Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 アレントゥム自由市 
* * *
「っっ!!」
 視界の中で振り上げられた魔物の腕が、ゆっくりと振り下ろされる――瞬きの最後に見た、それがティナの最後の光景だった。
 反射的に瞳を硬く閉じ、腕の中のぬくもりを抱きしめる。
 とっさに身を捻る。
 背中で子供を庇おうとした、瞬間――
(つ…!?)
 突き飛ばされた。
 鋭利な爪で身を引き裂かれるのとは、全然異質の、身体が吹っ飛ぶ、感覚。
(え…?)
 瞬間、頭をよぎったのは、様々思考。
 助かった…
 死んでない…
 誰が…?
 クルス…?
「…くっ」
 とっさに受身を取った背中が、ざっと石畳を擦る。
 痛みは一瞬、後は波が引くように熱が消えていく。
 刹那、背後で魔物の絶叫が起こり、自分達を脅かしていた危険がとりあえずは去った事を教えていた。
 上体を起こしたティナは、恩人の顔よりも先に、腕の中を見る。
「だ…大丈夫…?」
「う…うん…」
 驚きの余り、涙も出なかったらしい。
 顔色を失った少女は、しかし、しっかりと自分の足で立った。目立った怪我もない。無意識に息が漏れる。
「おねえちゃん、ありがと…」
「あー。いいのよ。大丈夫。それより、ここは危ないから、人の居る方へ…」
 言いかけて、語尾がしぼむ。
 こんな状態で、こんな女の子に『人の居る』方が分かるとも思えなかった。
 だからと言って、安全な場所までティナ自身が連れて行けるような余裕は無かった。ましてや、戦場で女の子を庇いながら戦うということもできない。
 言葉を失ったティナを見上げる瞳が、心細さと緊張が緩んだせいか、見る見るうちに涙が溜まってくる。とにかく何か言わなければ。――開きかけた口が音を生み出すよりも早く。
「騒ぎが収まるまで、教会の中に入ってな。建物に沿って行くんだな。空から見えにくくなる。教会にはお前みたいに親とはぐれた子供がたくさんいた。落ち着いたら、自分の名前と家の場所を言って連れてってもらえばいい」
 差し出された男の声は、ティナの背後からした。
「!?」
 一瞬びくりとして、ティナは振り返る。
 黒髪、黒目、奔放なようで落ち着きをもった、大人のようで子供の表情(かお)も覗かせた、そんな男が、笑っていた。
 どちらかというと細身だが、引き締まった体躯の片手にぶら下がった幅の広い大剣は、魔物の血に濡れて鈍く輝いている。
 この男が、先ほどティナを突き飛ばして助けてくれたのか。
 見守るティナの視線は受け流しておいて、男は視線を放って辺りの魔物を牽制しながら、少女の方に早く行けと促した。
 頷いた少女が頼りなく視界から消えるのを待って。
「…あなたは?」
 ティナは慎重に尋ねる。
 気配が全く感じられなかった。
 これほどの存在感のある男なのに。
――只者じゃない。
 その確信が、声をただ低める。
 対する男は軽く肩を竦めて見せた。
「別に。通りすがりの旅人だよ。りんご祭りを見に来ただけさ。それより…この死体はあんたらが?」
「まー、そうだけど」
 随分さばけた性格らしい。馴れ馴れしいとは、不思議と思わなかったが。
「へー只者じゃねえな」
「…」
(それはこっちの台詞だっての)
 内心思いっきり突っ込みをいれながらも、
「助けてくれてありがとう」頭を下げる。
「どーいたしまして。けどま、ぬるい挨拶は、残りを片してからしよーぜ」
「そーね」
 頷いて、周囲に視線を放つ。
 随分とまばらになった魔族を切り伏せながら、町のほかの箇所に考えを巡らせる余裕が出来る。
 羽を焼いて地上に残した魔族はあらかた片付いていた。後は空からと…
「街の入り口と、港」
 外と厳密には区切られているわけではない箇所を適当に口にしてみる。
「入り口の方はあらかた片付いたぜ」
 自分の独り言に差し込むようにさらりと返されて、ティナは口を開けた。
 瞬間に男が切り伏せた魔物が最後の一匹だった。
 細身の体躯にして、驚くべき剛剣。その剣尖の正確さ。
 魔物の急所を全て一撃で刺し貫いていた。
 駆け寄って合流してきたクルスも、相棒の無事を喜ぶのを置き去りにして、目を丸くする。
 男の剣さばき…そして、男の吐いた言葉に。
「…この街の城門にたかってたヤツ…こんなに短時間で追っ払ったっての…?」
 空からの侵攻があった時点で、城門や港も狙われているだろう…それは気付いていたが。
 驚きと言うより、むしろ呆れた――そんな気でティナは問う。
 男は口の端で笑うとあっさりと種を明かしてみせた。
「簡単な無属性魔法の結界を中から張ったんだよ。魔法を使える奴がいたんで。ま、この分じゃ街に当分閉じ込められることになりそうだが」
「あー、なるほど。その手があったのね」
「じゃあ、後は、空と海かあ…」
 クルスが漆黒の瞳で空を見上げた瞬間、
「にゅ!? 空が黒い!?」
「何、どういうこと?」
 つられたティナも息を呑む。
 戦いに集中していて気が付かなかったが、先ほどまで晴天だった空模様が、一転してどす黒い雲に侵食されていた。
「…ありゃ港のほうから…煙…何かが燃えてやがる」
 男が隣で呟くのに、はっと息を呑む。
 反射的に頭に過ぎったのは、港が堕ちた――海からの魔物の進入を許したのか、という、最悪の想像。
 翻しかけた身体をぎりぎりのところで止めたのは、視界に現れた新たな像、それも、人間の女の容をしたものが近づいてきたからだった。
 白磁のような肌に、波打つ亜麻色の髪が軽やかに掛かる。美しく、それでいて毅然とした造形は、微笑を浮かべているわけでも、着飾っているわけでもないのに見るものを引き込む深淵を湛えていた。
――この女性(ひと)も強い…
 確信が、握る拳に力を注いだ。
 見覚えのない顔に対して、ちらりと横の男を伺い見る。
 案の定、男は手をあげて女に知らせた。
「ここだ、ベアトリクス」
「…探しました。アルフェリア」
 短いやり取りで、二人は互いの状況を把握したようだった。
 近づくにつれて、戦闘の跡が微かに伺える女の面には、男の隣に佇む自分達をいぶかしむ表情が浮かんだ。
「アルフェリア…この方達は?」
「この辺の魔物を片したらしい。危ないとこをオレが助けたんだよ」
「そうだったんですか…お怪我は」
 言葉の最後を自分の方に投げかけられて、ぼうっとしていたティナは思わず咳き込むように頷く。
「あ、大丈夫です」
「なら良かった…」
「港はやられちまったのか。――煙が…」
「いいえ。廃船を鎖で繋いで火を焚いて、湾に蓋をしたとか」
「…湾の中に入り込んでた魔物は」
「…直前に風の魔法で――おそらく無属性魔法の風で湾外に払ったらしいですよ。それも、たった一人の魔術師が」
「へえ。そりゃ大した魔法使いもいたもんだ」
 アルフェリア――そう呼ばれた男が眉を上げて見せる横で、ティナもクルスも息を詰めた。
 無属性継承者に対する属性継承者――属性に選ばれなかった者に対して、属性に選ばれた者――…彼女達でさえ、生半可には達成できそうにもない離れ業だ。
 ベアトリクスと呼ばれた女性は、髪を払うと、ティナ達の方に向き直る。
「連れがご迷惑をお掛けしませんでしたか?」
「…あ、いえ…助けてもらったんです。彼――ええと…」
「アルフェリア。長いからアルでいいぜ」
「そう。その彼に」
「そうですか。お怪我がなくてなによりです。――もうすぐ空からの攻撃も止むと思いますが」
「…え」
 思わず女性を見返すと、ベアトリクスと呼ばれた女性は口の端を微かに上げた。
「私も先ほど聞いたのですが、街の――自由市政府の魔術師が、町全体に結界を施すそうですよ。術者の中に三属性継承者がいるらしく、この程度の魔物はしばらくふせげるでしょう」
「………」
 街の内側から結界を張る――それが意味するところは結局のところ、封じ込めだ。
 街の孤立を表す…思わず口を閉ざしたティナの心中を隣の男が口にした。
「じゃあ、しばらく行き来できねえんだな」
「はい。まあ、祭りまでにはなんとかするのでしょう」
「そーか」
 二人が意味深げに視線を交わしたのをティナは見逃さなかった。
 黒煙に侵食された空が一斉に結界に覆われたのは、その瞬間だった。


「すげーな副船長、相変わらず」
「………」
 鎖で繋がれた廃船が、火達磨になりながら、湾に蓋をしている情景は、間近で見るとなかなか壮観だった。
 港に満ちた歓声がやがて止むと、後は顔面を茜色に染めて食い入るように見つめる静寂だけが残った。
 すでに湾内に魔物はいない。これも、『副船長』の魔法の賜物であったが。――空からの魔物も、火勢に気圧されてなかなか近づけないでいた。
 火――それは、流転と同時に、あらゆるものの浄化を意味する。
 燃え盛る船は、海からの魔物のバリケードを果たすと同時に、文字通り魔を排する結界の役割も果たしていた。
 黒煙を吐き出しながら、海面を血色に染めながら、廃船は佇む。
「…休んだほうがいいんじゃねーか?」
 さりげなく呟いたロイドの言葉を、ローブの青年は無視した。
 代わりにふと頭をもたげた。
「…結界」
「んー?」
「街を覆った。当分、街から出られないな」
「そーなのか」
「…」
 黒煙に大半を食われた青空を、音も無く結界は包んでいく。
 その下に群がる人々は、まだそれに気付かない。


「あら」
 人通りのない裏路地に非難を決め込んでいたジュレスはふと上を見上げた。
 空を徘徊する魔族の代わりに結界が、瞳を薙いでいった。
「…結果を張ったんですの。――まあ、確かに魔物は防げますけれども」
 だけど、これじゃまるで――
 ルージュがつり上がって、優美に弧を描く。


「まるで、閉じ込められたみたい」
 ウェイは呟いた。
 魔物の脅威が取り除かれるまで、結界は解かれないだろう。
 実質の籠城か――祭りの前で食べ物は溜め込んでいるはずだから、一週間は持つか。――それでも。
「入る事も出る事もできない」
 空を映す瞳が翳る。
「…戦いは終わったけど、――きっとこれが始まりね」


「…座長。あれ」
 華やかな旅団の先頭…目利きのする仲間がもたらした言葉に、もくもくと行進を続けていたクルド族一団全員の足が止まった。
 呆然と目を見開く者。
 文字通り、開いた口が塞がらない者。
 驚愕の波は千差万別に人を襲ったが、視線が集まる箇所は一つだった。
 りんご祭り直前のアレントゥム。
 主に商業を生業とする、国家集団に属さない最大の流浪民族クルド族が、この祭りに目をつけないはずが無い。普段はいくつかの集団に分かれて各国で商業を営む民族が、一挙に終結するとさえ言われている、一世一代の稼ぎ場なのだ。
 この一団も例外ではなかった。
 精を出して乗り込もうとした瞬間――遠目に伺える街は、異様な光景に包まれていた。
 周囲をぐるりと塀で囲まれた城門に、魔物がたかっている。――それも尋常でないほどに。
 空にはドス黒い煙がたなびき、青天を毒々しく侵していた。
 襲撃…? 火災…?
 困惑が、極まる間もなく、次の変化が彼らの眼前で起こる。
「何なんや…一体…」
 呟いたのは、どの口だったか。
 突如として、街の内部から突き上げた光。
 魔力の発現。
 四方から湧き上がった清浄な光は、上空で一つになると、その起点から一気に街を覆っていった。
「…街が」
 立ち尽くすしかない人々の間に、脱力感だけが漂っていた。

「…当たり、か」
 困惑の中にあって、一人冷静に彼は呟いた。
 クルド族の中にあって、異色の髪、異色の瞳を持つ者…
「クルス…お前は今、どないしてる…?」
 腕を組み、少年は呟いた。
 片側だけ吊り上げられた唇は、嘲笑(わら)っているようでも、泣いているようでもあった。


 ミルガウスを攻めろと笑う『それ』に対して、カイオス・レリュードがある『取引』を持ち出すのに、ためらいは無かった。
 そして、『それ』は、あっさりと『取引』に応じてみせた。
 眠る王女を虚空から引き出し、彼に手渡す。
 ぐったりと体の力を抜いた少女からは、規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
 特に外傷は無い。
 魔法もかけられた様子はないので、本気で眠っているのだろう。――さすがは、ドゥレヴァの直系か。
「ソウソウ――今ネ、街ニ魔族ヲ呼ンデ攻メサセテイル最中ナンダ」
 王女を抱え上げたカイオスを空間魔法で送り出す直前、『それ』はそう言って、引き止めた。
「…」
「雑魚ダヨ。石版ニ惹カレテタヤツラ。――手引キヲシテヤッタ。…アア………アル程度ノ強サノ魔族ニハ、ボクノ方カラ牽制シテオイタンダ。ダカラ街ガ陥落スルコトハナイ――今ノトコロハ」
「………」
「際限ノナイ攻撃…人間ハ内側カラ結界ヲ張リ自ラヲ街ニ閉ジ込メルシカナイ…ソウイウワケサ」
「…なぜそれをわざわざ俺に知らせる」
 抑揚のない――完全に感情を失した声音で返すと、『それ』はくつくつと耳障りにわら嘲笑う。
「贄ハ捧ゲラレタ…後ハ実行スルダケ…巻キ込マレナイヨウニ、チャント、残リノ『闇ノ石版』ヲ持ッテクルンダヨ。『アノ方』ノ『降臨』ニ石版ガイクラ多ク必要ダカラッテ…短気ナボクハ我慢デキナイカモ知レナイカラネ」
「………分かっている」
 視線を逸らして、呟かれた言葉。
 血玉の瞳で見据えて、そして『それ』は魔法を発動した。

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