――アレントゥム自由市 外部野営地
焚き火が夜気にはぜる。
うつろな赤が、囲んだ人々の面を憂鬱に照らしながら、夜の彼方へと溶けていった。
日のあるうちに、大量の魔族が大挙してアレントゥム自由市に押し寄せてから、もう、半日近く経つだろうか。
自由市が魔物の侵攻を防ぐために、内側から張った結界に締め出される形になった人々は、街を目前に、肩を寄せ合っていた。
息を詰めた静寂だけが、彼ら、――キルド族やりんご祭りを楽しみに訪れていた旅人達を包み込む。
「…いつまで、野宿なんやろ」
一人がぽつりと呟く。
大した音でもない――しかし、閑散とこだまして、その場を共有する全員の耳を打った。
その耳に、風に乗って闇から届く不気味な音…――。
町を襲った魔族たちが、自由市の結界にたかっているのだった。――彼らには見向きもせずに。
なにかを引っかく音、甲高いうめき声、否が応でも人々の目を覚ます。
煌々とはぜる焚き火が、憂鬱な赤をくゆらせながら、深々と夜気にはぜていた。
「………」
人々は肩を寄せ合う。
そして、朝を待つ。
■
――アレントゥム自由市 大通り
「まあ、見事なものですわね」
ジュレスは自身の唇に指を触れた。
繊細な輪郭の、艶やかな光沢を遊びながら。
「…人っ子一人、歩いていませんわ」
人の気配が取り払われた石畳。
彼女のヒールだけが、音を弾く。
ふと、空を見上げた。
今日の月は、いまだ天上に存在しなかった。
「………」
何も起こらないといいんですけれど。
輪郭が弾く言葉は、音を伴わない。
■
――アレントゥム自由市 波止場 海賊船
「でもまあ、こんだけ情報が少ないんじゃなー」
ロイドがのんびりとあくびをかみ殺したのは、船長室が大分静まり返ってからだった。
「メシ、食わないか? 多分ジェーンが待ってる」
「…そーだなー昼間久々に動き回ったんで、腹が減ってしょーがねえ」
すぐさま同意したのは、黒髪の将軍だった。
アルフェリアが同僚の方を振り返ると、彼女もやがて頷く。
「…そうですね」
「決まりだなっ」
ロイドは傍らを振り返る。
「いーだろ、副船長」
「………」
無言で立ち上がるローブの青年に、アルフェリアが肩を竦める。
「返事ぐらいしろよなー」
「まあまあ」
ローブは無視した。
眉を上げたアルフェリアをロイドが取り成して、四人は船室を後にした。
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――アレントゥム自由市 東大通り
「…やな風」
ウェイは、肩を抱くように上を見上げた。
一人の夜道。静寂そのもの。
――風の音が、良く通る。
轟々とたなびいていく雲が、結界の向こう側にどす黒くうかがえた。
彼女は、美しい柳眉を上げた。
「…こんな日は…」
何も、起こらないといーんだけどね。
呟いて、彼女は口元を引き締めた。
■
――アレントゥム自由市宿屋
「ティナさん、どこ行っちゃったんでしょうね。カイオスも、いませんし」
「うー。オレ、お腹空いたよ」
「もう、クルスさんは、いっつもそれですね!!」
アベルは、頬を膨らませてから、しかしふと、窓の外を眺めた。
「何もないといーんですけど」
「にゅ? オレじゃ、不安?」
「そーじゃないですよ。けど…」
それ以上、アベルは何も言わず、窓の外を見つめ続けた。
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――アレントゥム自由市 近郊遺跡『光と闇の陵墓』
「…ただいま戻りました。七君主さま」
『ダグラス』が、託された二つの石版を携えて空間を転移して現れた先には、見慣れた景色と自身の主のほかに、見知らぬ女が二人いた。
一方は黒髪黒目の気の弱そうな女、もう一方は、赤髪にワインレッドの瞳を持った、猫目の少女だった。
「………」
思わず『ダグラス』が眉を上げると、女は目を細め、少女は目を逸らす。
「…仲間ダヨ。僕ノ」
「!!」
とっさに声の方を振り返ると、赤い目を細めた主が、じっとこちらをみすえていた。
「デ、石版ハ?」
「こちらに」
差し出す。
瞬間、赤毛の少女が、もの凄い目つきで睨んできたが、口に出しては何も言わなかった。
受け取った七君主は、薄く笑った。
言った。
「コレデ、六ツ」
「………」
「完成形ニハホド遠イガ、…――ヤルカ」
「………」
「ア、デネ。『ダグラス』。君ニチョット頼ミガアルンダケド…」
「は」
頭をたれる。
続く言葉に深く目を閉じた。
「ドウシテモ、魔ノ通リ道ガ必要ナンダ。ダカラ君…――」
そのとき七君主は、
「『ミルガウス』ヲ滅ボシテ来テクレル?」
確かに、笑っていたのだ。
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