しかし、その最中、今もまだ、神話――すなわち、太古の『歴史』と、『人』が出会える場所が存在する。
世の繁栄が不自然に東に偏った世界。
世界の半分が消滅した世界地図。
遥か東の海上には、『島々の残骸』と呼ばれる廃大陸の欠片が不気味に突き出し、船の行く手を阻むという。
そして、あまりに深い大戦の傷跡を伝える、世界各地の大戦遺跡――
アレントゥム自由市。
その町は、大戦が巻き起こした遺跡の眠る、その悲劇の場所に建てられた。
遺跡が人を呼んだのか、人が遺跡に呼ばれたのか、それを知る者はない。
アレントゥム自由市。
『ミルガウス』、『ゼルリア』という、世界の二大大国に隣接しながら、なおも自治を貫く特異な存在。
それは、第一次天地対戦の際に、イオスとカオスが互いの身体を刺し貫いて果てた、正にその場所だった。
■
「着いた! 見えた! アレントウムの城壁よっ!!」
「やりましたネ! ティナさん! これまでの道中、何度駄目だとおもったか…よよよ」
「何よ、アベル。あんた今まで一人であたしらがあくせくしてんの、優雅に傍観してたくせにっ」
「いやデス、誤解デス、ティナさん! 無力なあたしは一人、皆さんの無事をお祈りして…」
「ティナーティナー♪ オレ腹減った〜」
「クルスあんた、それしか言ってないわねこの三日! どーせなら、後ろの食べちゃってよ!」
「えー? そんなことしたら、オレお腹壊しちゃうよお」
「クルスさん…一日十食間食八回の人の言う台詞じゃないですよ、それ」
「えー? そう?」
「にしても、しつこいわねえ! ちょっと、カイオス、あんた、か弱い乙女のために、囮になって来なさい! 亡骸は拾ってあげるからっっ」
「断る」
「かーっ。今までたって大して戦いの役に立ってない癖に!! 身を挺してたまには乙女を助けなさいよ!」
「どこにそんなものが?」
「カイオス、その言葉、さりげにあたしも乙女にカウントしていませんね…?」
「………」
彼らは走っていた。
全力疾走、先の見えない体力勝負。
年も若い男女四人、団子になって一目散に一心不乱、人気の無く薄暗い森の中を形振り構わず駆け抜けまくっている。
その後ろ、ティナの剣の間合いの三倍くらいの位置に、きっちりと付いて離れない、本日のレースの第二群、有象無象の下級魔族の面々が、これまた決死の形相で人間たちを逃すまいとへばり付いていた。
アレントゥム中の野良魔族が一致団結全員集合したんじゃないかと疑いたくなるような、見事な大同団結に、いちいち相手にしている暇は無い、と逃げ始めて優に一時間は経っただろうか。
もちろん、こんな事態、異常に決まっている。人の滅多に通らない森の中を敢えて進んで来たのも、その所為だった。
ただ、原因の方ははっきりしていた。ティナが懐に持っている、石版二枚。
思えば、ティナとクルスが石版をミルガウスに届けに来て、何の因果か石版を安置する鏡の神殿放火犯として抑留された日から、今日で五日も経っていないのだったか。聖地にて、地上と地獄とを分断する結界の、その要石、石版。十年前に砕け散ってしまったそれを、聖地の守護国とも言うべき存在であるミルガウス王国は、世界中に触れを出して必死に回収して回った。ティナたちがもたらすはずだった石版が、そのいくつ目に当たるのかは、彼女は知らない。しかし、それまでに回収され王国に安置されていたはずの石版は、何という間の良さであろう、ティナたちがミルガウスにやってきた日に何者かに盗まれてしまったというのだ。たまたまその場に居合わせたと言うことで、石版の盗人扱いをされた挙句、その濡れ衣が解けてほっとしたのも束の間、石版が盗まれてしまったという情報の漏洩を防ぐため、かなり強引に王国が行うという石版探しに付き合わされることになってしまった。しかも、王家の王位争いも絡んでいる、というおまけ付きで、である。
ティナたちに今回の事を依頼した男は、――これがまたどうしようもないことに、ミルガウス王国の若き左大臣であったりしたのだが――石版を探す旅に出掛けるに際し、変わらずティナたちが石版を持っているようにと言った。その時は特に逆らう事も無く、それこそ二つ返事で承諾してしまったのだが――
(ちょっと後悔…)
失念していた…。
この石版、要は物すごい力の結晶なのである。厳密に言えば、物すごい力の結晶を容れるその器、と言うことになるのか…。
実は、石版が砕け散ってしまった、ということ事態は、人間史にとって始めての事ではない。百年以上も前――俗に言う『大空白時代』の後、突如として砕け散ってしまっている。その時砕けた欠片は七つ。余りのことに回収が滞ったその間に、欠片の一つ一つが負の思念を集め、やがては意思を持ち、『七君主』と称される存在へと成長していった。凄絶な犠牲の果てに、ある石版は七君主と切り離され、七君主は独立した存在となり、またある欠片は七君主をその内側に押さえ込まれて、再び『結界の要石』となり、ミルガウス――当時のシルヴェア国の『鏡の神殿』に安置されるに至った。といっても、随分と不安定な状態だったらしく、結局五十年も経たないうちに再び砕け散ってしまうのではあるけれども。
ただ、元々そういう負に属するものを集めやすい石である。
魔族さんたち大好き、なブツなのである。
ゆえに。
(…なーんーでーあたしがこんな目にー!?)
体力の権化(というか、それ以外に取り柄の無い)下級魔族さんたちと、サドンデスの鬼ごっこ、と言う事態になってしまいかねなかったりするのだ。
そういえば、事の発端も、ミルガウスに石版を届けに行こうとしていた最中、下級魔族に追い回されて、わけも分からず鏡の神殿の方に迷い込んでいてしまった…なんてことだった気がする。
(おのれ石版…)
あんたなんかだいっ嫌いだ。
心の中で叫んでも、後ろの魔族には聞こえない。
まあただ、下級魔族たちも、どういうわけか人の集住しているような場所の付近には決して寄ってこないので、町に逃げ込んでしまいさえすれば大丈夫なのだが…。
(あともう少し…)
思えば、飛竜にて緩衝地帯の内側に降り立ったのは三日前。
日々到来するゴブリンだの、デーモンだの、スライムだのに対し、専ら前線で戦ってきたティナなのである。
護衛対象の御方がたは――半ば強引な野宿に文句一つこぼさず、今日のように、一時間ぶっ通しで走り続けても根を上げない根性は大したものだとは思うが、――アベルは普段専ら戦力にならないし、あの、傲岸不遜なカイオス・レリュードも、斬り合いとなるとさすがに静観を決め込んでいた。その彼は、何度かティナたちが防ぎ切れなかった魔族を斬ったことはあるが、その剣の腕前も、せいぜい中の上といったところか。並みの冒険者よりは使えるかも知れない。ただ、それが限界だろう。この、由緒正しいミルガウス流の剣術の使い手には、実践を経たものでないとなかなか身につかない戦いの勘――鋭さのようなものがどうしても欠けていた。所詮は官僚。ティナはそう見た。クルスに二人の事は任せていたが、とにかく相手の数が多い。ひたすらに蹴散らすも、後から後から湧いてくる下等生物どもに、何度エグめの魔法をぶちかましてやりたいと思ったことだろう。
(よく我慢した…っっ。よく我慢したわあたし)
ああ、無事にアレントゥムに到着した暁には、自分で自分を褒めてあげたい。
ぐっと密かに拳を握り締める。
同時に、隣でアベルがあ、と漏らした。
「ティナさん、後ろの魔族さんたちが」
「ん?」
気配が希薄になった。
眼前に森の出口と――アレントゥムに至る街道への合流点が光の点となって微かに宿る。
徐々に大きくなる光、差し込む白光が魔を散らすかのごとく、一歩ごとに背後の気配は散っていった。
「…着いた」
やがて、明るい日差しの下に彼らは居た。
りんご祭りが近い所為か、随分と人で賑わった街道。いくつもの馬車が前後に連なって、人々を追い越しながら次々に吸い込まれていく石壁の、歴史を感じさせるその重みはアレントゥムへの誘いを旅に疲れた人間たちの目に焼き付ける。
アレントゥム自由市。
国家集団に属さない、最大の自治都市の、天空を駆け抜ける自由な風は、道行く人まで愉快にさせる。
祭りの前の高揚にも包まれた、『歴史と人が出会う』町は、華やいだ明るさに包まれて、あらゆる人々を迎え入れていた。
|