Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第五章 裏切りの枉曲 
* * *
「…」
 後ろ手に閉めたドアに寄りかかって、ティナはふと上を見上げていた。
 古ぼけた宿の、古ぼけた天井が、しっとりと佇んでいた。
「…カイオスが、あたしを…?」
 アベルの言葉にその場で頷いて見せたものの、彼女は、苦く口元をゆがめた。
 あの男が、通りすがりの旅人に、闇の石版を託した…?
(石版といえば…)
 アベルの話では、石版の安置場所、鏡の神殿には、高位継承者しか入る事のできない結界が張ってあった…。ティナたちも、実はそうだったりするのだが、それでも、侵入を察知したミルガウスの兵隊達に、すぐに見つかってしまった…
「………」
(何か、ひっかかるのよねー)
 どこか、何か。
 アベルの話と、あの時の光景が。
 どこかで、食いちがっているような…
「………」
 考えることは、苦手なのだ。
 そんな性分とも、短い付き合いでもない。
(まあ、良くわかんないこと理由に、疑っても、しょーがない。か)
 カイオス・レリュードに会って、何をどう確かめたいのか、それは、ティナにも良く分からないものだったけれど。
「当たって、砕けろよね」
 小さく口の中で呟いて、彼女は隣の部屋の扉を開けた。


――マズ、ミルガウスノ『天ト地ト地』ノ交ワル地ヲ破壊シ、魔ノ通リ道ヲ作ル。…ソシテ、後ハ、生贄ヲ…――自ラ結界ニ閉ジ込メラレタ生贄ヲ捧ゲルダケダ。ソレデ、『アノ方』ハ復活スル。

――………。

――ソノ入レ物ハ、ヤッパリ七ツナクチャ。

――しかし、二つの石版をあわせても、まだ六つしかないんだろう。どうするつもりだ。

――…。

 それは、ただ笑っていたのだ。

――ソノ時ハ…流石ノ『アノ方』ノ力モ半減シテシマウ…。ダケド他ニイイ日モナイシネ…。

 今夜ダヨ。ソレハ、変ワラナイ。



「…止めることは、できなかった、か」
 彼は、自身の手に視線を落とし続けていた。
 うつし込んだ瞳は、淡々としていた。
 抑揚も、感傷もなく。
「………」
 ため息をつきかけたとき、不意にドアが開かれた。


「入るわよ〜」
 がちゃりと扉を開けて、ティナは中を覗き込む。
「………」
 途端に鋭い視線が彼女を射抜いて、ティナは少し息を詰めた。
「…な、何なのよ」
「ノックぐらい、してから入れ」
「あーら、ごめんなさい。育ちがあんたみたいによくないのよ」
 部屋の椅子に腰を下ろしたカイオス・レリュードは、それにしては驚いた様子もなく、腕を組んで息を吐いた。
 ただ、腕を組んだその時、さりげなく何かを後ろに引っ込めたのを、彼女は目ざとく拾っていた。

――…変と言えばさあ、俺、ちょっと思ったんだけど、カイオスの手…

「………」
 クルスの言葉を思い出して、ふと、視線をそこに置く。
 どこか、ほっとする。ティナたちと、何も変わることがない、手…――
(クルスも…この手のどこに引っかかったってのよ…)
 だが、この時ティナは、自身の胸中に掠った本物の違和感に、気付いていなかった。あるいは、気付かない振りをしていたのかもしれない。
「…様子、見に来たのよ」
 鋭い視線に耐えかねて口を開けば、ため息が返されてきた。
「何よ…なにかあったら、あたしらの責任なんだから!」
「…」
 声を高めても、反応無し。
 それは、どこか相手にされていないような印象を植え付けて、ティナは無意識に唇をかみ締めていた。
「…ところで」
 その瞬間、話を切り出されたので、かえって驚く。
「な、何よ」
「闇の石版は、今も携帯しているのか?」
「あ、当たり前でしょ!」
「…昼間、魔族の襲来があったな」
「…」
 話が、いきなり飛んで、言葉なく頷くしかなかった。
「どう思う」
「どう…って」
 意見を求められたのは、初めて顔を合わせてから、初めてのことかもしれない。
 意外というより、驚きだった。
「おかしいとは、思わなかったか」
 よどみなく、流れる言葉に、ティナは首をかしげた。よく喋るあんたの方が、おかしいわよ。
「おかしいって…まあ、くだらない仮説程度なら、立ててみたけど…」
「仮説?」
「この町に、残りの闇の石版が、あるんじゃないかって…」
「………」
 そうだな。と、ミルガウスの左大臣を務める男は頷いた。
「その通りだ。石版は、存在する」
 そして、もうすぐ、揃う。
 その言葉は。
 あまりに静かだった。
 だから、反応できなかった。
「…え」
 驚愕は、一瞬。
 腹に伝わった、衝撃。
 のろのろと視線を落としたティナの目に、自身の身体に突き立った拳が映った。
 ティナと同じ、――そう、ティナと同じ、いやそれ以上の、戦士の固さを持った、無骨な拳だった。
 左大臣と呼ばれる男のものにしては、あまりにも、戦いを知っていすぎる…手。
「…あん…た」
 食いしばった歯の間から、零れる、音。
 それが次の一言を吐き出す前に、彼女の身体は、傾いでいた。
「………」
 女を沈黙させた拳を無言で引き抜くと、カイオス・レリュードは、彼女を静かに受け止めた。
 素早く、探る。
「…」
 やがて見つかった闇の石版をその手にして、彼は、宵の町へと足早に消えていった。

* * *
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