――アレントゥム自由市 宿屋
「…というわけで、石版がまとめてこの近くにあるかも、って思ったわけ」
「なるほど〜」
「って、ホントに言ってること、わかってんの? アベル」
「あはは〜。そんな細かいこと、気にしちゃいけません」
一通りの言葉を尽くした後、程よい脱力感を味わって、ティナは、世の儚さをほんの少し味わった気がした。
「分かった、ティナ! こういうのをバカにされてるって言うんだね!」
こんなとき、黒の瞳を輝かせて話しに入ってくるのは、クルスだ。
そんな彼にアベルは息せき切って、言葉を返す。
「そんな! 私は本気です!」
ますますむなしくなった。
「と、とにかく…それで、アベルは、何か思うところない? 一応、王女なんでしょ?」
「ティナさん。王女が、石版に詳しいと思ったら、大きなあやまちですよ。私は、ナイフより重いものがもてない深層の姫君なので、考える事が苦手なんです」
胸を張られてしまった。
「………。それって、関係あるっけ?」
「気の持ちようです」
開き直られてしまった。
「分かった、ティナ! こういうのを…」
「分かったから。もういいから。クルス」
うんざりと手を振ると、少年はうな垂れてしまった。
「…と、いいますか」
アベルがふと、切り出して、ティナとクルスはそっちの方に、顔を向ける。
「ミルガウスから石版が盗まれること自体、私には、想像付かないことでしたから」
「え、そうなの?」
「そうなんだ?」
二人の声が重なって、アベルは、首をかしげて苦笑した。はい、と頷く。
「一応、天下のミルガウスですよ? 大体、あの神殿には、『高位属性継承者』しか近づけない結界が張ってありますし、その結界の番人として、常に二人以上の近衛兵がいます。石版にも、王国が追跡可能な呪が施されていますし、まあ、並大抵のことじゃ誰一人近づけません。ある意味、王国のメンツがかかってますからね〜。中途半端なことじゃいけません」
「でも、盗まれたよね〜」
「そーなんですよねえ」
クルスの呟きに、アベルは本当に困ったように、微笑う。
「ただ、近衛兵たちによると、全然異常がなかったそうなんです。ティナさんたちが、間違って迷い込んでしまったまでは。――本当に、どこから入ってきて、どこから出て行ったんだか…って感じですよ」
「近衛兵が守ってる入り口以外に、鏡の神殿に近づく方法はないわけ?」
「ありますよ」
あっさり頷かれて、ティナは、思わずクルスと見合った。
「…え?」
「へ?」
「王宮から、直通でいける小道が。別にこっちの方は、誰かが守っているとか、そういうことはないみたいなんですけど」
「じ、じゃあ、犯人、そっから神殿に行ったんじゃないの?」
種が分かってしまえば、随分おマヌケなはなしの気がする。
「ええ、いえ…」
だが、ここまではよどみがなかったアベルは、初めて言いよどんだ。
少しだけ二人から目線をはずして、多少声の調子を落とす。
「………それこそ、ありえないんですよ」
自国の国家機密っぽいことまでべらべら喋る少女にしては、恐ろしく深刻な声音だった。
「どーゆーこと?」
つられて二人も息を詰める。
「…その、小道にも結界があります。ただし、こっちは、近衛兵に守らせている結界とは、比べ物にならないくらい、すごい結界なんです。空間自体が捻じ曲げられているみたいで、その小道がどこから始まっているのかさえ、私、知りません。この小道のことを知ってる人だけでも、お城の中に、10人いるかいないか…。さらに、その道を使えることができる人となると…」
「それこそ、あのカイオス・レリュード並みのヤツになっちゃうのね」
「分からないんです」
「へ?」
「分からないんですよ」
肩を竦めて、アベルは苦笑した。
「私が知っているのは、小道の存在と、その『小道を使える人』を全て知っている人が、ミルガウス国王ドゥレヴァであること…本当に、コレだけなんです。例えば…本当に例えばですよ? カイオスがお父様から、道の使い方を教わっているとしますよね? そして、彼が私に対して、『自分は道の使い方を知っている』と、私に漏らしたとする」
アベルは、自身の首を、手で引いてみせた。
「二人とも、極刑です」
「へえ…」
ティナは、肩を竦めた。想像のつかない世界だ。
「はい。だから、たとえ道の使い方を知っていたとしても、その人ですら、『自分が道の使い方を知っている』ことと、『国王が道を使う人間の全てを把握している』こと…これだけしか、知らないんです。相当の信頼関係がないと出来ませんよ。現に私は、その『信頼関係』の中に入っていないわけですから」
自分にとって、残酷に違いない事を、さらりとアベルは口にした。
「………」
「だから、逆にもし、この小道を使った人間がいたとすれば、お父様には、見当付いてるはずなんです。しかも、間違いなく王国中枢部の人間にかぎられますし。だから、こっちの方こそ、ありえないんですよね〜」
「ふーん」
ティナは、素直に首を倒したが、クルスは、ふっと別のことを聞いた。
「じゃさあ、アベル。カイオスは、ミルガウスの人じゃないけど、疑われなかったの?」
「あ、確かに」
位は左大臣。その小道の使い方を知っている可能性は高い。
しかも、ミルガウスの中枢にいながら、ミルガウスの人間じゃない。
国王が何と言おうと、邪推しそうな人間はいくらでもいそうなものだが。
「どーでしょ。まあ、そんな風に言う人間が居たことは事実ですよ」
アベルは、あっけらかんと言い切った。
「けれど、カイオスは、ミルガウスの人間ですから」
「…え」
「ぼろぼろの姿で、ミルガウスに飛び込んできたっていいましたよね。私、聞いたことあるんです。どこから来て、本当は誰なのか。そしたら…」
「「そしたら?」」
身を乗り出した二人に、にっこりとわらう。
「自分は、今この国に居る。それが全てだ…みたいなこと言いました」
「へえ」
「そーなんだ〜」
「だから、彼は、ミルガウスの人間なんですよ」
「信頼してんのねえ」
笑みを深めた王女は、思い切り、深く首を倒した。
だがその言葉に、その時ティナは別の情景を重ねていた。
――ただ…そんなもんですから、やっぱりよそよそしいところはあったりするんですけどね…。
アベルが、ついさっき口にした言葉。
ティナは、以前にも、その言葉を聴いたことがあった。そう…旅の出立の直前。門番にいそしんでいた右大臣サリエルも、確かそんな言葉を呟いていた。
それは、アベルたちミルガウスの人間と、カイオス・レリュード個人の関係に、温度差があるということなのだろう。彼らが、カイオスに対して感じているほどには、カイオス・レリュードは、彼らに対して親しみを向けていない…。
「………」
どうかしてる。
なぜ、こうも、彼の『よそよそしい』――ミルガウスに『害をなしそうな』言葉ばかりが、耳に残るのか。口をつこうとしているのか。
(考えすぎよ…)
どうしても離れない情景。
ミルガウスで見た、悪夢。
惨殺されていく、ミルガウスの兵士達。
そして、笑っていた、『彼』…――。
どう考えたって、夢の中で起こった、夢の中の出来事。
「………」
「ティナさん? どうかしたんですか?」
ふいにアベルが顔を覗き込んできて、ティナは軽く首を振った。
「………なんでもないわよ」
そう。なんでもない。
あれは、夢なのだから。
「ちょっと、あっちの部屋の様子見てくる」
立ち上がったティナは、さっと踵を返しかけた。
「あ、ティナさん、もう一つだけ…」
後ろから、かかる声。
「?」
半身で振り返ると、少女は、じっとティナを見つめていた。
黒い瞳は、真摯に何かを訴えていた。
「私に分かることはないってさっき言いましたけど、一つだけ。――王国には、元々五つの石版がありました。ティナさんたちがもたらした石版を二つあわせて、全部で七つ。…もしここにそれが集まっているとして…、石版が七つ揃ったら、すごい負の力の吸収体になりますよね。ミルガウスの鏡の神殿は、その力を無効化するところなんです。だから…」
「………」
「一刻も早く、石版をもって帰らないと。…ホントは、ティナさんたちの石版はミルガウスに残しておくべきだったものなのかもしれません。だけど、ティナさんたちが石版を持っているようにお父様に進言したのは、カイオスなんです」
「あいつが…」
「はい」
アベルは、こっくりと頷いた。
「ティナさんが、カイオスに対してあまりいい印象を持たないのを別にどうこうは思いません。けど、多分カイオスは、ティナさんを…――」
「分かってる」
微かに笑って、ティナも頷き返した。
「あたしだって、別にあいつのこと悪く思おうと思ってんじゃないわよ…」
「………」
「じゃーね」
ひらひらと手を振って、ティナはそれでも足早に部屋を後にしていた。
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