Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 裏切りの枉曲 
* * *
――アレントゥム自由市 宿屋



 別にアベルの言うことを疑うわけではないが、だとすると、十年前に息子をなくして遁走したダグラスの、その死んだ息子が、今現在ミルガウスで左大臣なんてやっている算段になる。

「………えっと」
 大分沈黙が冷え込んだ頃、ティナは頬を掻きながら、相変わらず笑顔のアベルに切り出してみた。隣でクルスは理解の限界を超えてしまったらしく、燃え尽きてしまっている。
「えっと…つまり…どゆこと?」
「ふふ」
 予想通りの反応が嬉しかったらしい。
 特に出し惜しむ様子もなく、アベルは続きを語っていく。
「まあ、最初から、行きましょうか」
「うん、…よろしく」
「任せてください!」
 にっこりと、笑みを深くして、
「…十五年前、アクアヴェイル公国との休戦協定に応じたお父様は、表向きはアクアヴェイルの王子を人質に要求しながらも、実際は、ひそかに傑物と噂にになっていたダグラス・セントア・ブルグレアの一人息子、『カイオス・レリュード』を招いたんです。ここまではいいですよね」
「うん…」
「まあ、ここまではね」
 ティナに続けて、何とか復活したクルスも音を合わせる。
 アベルは一つ頷いた。
「『カイオス・レリュード』は…あ、こういうとややこしいですかね。ダグラスの息子は、当時五才ほどでしたでしょうか。秘密裏にシルヴェアに迎え入れられました。私は当時幼すぎましたから、よく覚えてないんですが…お兄様なら、当時のことをよく知っていらっしゃったんでしょうけれどね。まあ、とにかく、頭も性格もめちゃめちゃよかったらしいですね。五才とは思えないくらいの振る舞いだったそうですよ」
「………。そうなんだ〜」
「いるのね…そんな、一緒の名前で、中身が正反対な人間が」
 案の定の二人の反応には、手を振って、アベルは先を続けた。
「…まあまあ。で、約束の期限が来て、息子さんは、アクアヴェイルに帰る事になりました。だけど…馬車で移動する途中に、事故で亡くなったんです」
 ティナとクルスは思わず顔を見合わせる。
「…」
「…」
 アベルは肩を竦めてみせた。
「シルヴェア側の手落ちでした。もちろん、手厚く謝罪しましたけど、公国側は大激怒しました。当然ですよね。ただ――もっとひどかったのは、父親――ダグラス・セントア・ブルグレアですね。表向きは、アクアヴェイルの王子が人質だったんです。そして、王子は、アクアヴェイルで生きてるんです。事故は、『起こらなかった』んです」
「!」
 ティナと、クルス。二人の息を詰める音が、部屋の中にこだました。
 アベルは、苦笑を浮かべ、ゆるく頭を振る。
「…お葬式すら出すことを許されないまま、ダグラスの息子の死の真相は、永遠に隠蔽(いんぺい)されてしまったんです。数ヵ月後、やっと病死したと公表されましたけど、遺体は、すでに…。そして、やっぱりシルヴェアとアクアヴェイル、両国間の関係に影響はありました。和平条約締結時までは、まだ平静だった二カ国の関係は、これを機に大悪化。そして、ダグラスは、遁走(とんそう)したんです」
 シルヴェア――もとい、ミルガウスと、アクアヴェイル。この二国が再び平静状態を取り戻すには、およそ十年、ミルガウスの太政大臣エルガイズの登場を待たなければいけない。
 そして、歴史には、賢臣ダグラス・セントア・ブルグレアが、最愛の息子の『突然の病死』により、悲しみの余り遁走した、という不名誉な記録が、一行、書き足される事になった。
「………」
 言葉のないティナ達に、気を取り直すように、アベルは笑って見せた。
「で、ですね。時は遡る事、今から三年前、ミルガウスの外れに『彼』が来たんです」


 ――お前の目的は何だ。『ダグラス・セントア・ブルグレア』。

 追憶は、鮮明に語る。
 ミルガウスを襲いに行く代わりに、自らティナたちの二つの石版を、七君主のもとに届けるという取引を持ちかけたあと。
 そう切り出したカイオスに向かって、『七君主』と呼ばれる闇の意思は、微かな沈黙を挟んだ。
 あの時――。
 魔族特有の赫い瞳には、見合う男の静かな面が映しこまれていた。


――別ニ、大シタコトジャナイ。昔、馬鹿ナ人間ガイテネ。

 ――………。

 ――『ダグラス・セントア・ブルグレア』トイウ名前ダッタ。

 ――またその話か。聞き飽きたと何度…。

 ――彼ハ、最愛ノ息子ヲ亡クシタ。ソシテボクニ …七君主デアル ボクニ祈ッタ。

 ――………。

 ――世界ナド…



「…」
 追憶が紡いだ音を、その言葉の続きを、彼は、無理やり意識の外にやった。
 暮れかかった陽の光が、部屋を血色に浸食していた。



――分カッタカイ? ダカラ、君ノ国ヲ滅ボサナケレバイケナイト。

 ――ならば、なぜ、ミルガウスにいた俺に、これまで手出しをして来なかった。

 ――ソレハネ。強スギル闇ハ、一箇所ニ集マレナイカラネ。アソコハ違ウ『七君主』ノ領域ナンダ。ダカラ、無理ダッタ。今マデハ。

 ――………。

 ――フフ…。今ニ知ルトコロトナル…。



 耳障りな嘲笑は、耳に残った。
 うんざりと、彼は目を閉じた。


「今から、三年前?」
「ええ」
 ティナが繰り返した言葉に、王女は頷いた。
「あの日、『彼』が、ミルガウスに来たんです。誰かに追われていたみたいに、ぼろぼろの姿で」
 やばいモンに手でも出したとか?
 ティナが密かに(失礼極まりない)憶測を展開する傍らで、話は進む。
「助けたのは、前左大臣バティーダ・ホーウェルン」
「わお」
「…えっとすごい人だっけえ?」
 ティナが口の中で歓声を上げるのと、クルスが首を傾げるのは、同時。
 アベルは気にした様子もなく、続ける。
「バティーダは、シルヴェア末期の『三大賢人』の一人ですよ。バティーダ・ホーウェルン、ダグラス・セントア・ブルグレア、そして、ジーク・F・ドゥラン。ま、『三大賢人』なんていっても、さすがのバティーダも、当時は病気で死にそうだったんですけどね」
 わずかに、目を細めて、
「バティーダは、それまでは、ダルスって人を一応の自分の後継者にって言ってたんですけど、本決まりじゃなかったんです。そこに、『彼』が飛び込んできた。素性、経歴、名前、ぼろぼろだった理由、一切話しませんでした。言葉だって、最初は不自由してたんです」
「…けど、めちゃくちゃ有能だった、とか?」
「そーですね」
 ふふ、とアベルは笑う。
「それが、髪や目の色と相成って、亡くなった『誰か』を思い出させましてねえ。結局、『カイオス・レリュード』の名前をもらった形になるんでしょうか。そして、そのまま、左大臣ですよ」
「はあ。そーなの〜」
「…オレは、こんがらかって来たよ…」
「ふふ」
 にっこり笑ったアベルは、ただ、そこで少し顔を曇らせた。
「ただ…そんなもんですから、やっぱりよそよそしいところはあったりするんですけどね…」
「………」
 しみじみとした言葉に、ティナ達が、つられて押し黙ったのを肌で感じたのか、
「あ、そーいえば、ティナさん。さっき、石版について、なんか分かった事があるとかいっていませんでした?」
 大分脱線しちゃいましたね、すいませんと、謝った顔は、いつものアベルだった。
「あ、その事なのよ。まあ、想像に過ぎないってこともあるかもしれないんだけどさ」
 一瞬で気を取り直して、ティナはクルスと面を向かい合わせた。

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