Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 アレントゥム自由市 
* * *
 町は高揚とした活気に包まれていた。
 りんご祭りが近い所為か、旅装の人間たちの姿が目立つし、国家集団に属さない最大の流浪民族、『キルド族』らしき異装が、国元の商人たちに交ざって威勢の良い宣伝文句を朗々と謳い上げている。りんご祭りで、お得意の大道芸を披露するらしい。おどけた仕種と独特のイントネーションが喧騒の中に一層際立っていた。
 警備兵の見回りの数も、ティナが以前クルスと訪れてみた時とは格段に違って増えている印象を受ける。あの時は丁度観光客が少ない時期だったのだ。祭りが本格的に始まってくると、その数ももっと増えてくるのだろうが。
「ティナさん、ティナさん」
 傍から服を引かれて、ティナが振り返ると、黒い瞳を好奇心にいっぱい見開いて、アベルが仰天したように囁いてきた。
「港の方に、海賊船が停泊していますよ!!」
 言外に、何で誰も官吏に告発しようとしないのか、という不可思議さがちらりと滲んでいた。ああ、とティナはただ笑う。
「だって、ここ、自由市だもん」
「…へ?」
「商船を襲ったり、略奪行為をしなきゃ大丈夫なのよ。ただし、もしそういう変なことしたら、即刻叩き出されるけど」
 自由市が栄えているのは、こういう側面の所為でもある。
 あらゆる人間たちの緩衝地帯。
 遺跡観光を呼び物にしている手前、治安にはなかなか注意を払っているようだが、特に揉め事を起こさなければ多少の悪人には目を瞑ってくれる。国家の干渉もこの町には届かない。
「ふえ…。そうなんですか?」
「うん。…だから、そこのカイオスも、この町に目を付けたんじゃないかしらね」
 石版を盗んだ犯人が誰であろうと、この町は誰彼関係なく受け入れる。アレントゥムの外壁はあらゆる『人間』を無条件で通すのだ。逆に、しばらく潜伏して過ごすには絶好の場所だった。…それだけに、今回祭りの時期に当たってしまったのは、不運としか言いようが無いが。――そういうことなんでしょ、とちらりと視線で攫った相手は特にこちらを見ようともしなかった。何か言い掛けて、肩透かしを食らってしまうのは、この男相手に珍しいことでもなくなっていた。アベルに意識を戻して続ける。
「まあ…だからっていっても、やっぱり奴隷とかかなり酷い扱いされてたり、…『混血児』が迷い込んでくることも多いみたいなんだけど」
「………」
 反応は、前者の現状より、後者の単語に集中した。
 アベルは不快そうに眉をひそめ、町に着いたら着いたで、さっそく果物を頬張っていたクルスも、耳に入ったその言葉に嫌悪の眼差しを放ってくる。カイオスだけは、無反応ではあったが。
「ティナさん…。そういうモノのこと、口にするのは止めていただけません?」
「あ……うん。ごめん、つい、ね」
「飯がマヅくなっちったよう。ティナは変なところでムシンケイなんだからさあ」
「はいはい、あんたはちょっとは食べ物控えたら?」
「うぅ…」
 クルスはうな垂れてしまった。
 それを傍目にアベルは余程収まりがつかないのか、眉を曇らせて唇を尖らせる。
「自由市も困りものなんですね。そういうモノと、鉢合わせるかも知れないんですか?」
「あたしが前来た時は町外れのほうで騒ぎがあったみたいだけど。…まあ、こんなに人が多かったら、鉢合わせする前に、締め出されちゃうわよ」
「いっそ、そんなモノ、無くなってしまったら良いのに」
 真剣に呟いたアベルの表情は、本気の嫌悪に染まっていた。
 思うだけでも不快なのか、悪寒を抑えるように両肘を抱いて、黒色の美しい瞳をちらりとカイオスの方に放る。
「カイオス、あたし、疲れちゃいました。宿に行きませんか?」
「ああ」
 カイオスは逆らわずに頷いて、ちらりとティナたちの方を見る。
 一応の同意を求めているのだと気づいて、ティナは軽く肩を竦めた。
「よく考えたら、ずっと走りっ放しだったのよねえ」
「おれはそろそろ小腹が空いてきた」
 クルスもおもむろに述べて、四人は足を宿探しに向けたのであった。


「アレントゥムの自治政府に連絡を入れてない!?」
 ティナは思わず目の前に腰掛けた男の顔をまじまじと凝視していた
 祭りの前だったが、運良く宿はすぐに見つかって、ティナと同室のアベルは部屋に着くなりさすがに疲れていたのか、さっそくベッドに潜り込んでしまった。
 今後のことを話そうと男部屋の方に出向いて、言葉を交わすこと三言。思わず彼女は呻いてしまった。
 この祭りの時期に自由市政府の助けも借りずにどうやって石版を持った人間を見つけようというのか。
 悪いが正気の沙汰じゃない。
「じゃあ、どうやって石版持った人間を探し出すつもりなのよ。せめて政府には知らせないと…」
 半ば呆れて口を開けば、そっけない沈黙にいなされる。睨み付けるとため息混じりに答えが返ってきた。
「…何のために今まで黙ってきたと思っている」
「――だけど」
 二人のやり取りをクルスが交互に見やって眉をひそめている。それを傍目にティナは唇を噛んだ。
 大体が、必ずしもこの町に石版を盗んだ人間がいると言うわけではない。だが、いるという可能性はかなり高いのだ。もし仮にこの町に潜伏していたとして、祭りに紛れてどうにでも行方はくらますことができるではないか。
 一刻も早い措置が必要なことなのではないのか。可能性があるならあらゆる手段を使うべきじゃないのか。少なくとも、町に着いて見通しが立たない現状よりは、少しでも先に進めるように行動するべきじゃないのか。だとしたら、今更極秘事項もへったくれも無い。
「…言いたい事は分かるがな」
 ティナの表情から言葉を汲み取ったらしい。
 カイオスは軽く肩をすくめた。
「仮に自由市の政府に通達したところで、結局何もできないだろ。まさか非常事態だからといって町にいる人間を一人一人調べるわけにもいかないしな」
「…そうだけど」
「ついでに、自治都市の政府の人間は、町に住んでいる人間の中から交代で選ばれるんだ。政府にだけ通達したとしても、すぐに町中に広がる。今は特に祭りがあるだろ。世界各地から人間が集まっているからな。すぐに世界中にも広がる。――戦闘能力を持たない人間の恐怖が、どんなものか、想像つくだろ」
「………」
「ミルガウスは、この事を大体の国に通達してないからな。国も下の混乱に対して後手に回らざるを得ない。通達をしなかったこちらの責任も問われる。――要は、いろいろと不都合なんだよ」
「…うん」
 そこまで理路整然と並べ立てられたら、反論できない。
 で、話は最初に戻る。
「…じゃあ、何も手がかりがないままで、どうやって石版を盗んだ人間を見つけるのよ」
「…」
 カイオスは確かに言いあぐねた。
 その口が音を紡ぐよりも、ティナが次の一言を浮かべるよりも早く、
「…ねえねえ」
 クルスがおずおずと口を挟んだ。
「…」
「何よ、クルス。今取り込み中…」
 子供は黙ってろといわんばかりの表情の二人に向けて、
「オレ、思ったんだけどさあ」
 うー、と首を竦めながらも上目遣いに続ける。
「石版は、魔族をひきつけるんだよねえ。じゃあ、オレ達が今まで追いかけられてたみたいにさあ、その犯人も、きっと魔族に追いかけられたんだよねえ」
「…まあ、そうねえ」
「じゃあ、うわさになってるんじゃないかなあ。…そういうことが」
「………」
 ああ、確かに。と頷くティナの向かいで、
「だが、結局町に入ったら特定できないだろ」
 カイオスはあっさりと言い捨てる。
「そっかあ…」
 話を邪魔してごめん、とふさふさの薄茶の髪が揺れた時。
 窓の外が不意に騒がしくなった。

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