ティナには、理解を超えた光景だった。
結界を越えた先。
城門を越えた先。
光と闇の陵墓と呼ばれる大戦遺跡の真ん前で、双子と見間違えてもおかしくない二人が、まったく一緒の声音で何やら話をしていたから。
そして、一方から一方に、渡された、石版…――
「待ちなさい!!」
思わず声を上げる。
そうして二対の視線にさらされながらも、急に冴えたように、先ほどアベルの部屋から出たとき感じた違和感が、何を示すか閃いていた。
高位継承者しか近づけない結界。
うっかりと足を踏み入れて、そして、兵士達に見つかってしまった、ティナたち。
じゃあ、カイオスは?
兵士より先にティナたちと接触し、兵士に気付かれることもなく、そして、『偶然』そこに居合わせた左大臣は?
どうして? どうやって、あそこに居たのだ?
何のためにあそこに居たのだ? 兵士達に存在を悟られず、どうやって、ティナたちの背後をとるような真似ができていたのだ!?
それに、出発の直前、右大臣サリエルがほのめかした不信感。
尋問の前夜、ティナたちに、拷問めいた詰問など…――あえて何もしなかった、カイオス・レリュード。あれは、最初から、ティナたちが石版の犯人ではなかったことを知っていたからこその、放置だったのではなかったのか。
魔族に追いかけられるのを承知で、わざわざ石版を旅先に持っていくように言ったことも。
彼ほどの男が、最初からアレントゥム以外の目的地をまったく意識していなかったことも…。自由市の政府に、あえて連絡を取らなかったのも。
良く考えてみれば、思い当たることばかりだった。
「………」
下らない夢に、悩むことじゃなかった。
バカみたいに、『敵』だそうじゃないを頭で考えている次元の問題では、なかったのだ。
答えは…最初から、目の前で起こっていたのに…
気付くチャンスは、何度も、あったのに…!!
「っ…」
唇を噛んで、眼前の光景をにらみつける。
最初から、踊らされていたのか…!? この、男に。
ミルガウスの左大臣と言う名の、よそ者の男に!
ティナに向かって手を掲げていた一方が、短いやりとりの後、虚空に消える。
『消える』…――その光景も、ただ、ティナを混乱させるだけだった。
空間を渡る術。人間には決して扱えない…――むしろ、天使や魔族特有のものだ。
その一方で残った男の眼光に唇を引き結ぶ。
彼は、相変わらず無表情に見返してきた。
何となく、分かった。
いくら、容姿容貌が似通っていても、目の前のこの男が、カイオス・レリュードであることを…。
「あんた…今の男…」
消えた…しかも、なんで、そっくり…
そう、呆然と紡いだティナの目の前で、青年はすらりと刃を抜いてみせた。
月光に光る刀身は、ぞっとするほど冷たかった。
一気に体が冷える。
「っ!?」
「石版は、あいつに渡した」
あっさりと、最悪の言葉が零れ、さらさらと風に溶けていった。
「な…!?」
「取り返したければ」
俺を倒してみな。
瞬間、一挙動に迫る剣閃。
腰の短剣を抜いて、かろうじて受けた。
「くっ…」
重い。
じわりと重心がずらされていく。
刀身を叩かれる前に、ティナは一旦退いた。
息を整え、腰の長剣に手を伸ばす。
踏み込んできた斬撃を弾いて、懐めがけて一気に踏み込む。
「せいっ」
軽くいなされる。
返す刃で逆に追い詰められ、ティナは唇を噛むしかなかった。
――強い。
悔しいが、それが正直なところだった。
今までの道中、滅多に刃を抜くことが無かった。
アベルを守るため、それでもわずかに見せた剣技は、忠実なミルガウスの流派。実戦に必要なの勘のようなものは見られなかったし、それは、左大臣として国の頂点に君臨する人間の相応の剣だと、ティナはそう思っていた。
実戦に手を出さないのは、彼なりにティナたちに気を使っていたのだろうと。
勝てる。
彼女は、そう思っていた。
実戦と模擬戦との違い。
攻めるところ、退くところ。彼女には、青年の剣をいなす自信があった。
――だが。
今、カイオス・レリュードは、ティナの一撃を軽くいなし、逆に斬り込んで来た。
――避けられなかった。
あわてて退いた彼女の二の腕に、赤い線が、一筋入る。
「っ…何よ…随分印象の違う剣、使うじゃない」
しかも。
(ミルガウスの流儀じゃない)
実戦に特化した、型と言うより、我流とくくった方がしっくりくる…――そんな、剣閃だった。
「…ミルガウスの人間が、他人の前でミルガウスの流儀以外を使うわけにはいかなかったからな」
静かな言葉は、逆にティナの感情を逆なでていった。
戦闘に生まれた静寂を埋めるように、ティナは、押し出した。
苛烈に、見据えて。
「どういうつもり…?」
「………」
「ミルガウスの石版も、アンタが持ってったんでしょ…? さっきの、男も。…あんた…一体、何者、なの?」
感情を、ぎりぎりに押し込めた言葉は、それでもこらえ切れず、微かに上擦っていた。
カイオス・レリュードは、――その名を頂いた、異国の男は、何も言わなかった。
剣を、掲げた。
「聞きだしたければ――」
「!?」
「腕ずくでやってみな」
迫り来る剣先は予想よりも遥かに早く、ティナは半ばのけぞるようにその一撃をかわした。
「くっ…」
体制を、立て直す暇など与えてくれない。
追撃は、容赦なく迫り、かろうじて剣の柄ぎりぎりの刃を犠牲にして、彼女は眼前いっぱいにその剣を受けた。
見合う瞳は、静かだった。
「つ…あっ!」
傷を負った腕が悲鳴を上げる。
踏みとどまったのは、もはや意地だった。
「…っんたなんかに!!」
刀身ごと弾き返し、
「やられるわけ、ないでしょ!?」
そのまま一気に斬り込んでいく。
弾きあう火花が闇に散り、ただ必死でティナはそれを打ち返していた。
責めれば退き、押されれば容赦なく迫る。
流水の如くその剣閃は、ティナの攻撃のパターンや、弱点を読んだかのように、弄び、光を弾く。
(観察してたのかしらね)
これまで、彼らを守るために散々前線で戦ってきた。
手を出してこなかったのは、彼女の剣の癖を見取る目的もあったのか。
(それにしても…やりにく…)
一閃ごとに増える傷は、徐々に緩慢に、だが確実に、ティナの動きを縛っていった。
「つ…!」
渾身の一撃を弾かれて、ティナは後ろに吹っ飛んだ。
その瞬間懐に入り込まれ、下からすくい上げられる。
(速い!!)
「!!」
地面に叩きつけられて、声なくティナは呻いた。
痺れた利き腕は熱く、そこに在るはずの剣を見出せない。
(弾かれた…)
これで、丸腰同然。
荒い呼吸を繰り返すしかないその眼前に、すっと銀の軌跡がつきつけられる。
(ちっ………)
どうする。
魔法で勝負でも、かけてみるか。それとも、懐の短剣であがいてみるか。
(どっちも、無理か…)
魔法を詠唱する暇も、短剣に手を伸ばす時間も、与えてくれないだろう。これだけの使い手ならば。
(どうする…)
こんなところで、殺されてやるなんで、絶対、ごめんだ。
特に、目の前のこの男なんかに、殺されてやるのだけは!
「………」
一方で、突きつけられたまま動かない剣先をいぶかしむ。
まだおさまらない呼吸をなんとか喉の奥に押し込めて、ティナは砂に乾いた喉からかすれた声を出した。
「何…? 今さら、情けでも、…かけてくれる、つもり…?」
「一つ、教えてやろう」
「…え」
まったく予想もしていなかった言葉に、目を見開く。
「死ぬ前に、あの世へのみやげをくれてやる」
悔しいことに――呼吸一つ乱していないその声は、いつもどおり、淡々と響いた。
どの道否という状況でもない。
ティナが肩から力を抜くと、男は語り始めた。
■
昔…アクアヴェイルに、ダグラス・セントア・ブルグレアと呼ばれる男がいた。無属性魔法の権威であり、また、国内外からも、賢臣の誉れ高いと評判の男だった。
男の口調によどみは無かった。
しかし、ある時、彼の息子がシルヴェアへの人質として送られた。その息子は、不慮の事故で永遠に帰ってこなかった。
息子の死を聞いた時、男は魂を悪魔に売り渡した。
「………え」
ティナは、呆然と呟く。
言葉は、途切れる事なく紡がれていった。
「ヤツは、世界が滅びる事を願った。そして、自身の身に七君主を宿らせた。その上で、悪魔の術を使い、自身の身体を、分身とでも言うべき幾百もの『ダグラス・セントア・ブルグレア』として、大量に作り出した。複製、複写、模造――なんでもいい。命さえ操りうる魔界の文明の知識を持った七君主は、それらを大量に作り出した」
全ては、この世を憎んだがため――。
男は、静かに言葉を止めた。
ティナは、言葉を見つけられなかった。
頭の中の白い思考が、から回って声を奪う。
男の青い目が、そんなティナを無情に見下ろしていた。
最後の言葉を、淡々と落とした。
口調も表情も、変えぬままに――
「その一人が、俺だ」
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