Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 アレントゥム自由市 
* * *
 ――アレントゥム西北通り



「やっぱこの時期のアレントゥムはにぎやかでいいナ♪」
 にかっと笑って褐色肌の男――ロイドは、肩を並べてあるくローブの人間の方を見下ろした。
「りんご祭りが始まると、もっとにぎやかになるんだぞ♪」
「…へえ」
 返ってきた返答はそっけなく短い。
 それでもロイドは満足げに頷く。
 もともと無口なこの仲間の声が聞かれることは彼であっても滅多にない。
 連れだって歩いていく、どう見ても、ばりばりの海の男と、どう見ても、得体の知れないローブの男という一種異様な組み合わせも、アレントゥムの雑多な人通りの中にあっては、特に目立つものでもなかった。
 ロイドの実態は海賊の頭であり、従って当然のように賞金首ではあるが、特にこの町の中に在っては狼藉を働かない限り咎められることはないし、頼んでもないのに因縁を吹っかけられることもない。
今回は、事の始まりのあたりからツキが良かった。船の副船長――ロイドの隣で沈黙しているローブの男のことではあるが、――が、りんご祭りを見たことがないと言うので、近くに来てみたついでの寄港。セドリア海一帯を縄張りとしている海賊に急襲を受けてしまったものの、難なく返り討ちにし、あまつさえ、港まで送ってもらってしまった。
 いくらアレントゥムが自由だと言え、いきなり知らぬ顔の海賊船が港に現れれば、当然警戒される。アレントゥムの港の不備なところは、いわゆる『裏口』からの入港ができないところだった。と言っても、例え港でミルガウスやゼルリアの海軍船と鉢合わせることがあったところで大して咎め立てされることもないのではあるが。当然自由市の側に敵意がないかどうか嫌となるほど調べつくされるのは覚悟の上だったが、今回は、案内の海賊が口を利いてくれたお陰で、そこの辺りも穏便に事を運ぶことができた。
「儲けたな♪」
 どこか意気揚々とした男の傍らで、ローブの男はひたすらに冷めた雰囲気をまとい続けている。
 ロイドは大して気にした風でもなかった。親しげに続ける。
「そうそう、なんでアレントゥムのこの祭りが『りんご祭り』なのかって言うとな、第一次天地大戦が終わった時に、最初にここに生った果物がりんごだったんだ。で、昔の人は感動して、りんごがとれると祭りをするようになったんだよ」
「………」
「祭りが始まるとすげえんだぞ。オレが前に見たときは、化け物みたいにでかいりんごの模型を作って町中引きずって歩いてたからな。結構爆笑もんだぞ? キルド族の連中が、またサービスいいんだ、これが」
「…へえ」
 元々祭りが好きな気質なのか、くったくなく人好きのする笑みを浮かべて喋るロイドの表情は明るい。
 反対にどこまでも暗い雰囲気を纏った隣の男は、
「………」
 ごくたまに思い出したように口を開く他は、黙って耳を傾けているだけだった。
 そのローブが、微かに首を傾げたように、ロイドの方を仰ぐ。
「…で」
「んー?」
「何で俺の買い物にロイドが付いてくるんだ?」
「だって、お前この町始めてだろ? 刀剣のいい店、教えてやるよ」
「………ありがとう」
「いやいや♪」
 二人は連れ立って歩いていく。
 やがてその耳にざわめきを裂いて、喧騒が遠く聞こえた。
「ん…なんか騒ぎかな…」
「………」
 やがて二人の足が止まった。
 人だかりは二重三重に弧を描き、時折大きく空を裂く悲鳴じみた叫びが、自由市の端々に広がっていく。
「混血児だ!!!」
 ロイドは眉をひそめ、ローブは後退さる。
 人の囲みの向こう側、立ち並ぶ足の隙間の間で、五歳くらいの子供が這いつくばっていた。


「混血児だ!!!」
 その叫びを聞いたとき、ジュレスは丁度昼食を済ませ、飲食店の扉をくぐったところだった。
 品も何もなくただ圧巻の威勢をもって人々の間に浸透していくダミ声に別に心を動かされたわけではなかったが。
(………さすが自由市ですわね)
 この町を訪れたのは、かれこれ四日前。
 罪な美貌の所為だったのだかどうだか、象に始まり、猿、豚、牛、カバと雑種多様様々な珍獣に路地に引き入れられては全種丁重に、かつ優雅にぶちのめしてきた彼女である。
 ここまで来て、まさか『珍獣』中の『珍獣』、混血児にお目にかかれる事になるとは思わなかった。
「化け物め…」
「死んでしまえ…」
 ダミ声に対する反応は大別して二つ。
 『珍獣』を一目見ようと早速駆け出していく輩と、無関心を装いながらも激しい憎悪の一言をポツリと漏らして知らぬ顔を決め込む輩と。――そして、これがおそらく世界中のあわゆる人間に共通する、『混血児』に対する正常な反応だった。
 その中で、興味も偽りの無関心も抱こうとしないジュレスは、しかし、自分が道理に外れた人間だと思ってはいない。
 それは、自らの境遇に頼むところも確かにあったし、人間達が、その『珍獣』に対してもたらす『天罰』は、非常に直視し難いものがあった。
「………」
 胸の中で古傷が痛む音がした。
 彼女は聞かなかった振りをした。
 そして喧騒から遠ざかるように、足早に去っていった。


(…バカな子)
 ウェイの場合は避けようがなかった。
 この町に着いたのはかれこれ四日前。
 その美貌の罪な美しさの所為だったのだかどうだか、熊に始まり、獅子、狸、狐と種々様々な珍妙な造形をした人々に、絡まれ連れ込まれはったおして今に至る今日この頃、まさか道を歩いているその真ん前を『混血児』が横切るとは思わなかった。
「あ…」
 思わず呟いたときには、遅かった。
 どこから入り込んだのだろう。
 銀の髪、藍の瞳、天使の力を有する者の証。
 『混血児』。
 とっさに伸ばした手は、たちまち何人もの人間に阻まれて、子供には届かなかった。
 ふらふらと倒れこんだ姿が、最後、目に焼きついた刹那、最初の絶叫が空気を割く。
「っ………」
 ウェイに背中を見せた人間達の誰かが、例外なく持ち寄った刃物の一つが、おそらく子供を貫いたのだ。
 悲鳴は続いた。
 長く続いた。
 第二撃、第三撃も容赦はなかった。
 苦しめ、苦しめ、苦しめ、苦しめ…――
 第一次転地大戦でお前らが俺たちにもたらした恐怖を味わうがいい…っっ
「………」
 体は動かなかった。
 人は後から後から増え、その惨状を一目見ようと身体が押し出されそうになり、彼女は必死にこらえた。
 逃げることもできなかった。
 ただ人の背中越しに、悲鳴が次第に弱々しく衰えていくのをただ聞いていた。
(バカな子…)
 噛み締めるように、彼女は思った。
 血の臭いが彼女の過去と相成って、咽かえるようだった。


「町の西北の方で混血児が出たらしい」
 窓の外の喧騒に一旦話を止めておいて、ティナたちが宿を一歩飛び出した瞬間、耳に入り込んできたざわめきは一様にその事を滲ませていた。
 息を呑んだティナの後ろでクルスが思い切り舌を出す。
 混血児。
 その言葉が連想させる姿態と、それに伴うであろう赫い情景に。ティナは思わず息を止めた。
「…ティナがさっき口に出したから、寄せて来られちゃったんだよう」
 混血児なんて…、と口を尖らせた少年の呟きに、ティナの方は一瞬で我に帰って思わず突っ込む。
「…なわけないでしょ」
「だって、呪われてるしさ」
「まー天使を寄生させてるなんて確かにあんまり正気とは思えないけど」
 『混血児』とは、第一次天地大戦の折、その傲慢を神に疎まれて天界に居られなくなった天使が、人間に寄生――のような事をして出来た人間らしい。
 天使が取り付くまでは普通の人間の造形をしてはいるが、一度憑かれると一様に銀髪藍眼となってしまうという。そんな容姿なもんだから、目立つ目立つ。
 その上、地上を蹂躙した天使の寄生を受け入れたのが、現大陸に『流入』して来ていた『異民族』なものだったから、なお悪かった。
 混血児自体は結構短命らしいのだが、混血児に憑いた天使の精神体は、よく分からない原理で子々孫々受け継がれていくらしい。
 嫌なものに嫌なもの、という感じで間違って見かけられでもすると、第一次天地大戦からかなりの時を経た今でも、半死半生の憂き目に遭ってしまう。さらに良いんだか悪いんだか意見が分かれるのだろうが、この混血児、寄生した天使のありがた迷惑な自己再生力のお陰で、血まみれの細切れが生き返ったりするものだから、さらなる地獄を味わう事ともなるのだった。ただ、そんな混血児のほうも、嫌なことを経験していく内に身体がいい加減根を上げるのか、ある程度の年になると自身の髪と瞳の色を自在に操る能力を身につけていくと言う。
 ――と言う事で、大体、この手の殺戮の餌食にされるのは、自身で銀髪藍眼を変幻させる事の出来ない、ほんの子供になってしまうのだった。
「小さい子が血まみれになってんのは、あんまり嬉しい光景じゃないからさ」
「ティナはいっつもそういう…。大丈夫だよ。どんなになっても、すぐに元に戻るんだしさ」
「まあ、そりゃそーなんだけど」
「バカだよねえ。わざわざこんな所に出てくるなんて」
 頭わるいんじゃないの〜? と小生意気にも食べ物の粕だらけの口を尖らせたクルスは、次の食べ物を口に運ぶ。
「あんたにだけはバカとか言われたくないわ」
「うにゅ〜。いーんだよう。混血児だし」
「やー。混血児が気の毒でたまんないわよ、ホント」
 肩を竦めて、ティナは何気なく右斜め背後をちらりと盗み見た。
 先ほどから何一言として言葉を喋ろうとしないミルガウスの左大臣は、その青い瞳に、混血児をはっ倒そうと現場に殺到する町の人々を淡々と移しこんでいた。
 男も女も子供も老人も、――奴隷さえもが、先を争うように殺到していく――そんな光景に対して、特に表情を変えようともしない…――凪のような顔面が微かに揺れ、刹那、喧騒に紛れた声音が届く。
「…祭りの直前か…。いい頃合で現れたな」
 独白――しかし、何となくその言葉がティナの耳に残った。
「これで、祭りの最中に町中の奴隷の気も落ち着く…か。用意周到なことだ」
「………」
 何を言おうとしているのか。
 聞きかけた口は音を生み出さなかった。
 多分、答えは得られない…漠然とした確信がティナの好奇心を曖昧に牽制する。
「…ナ、ティナ、オレも行ってみたいかも〜」
 傍らの相棒の声に、引き戻された。
「んー、クルス、あんた趣味悪いわよ」
「だってー」
「それに、一応あたしら護衛じゃない。勝手出来ないって」
「………そーだった気がしてきた」
「ったく…」
 アベルも部屋で寝てるんだし。戻るわよ。と率先して踵を返して、ティナは湧き上がる街から目を背けた。

 しかし、悪夢の始まりはこれからだった。

「…え、アベル…?」
 宿の自室に戻って、呆然とした。
 壁に立て掛けた荷物。寝乱れたベッド。
 寝息を立てていた筈の王女の姿だけが、忽然と消えていた。

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