Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 裏切りの枉曲 
* * *
 『それ』はくつくつと笑った。
「石版ガ、六ツソロウカ…」
 血玉の瞳は、虚空を見つめていた。
 来るべき未来を見据え…――そして、それに酔っている者の微笑だった。


――アレントゥム自由市大通り


「何か…最近さんざんだわ」
 あれからすぐにアルフェリア達と別れたティナとクルスは、空に張った結界の内に閉じ込められた魔物の残党狩りに追われていた。
 それも今はほとんど片付き、後は街に魔族が残っていないか、最終確認をするのみとなっている。
 そんなわけで、混乱は大分収まっていたが、未だに街に人影はない。ほっと気の抜けたような、しかし閑散とした空間が、いつもは人で賑わっているはずの大通りを所在無く漂っていた。
「さんざんって?」
 二人きりの大通りに少年の声が響いてむなしく反響を繰り返す。ティナは肩を竦めて相棒を見やった。
「人がせっかく石版をわざわざミルガウスに運んでやったのに、どこかの左大臣に絡まれるわ、牢屋にぶち込まれるわ、挙句の果てに王女の護衛をさせられるわ、しかも、王女は消えた挙句、魔物は街に振ってくるわ…」
 つらつらと挙げ連ねる口元が、うんざりしたように釣り下がっていく。これだけろくでもないことに見舞われるのも、珍しいといえば珍しい。だだ、いつもは状況に対して意地でも弱音を吐くティナではないのだが、今回に限っては、何かしら胸の内が穏やかでなかった。
 王女の石版探しへの同行――ここに至るまでは、まあ特に『運が悪かった』の一言で苦笑して見過ごすことが出来るものではある。
 しかし、その後の事態については――
「なんかさ…ぞっとしないのよね。まるで…」
「まるで踊らされてるみたい?」
「………」
 後を継いだクルスのお気楽な言葉は、深々と辺りに吸い込まれて消えた。
 ティナは応えなかった。
 道端に目を逸らす。りんご祭りのために、早くから仕入れていたのだろう――形のいいりんごが、折からの騒ぎで道の半ばまで転がり散っていた。
 足元の一つを何気なく手に取る。
 つややかな果実は、無残に潰れていた。
「だってさ…おかしいでしょ。あたしらが二つの石版手にするまでにどんだけかかったと思ってんの…」
「………どんだけだったっけ?」
「二年よ二年。最初の石版に半年、もう一つに一年半!」
「うん。そんな気がしてきたよ」
「大体、手がかりつかむほうが、手に入れるのよりも、何っっっ十倍も苦労したじゃない。それをあの左大臣、あっさり場所を特定してみせた…」
 石版を盗んだヤツは、何のためか、国境の人間を皆殺しにしている。さもそちらへ逃げたと知らせるように。
 そして、――カイオス・レリュードの言うには――いきなり忽然と消息を絶ったらしい。
「人の出入りの多い所に隠れるってまあ、よく分かる理屈なんだけどさ。何か…強引過ぎないかな、とは思ってたわけ。しかも、着いたら着いたで、あの男、何も動こうとはしなかったし」
「…でもさあ、結局魔物が攻めてきて、石版がまとめて近くにありそうってことで、当たりだったじゃん♪」
「…なんだけどね」
 結果だけ見れば、クルスの言うとおりに納得できる。
 だが、ティナは、やっぱりどこか納得できなかった。理屈じゃない。――勘がそう言い張る。
「大体、カイオスみたいなのが、本当に最初から、他の街に犯人いるかもしれない可能性あっさりきっぱり捨てる事ができたのかな、と思って」
「…でも、石版が盗まれちゃったとか、あんまり言いふらしちゃいけないんだろ? ミルガウスでも知ってる人あんまいないって聞いたし、仕方なかったんじゃない?」
「なんだけどね…」
 手の中のりんごを無意味にもてあそぶ。
「ティナの言うこと聞いてるとさ…」
 クルスがぽつりと呟いた。
 横目で追う。
「ん?」
「まるで、カイオスが、なんかたくらんでるみたいに聞こえる…」
「まさかそんな…」
 笑いかけた口が、

――………悪いな。まあ、どうせ行き着く先は同じだ。先に休むと良い。

 凍りついた。
「………」
「ティナ…」
「んー、あ、ごめん。実はミルガウスの城にいた時、変な夢見ちゃって、あの左大臣が、兵士を…」
 ミルガウスの兵士を虐殺して、笑ってる夢。
「………」
「ティナ…」
「………いや…何でも、ない」
「ティナ、大丈夫? 顔が真っ青だよ」
「………」
 心配そうに覗き込んだクルスの視線を、ティナは受け止める事が出来なかった。
 乱れそうになる息を整えて、暴れる鼓動を慰める。
「なんでもない…」
 なんでもない…あれは、ただの夢なのだから。
「………。ティナは時々変な夢、見るんだもんな…」
 口を尖らせたクルスに向かって、やっと苦笑めいた表情(かお)を向けた。
「そーね。ま、寝つきが悪かったんでしょ」
「…変と言えばさあ、俺、ちょっと思ったんだけど、カイオスの手…」
「は? なに、あいつの…」
 眉をひそめた瞬間だった。
「俺がどうかしたのか?」
 いきなり割り込んできた、涼やかな声に二人の心臓が、冗談抜きで跳ね上がる。
『!?』
 ばっと振り向いた二つの視線の真ん中で、例によって無表情のカイオス・レリュードが淡々と突っ立っていた。
 その腕の中には――
「え、アベル!?」
「見つかったんだ!」
「てか、あんたは、どうしてここに!?」
「それよりアベル」
「そうよ無事なの? 寝てるだけ? ケガは?」
「カイオスが見つけてきたの?」
「てかあんたどこにいたのよ」
「………」
 一気にまくしたてる二人の剣幕が一段落してから、カイオスは青の目を鋭く眇めた。
「護衛が不甲斐ないからな」
 その一言で、二人は続く言葉をねこそぎ失ってしまう。
『っっっ』
 カイオス・レリュードの露骨な表情ほどには、声に感情が含まれていないのが、なおさら彼の憤りを伝えていた。
「あ、あの…悪かったとは思ってるのよ…その…探そうと思ってたら、魔物が…」
「そう、街が大変でさ…」
「王女の命より、街か?」
 青年の言葉には、容赦というものが全くない。
「………」
 ティナは、唇を噛み締める。
 先ほどとは別の意味で血の気が引いたのを自覚できた。
 ――怒り。
 確かにティナたちに非がある。
 責められても仕方がない。
 しかも、アベルを見つけてきたのは、カイオス自身だ――それでも。
(一人の命と街一つを比べるなんて…)
 王女が大事なのは分かる。
 だが、だからといって、一方的に王女以外の『その他大勢』を切り捨てろと、平然と言い捨てるなんて…!!
「………」
 無言の応酬は果てなく続くようにみえた。
 責任感からか――自分の言葉をぎりぎりまで押し込めたティナの沈黙も、苛烈な視線をどこまでも冷静に見据えたカイオスの表情も、――揺らがない。
 クルスだけが、心底震え上がった様子で肩を竦め、凍りついた沈黙をせわしなく見上げていた。
 果て無き、膠着。
 ぴんと張り詰められた緊張の糸が、音を立ててねじり切れようとしていた、時、
「んん…あれ? 朝ですか?」
 全ての元凶が、この上ないこのタイミングで目覚めたのは、正にこの瞬間だった。


――アレントゥム自由市港


先ほどまで慌しかった湾内は、今は静けさが満ちていた。
 安堵はまだ、ない。ただ、息を潜める沈黙が波音をこだませる。――もっとも、祭り前にそぐわない白々とした沈黙は、町全体を覆っているのだろうけれど。
「…魔物はあれから攻めて来ないし、大事にならなかったのはいいけど…あんたは大丈夫なの? 副船長」
「………」
 船内から、そんな港の様子を瞳に収めながら、ジェーンは呟いた。
 横目でさらった隣のローブは黙っている。
 湾内をほとんど埋め尽くし、間断なく陸地めがけて攻め寄せてきた怪物たちを、一掃したのがこの青年だとは、にわかに信じられない事ではあった。ただ、隣に『いる』だけの青年は、疲れの片鱗も見せずに、戦闘後、ずっとこの部屋に詰めていた。
 ため息をついて、海賊船の女コックはかけた椅子に座りなおした。こちらを見ない視線の先を辿ると、先ほどから相変わらずベッドに寝かされた混血児にたどり着く。
 今は傷一つなく安らかに眠る子供は、目を覚ます気配さえない。
「…災難だったわね。その子も」
 話題を変えてみた。
 放った言葉の先にしばらく音は生まれなかったが。
「………。『災難』じゃない」
「え?」
 しかし予想と大きく違う応えに、ジェーンは思わず相手を見返した。
 相手も彼女を見返した。ローブの下から言葉は続く。
「『人災』。祭り前には、よくある」
「…まさか」
「そのまさか。祭りの最中に、奴隷が反乱でも起こしたら、語り草にもならない」
「………」
「だから、適当なのをあらかじめ捕まえて、適当に放す。…まあ、たまたまつかまった不運だけ言うなら、確かに『災難』かもしれないけど」
 青年の口調に珍しく淀みはなかった。
 二の句の告げないジェーンに対して、唯一見せた口を微かに上にあげた。
「不満は発散させてやるに限る」
「………」
 あんたもひょっとして――言いかけたジェーンは、言いかけて、止めた。
 再びベッドの子供に据えられた目線が、答えだった――多分。
「………」
 別の意味で、ため息を吐き出そうとした口が、ふと止まった。同時に隣の青年も顔を上げる。
 見合わせて、呟く。
「来客…?」
「みたいね。ちょっと見てくるわ。ここ、よろしくね」
 天井を軋ませる音、上から漏れ聞こえる歓声――ジェーンが消えた室内は、やがて再び沈黙に包まれた。


 甲板への階段を駆け上がって、ジェーンは、目を見張った。
 ――まったく、今日は、思いがけない事が次々と…!
「お、ジェーンじゃねーか。随分久しぶりだな」
 仲間達がたむろする甲板に髪を風にさらして突っ立っていた、『来客者』のひとりは、よっと気安げに手を上げる。
「お久しぶりです。お変わりありませんでしたか」
 一方颯爽と微笑んだ女性は、軽く会釈をした。
 船内の様子が、気に掛からなかったわけではなかったが、ジェーンは顔がほころんでいくのを止められなかった。
「久しぶりね…、アルフェリア、ベアトリクス…!」

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