「…」
後ろ手に閉めたドアに寄りかかって、ティナはふと上を見上げていた。
古ぼけた宿の、古ぼけた天井が、しっとりと佇んでいた。
「…カイオスが、あたしを…?」
アベルの言葉にその場で頷いて見せたものの、彼女は、苦く口元をゆがめた。
あの男が、通りすがりの旅人に、闇の石版を託した…?
(石版といえば…)
アベルの話では、石版の安置場所、鏡の神殿には、高位継承者しか入る事のできない結界が張ってあった…。ティナたちも、実はそうだったりするのだが、それでも、侵入を察知したミルガウスの兵隊達に、すぐに見つかってしまった…
「………」
(何か、ひっかかるのよねー)
どこか、何か。
アベルの話と、あの時の光景が。
どこかで、食いちがっているような…
「………」
考えることは、苦手なのだ。
そんな性分とも、短い付き合いでもない。
(まあ、良くわかんないこと理由に、疑っても、しょーがない。か)
カイオス・レリュードに会って、何をどう確かめたいのか、それは、ティナにも良く分からないものだったけれど。
「当たって、砕けろよね」
小さく口の中で呟いて、彼女は隣の部屋の扉を開けた。
■
――マズ、ミルガウスノ『天ト地ト地』ノ交ワル地ヲ破壊シ、魔ノ通リ道ヲ作ル。…ソシテ、後ハ、生贄ヲ…――自ラ結界ニ閉ジ込メラレタ生贄ヲ捧ゲルダケダ。ソレデ、『アノ方』ハ復活スル。
――………。
――ソノ入レ物ハ、ヤッパリ七ツナクチャ。
――しかし、二つの石版をあわせても、まだ六つしかないんだろう。どうするつもりだ。
――…。
それは、ただ笑っていたのだ。
――ソノ時ハ…流石ノ『アノ方』ノ力モ半減シテシマウ…。ダケド他ニイイ日モナイシネ…。
今夜ダヨ。ソレハ、変ワラナイ。
「…止めることは、できなかった、か」
彼は、自身の手に視線を落とし続けていた。
うつし込んだ瞳は、淡々としていた。
抑揚も、感傷もなく。
「………」
ため息をつきかけたとき、不意にドアが開かれた。
■
「入るわよ〜」
がちゃりと扉を開けて、ティナは中を覗き込む。
「………」
途端に鋭い視線が彼女を射抜いて、ティナは少し息を詰めた。
「…な、何なのよ」
「ノックぐらい、してから入れ」
「あーら、ごめんなさい。育ちがあんたみたいによくないのよ」
部屋の椅子に腰を下ろしたカイオス・レリュードは、それにしては驚いた様子もなく、腕を組んで息を吐いた。
ただ、腕を組んだその時、さりげなく何かを後ろに引っ込めたのを、彼女は目ざとく拾っていた。
――…変と言えばさあ、俺、ちょっと思ったんだけど、カイオスの手…
「………」
クルスの言葉を思い出して、ふと、視線をそこに置く。
どこか、ほっとする。ティナたちと、何も変わることがない、手…――
(クルスも…この手のどこに引っかかったってのよ…)
だが、この時ティナは、自身の胸中に掠った本物の違和感に、気付いていなかった。あるいは、気付かない振りをしていたのかもしれない。
「…様子、見に来たのよ」
鋭い視線に耐えかねて口を開けば、ため息が返されてきた。
「何よ…なにかあったら、あたしらの責任なんだから!」
「…」
声を高めても、反応無し。
それは、どこか相手にされていないような印象を植え付けて、ティナは無意識に唇をかみ締めていた。
「…ところで」
その瞬間、話を切り出されたので、かえって驚く。
「な、何よ」
「闇の石版は、今も携帯しているのか?」
「あ、当たり前でしょ!」
「…昼間、魔族の襲来があったな」
「…」
話が、いきなり飛んで、言葉なく頷くしかなかった。
「どう思う」
「どう…って」
意見を求められたのは、初めて顔を合わせてから、初めてのことかもしれない。
意外というより、驚きだった。
「おかしいとは、思わなかったか」
よどみなく、流れる言葉に、ティナは首をかしげた。よく喋るあんたの方が、おかしいわよ。
「おかしいって…まあ、くだらない仮説程度なら、立ててみたけど…」
「仮説?」
「この町に、残りの闇の石版が、あるんじゃないかって…」
「………」
そうだな。と、ミルガウスの左大臣を務める男は頷いた。
「その通りだ。石版は、存在する」
そして、もうすぐ、揃う。
その言葉は。
あまりに静かだった。
だから、反応できなかった。
「…え」
驚愕は、一瞬。
腹に伝わった、衝撃。
のろのろと視線を落としたティナの目に、自身の身体に突き立った拳が映った。
ティナと同じ、――そう、ティナと同じ、いやそれ以上の、戦士の固さを持った、無骨な拳だった。
左大臣と呼ばれる男のものにしては、あまりにも、戦いを知っていすぎる…手。
「…あん…た」
食いしばった歯の間から、零れる、音。
それが次の一言を吐き出す前に、彼女の身体は、傾いでいた。
「………」
女を沈黙させた拳を無言で引き抜くと、カイオス・レリュードは、彼女を静かに受け止めた。
素早く、探る。
「…」
やがて見つかった闇の石版をその手にして、彼は、宵の町へと足早に消えていった。
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