Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 裏切りの枉曲 
* * *
 ――アレントゥム自由市 宿屋




「ふえ? 私がいない間にそんな面白い事が…!」
「面白くないって」
 『全ての元凶』――もとい、アベル王女が目覚めたため、ティナとカイオス両者の衝突は避けられたものの、気まずい沈黙のまま宿に帰り、訝しげな宿の人々の視線を気まずくかいくぐり、気まずく部屋に収まったのは先ほど、アベルの入室を確認すると、カイオスはさっさと自室に引きこもってしまった。
 行方不明者生還後の第一声が、アレでは、ティナでなくても、つっこみたくなろうものだろう。
「でも、いいじゃないですか。一応、丸く収まったんでしょ?」
「…そーっちゃそーなんだけど…」
「何か、悩み事ですか?」
 なぜか泥だらけのアベルのために、水を汲んできたクルスが部屋に入ってきたのは、丁度この時だった。
「え、ティナ悩み事〜? 似合わないよ〜」
「似合いませんよねえ」
「…あんたらねえ…」
 半眼でうめいて、ティナは水に浸した布を王女に手渡した。
「自分で拭ける?」
「ティナさん…さすがに、それはできますよ…」
「やー、王族って、一人で着替えできないんでしょ?」
「まー、そりゃそーいうこともありますけど」
 唇を尖らせた少女は、困ったように頬をかいた。
「私は、結構奔放に育てられた方ですから」
「ふーん…」
 一瞬アベルの面に落ちた影に、ティナは気付いた。
 相槌の後にふっと辺りを見回す。
「あれ…クルスは?」
「そういえば、いませんね〜」
 二人して、首を傾げる。
 少年の姿は見えず、代わりに半開きのドアが、隙間風に揺れていた。


 控えめなノックがして、カイオス・レリュードはふっと顔を上げた。
「何か」
「オレだけど…」
「………」
 鋭い眼光がさらに細まった先に、少年の顔が覗いた。
 茶色の髪、人懐っこい黒い瞳は、今は軽く緊張している。
「何か用か」
 突き放す響きに、おずおずと踏み込んでくる。
「…アベルが、知らないうちにつれて行かれちゃったから、せめて近くに居ようとおもって…」
「結構だ」
「…でも」
 即答に食い下がる。
 本気で困ったような少年に、投げかけられたのは、微かなため息の漏れる音だった。
 思わずクルスが顔を上げると、冷めた青い眼とぶつかる。
「俺はいい。王女の方を優先しろ」
「…せめて一緒の部屋だとやりやすいのに…」
「立場上、無理だ」
 応えは、短く、鋭く、冷たい。
「…分かった」
「じゃあ、さっさと行け」
「大丈夫だよ、しばらくは。ティナは強いから」
「…どうだか」
 初めて、声の調子が緩んだ。
 今なら、相手になってくれるかも知れない。そう思って、クルスはもう一度眼を合わせる。淡々とした視線とぶつかり、あわてて、首を竦めた。
「…何かあるのか」
 投げやりの調子に、こくんと頷く。
「気になってたんだけど…カイオスって、何で、そんなに戦いなれしてるの?」
「………」
「左大臣なんだよね。気になったんだ。だって、城にいて、全然魔物と戦わないのに、魔物に驚かない…アベルは震えるのに、全然震えない…」
「………」
「気になったんだ…」
 見つめる先の目線は、一度閉じて、再び開いた。
「戦いなれというわけじゃない。一国の大臣が、魔物を前に醜態をさらすわけにはいかない。――王女はまだ幼い。それだけのことだ」
「うー?」
 クルスは素直に首をかしげた。
「えっとつまり、カイオスは偉い人だから、怖くても、怖くない振りしてただけ、…ってこと?」
「まあな」
「なーんだ。オレ、びっくりしちゃったよ。だって、戦いの時も、全然手が震えてないんだもん。普通は怖いよね!!」
「…つまらないことを…」
「ありがとう! じゃあ、オレ、アベルのところに行くから!」
「………」
 パタン、と扉が閉じた後も、彼は目線を投じ続けた。
 そして、自身の手に目を落とした。

――ヨクモ アレダケ 同胞ヲ葬レタモノダネ。

 『それ』の言葉が蘇った。
 きつく、握り締めた。


「ただいま〜」
 扉の向こうから少年が戻ってきたのは、それから程なく経った頃だった。
「あ、クルスどこ行ってたの?」
「うー、カイオスのとこにいた方がいいかな、っておもったんだけど、追い出されちゃった…」
 声が低い。いつもは元気に立っている茶色の髪も、うなだれているようだ。
 沈んだ様子のクルスに、ティナは肩を竦めた。
「何それ」
「カイオスは、ああ見えて三属性継承者ですから。少々の事だと大丈夫ですよ」
 言葉を添えたのは、アベル。
 その内容に、傍の二人は目を剥いた。
「「三属性継承者!?」」
「ええ。本人がそう言ってたですよ。はれ? そんなに凄いことでしたっけ?」
 小首をかしげた王女は、本気で不思議そうだ。
 飛竜の上で、魔法の事はさっぱりです〜とか言っていたのは、別に謙遜でも冗談でもなかったらしい。
「あっったりまえでしょ?」
「三属性だよ!?」
「ふえ…」
「あー、分かった。アベル。あんたとは、ちょっと腹を割って話さなきゃいけないわね」
「だね! ティナ」
「はい…よろしくお願いします。なんだかよく分かりませんけど」
 相変わらず小首を傾げて、アベルはちょこんと頭を下げた。


――アレントゥム自由市 港



 海賊達に囲まれた二人の将軍は、親しげな様子で再会を喜ぶと、ふと辺りを見回して漏らした。
「あー、そーいや、あの微妙にアイソのねえローブは?」
「ご覧の通りだ。中に引きこもってるよ」
 応えたロイドは笑みのまま、さらりと話題を変える。
「でも、あんたら、どうしてこの町へ?」
「ちーとばかし、やっかいが起きてね。こんなとこまで駆り出されてんだよ」
 アルフェリアの方もさらりと流してみせた。なんだ左遷じゃないのか、とたちまち起こる野次にうるせーよ、と応じてみせる。ベアトリクスが後を継ぐ。
「街で騒ぎがあった折、港での武勇伝を小耳に挟みましたから。きっとあなた方だろうと思って」
「そーか。ま、相変わらず何もねえけど、ゆっくりしていってくれな」
 にっと笑ったロイドは、笑みをさらに深めた。
「で、ゼルリアのアニキどーしてる? 国王って、大変だもんな! 体壊してねーか?」
 ロイドの言葉に将軍達は微笑んで頷く。
 ゼルリア国王の義兄弟は、にっと満面の笑みを浮かべた。
「そっか」
 男たちの髪を、潮風が吹き抜けていった。

* * *
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