――アレントゥム自由市『光と闇の陵墓』前
――分からなかった。
一体、何が起こっているのか。
ただ、目で追うしかない。眼前の遺跡が突如、光に包まれ、わだかまり、強大なエネルギーをその内にため込んだかと思うと――放出した。
静かに眠る、アレントゥム自由市に向かって。
「あ…つ!?」
それは、あまりに突然すぎた。
意表を全くつかれたことと、エネルギー放出の余波が相成って、ティナは一転すると地面に叩きつけられていた。
もろに地面に顔をこすり、ニ、三転の後にやっと顔を上げる。
土を吐き出すより先に、彼女の瞳はその極限を越えたところまで見開かれた。
「え…?」
アレントゥム自由市が、燃えていた。
どす黒い赤が、夜気を食みながら、外壁を侵食していく…炎がまるで腕を持って包み込むように。
そして、包み込まれていくその端から、嘘のように瓦礫がぱらぱらと風に溶けていった。
街は半ば以上崩壊し、やがて絶叫と何かが焼け焦げた臭いが夜の風を伝って微かに届いた。
「あ…」
何が、起こったんだろう…。
今、一体、何が起こったんだ!?
解き放たれた衝撃波。
瓦解した自由市。
「あっ!!」
怒りが喉を引き裂くよりも早く、
ドゥ………ン――
遺跡が二度目の咆哮を上げた。
突風の衝撃が、座り込んだティナを体ごと持って行きそうな勢いで通り過ぎていった。
それは、土を焦がし、草を焼き、闇を赫く裂きながら、炎上する都市に向かって、音も無く吸い込まれていった。
崩れた外壁は、自ら滅びを受け入れたようにも、見えた。
衝撃は、ゆるやかに外壁を懐柔すると、その向こうに広がる市街地を、一掃した。
砂の城が、最後の風に負けたときのように、かろうじて生きていた町は、ばらばらと吹き飛んでいった。積み上げたおもちゃが、崩されていくように――。
「あっ………」
ティナは、ただ喘いだ。
頭が、何か、つっかえてしまったように、回らない。
呆然とした空白が、目の前の光景をただ映しこんでいく。
風が臭気を運び、土煙が空高くうずき、炎ごと吹き飛ばされた巨大な石の残骸が、木の葉のように舞い散っていくさまがティナの眼前で巻き起こっていた。
あの中に、――あの、吹き飛んだ『廃墟』の中に、クルスやアベルや、――町の人、そして祭りに浮かれ、騒ぐために集まってきた何人もの人が居たと思い至るのに、しばらくかかった。それでもなお、感情が現実を拒む。
実感が、わいてこない…
――あたしは、今、何を見たのだ…?
「『ダグラス・セントア・ブルグレア』――」
そんな声が耳に届いて、ティナはゆるゆると振り返った。
そこに居た男は、――『カイオス・レリュード』は、少なくとも驚いているように、ティナには見えた。
しかし、そのことが、この目の前の惨劇に対して何の言い訳になる!?
見渡す限りの廃墟だった。
ティナは、そこにいた。
喉まで何か出かかっているはずなのに、声が、出ない。
顔をさらう疾風が、見開かれたままの瞳を冒していく。
「っ…」
ぎりぎりまでこみ上げてきたものがあった。
彼女は、ある瞬間にそれを爆発させた。
あらん限りの感情で、あらん限りの激情に乗せて――。
「――これが…あんたの望んでいたモノだって言うの!? いいかげんにしなさいよ! カイオス・レリュード!!」
それは、ほとんど衝動だった。
ティナは身を翻すと、男の胸倉をつかみ、その頬を力の限り殴り飛ばした。
まともに受けた身体は、嘘のようにあっさりと、地面に投げ出される。
「っ――」
「七君主の手先だとか、作られた分身が云々とか、そんなことはどうでもいーのよ!! あんたは!! あんた自身は!! こんなことどーとも思わないの!? こんなことになってもまだ、七君主だとか、石版渡して世界をどーするとか、言えるわけ!?」
その、カイオスに向かって、ティナは声を高めた。
屍の残骸となった街が、闇を背景に突っ立っていた。
行き場を失った死者のように、ティナには思えた。
口の中で転がる砂利も、さっきの戦闘で負った傷も、全てが不快だったが、ティナは構わなかった。
ただ、許せなかった。
信じられなかった。
――目の前の惨劇を目にして、それでも平然としている、カイオス・レリュードが。
「………もし、石版を七君主に渡さなかったら」
地に身体を投げ出したまま、男は淡々と返した。
「『こう』なったのは、ミルガウスだった」
ティナは、唇をかみ締める。
「取り入った国に、情でもわいたの?」
「………」
「お偉い左大臣さまには、分からないかも、知れないけどさ」
声を殺して、続ける。
「目の前のモノ、壊されたくなかったって、…そーゆーことなんでしょ? だから、七君主の言うこと、聞いたんでしょ? けどね…目の前のモン壊されたくないからって、他の人たち、犠牲にしていいと、思ってんの…」
「…」
「ミルガウスがよければ、他の国はどうでもよかった? アレントゥムにも、あんたが思ってるみたいに、自分の国を思ってる人間がいるはずだ、って…――理不尽に犠牲にされる筋合いなんて無いって…、そんなことも、わからなかったの!?」
再び、声が上ずる。
返答は無い。
血の臭いを孕んだ夜風だけが、二人の間を流れていた。
「取り入った国に情がわくのは勝手だけど、だからって、それでみんなが納得するとは思わないで。どーせ、あんたにとっては、目の前のものがこわれなきゃ、ミルガウスだろうが、なんだろうが、どうでもよかったんだろうけど…――」
「――違う」
ため息が完全に吐き出されないうちに、その言葉がティナの動きを止めた。
目の前の男は、確かに何か言いかけて、そして長く息を吐いた。
言葉の代わりに、彼は懐を探る仕種をした。やがて、ティナの方に何か放る。
「え? あっ…」
慌てて受け取って、その感触にティナは息を呑む。
「これは…」
石版。
しかし、ティナたちの石版は、カイオスによって、既に誰かの手に渡ってしまっている。彼女は、確かに、自分のこの目で先ほどそれを見た。それに、アベルは確か、こういった。
――王国には、元々五つの石版がありました。ティナさんたちがもたらした石版を二つあわせて、全部で七つ。
ミルガウスから盗まれた石版は、五つ。ティナたちがもたらした石版は二つ。
七つの石版。
では、この一つは…――
「あんた…これ――」
もしかして…
その先を言葉にする前に、カイオス・レリュードは淡々と切り出した。
「俺が持っていれば、いずれは七君主の手に渡る」
ただ、そう言った。
「持って行け。ヤツは、石版が六つしかなかろうがなんだろうが、やるつもりだぞ」
「や、やるって――」
「カオス復活の儀式」
「!?」
「七君主には悪いが、俺はそんなの御免だ」
「あ、あたしもそーよ!!」
髪をかきあげて、どこか吹っ切れたように紡ぐカイオスに、咳き込むようにティナも声を重ねる。
その彼女に向けて、カイオス・レリュードは視線をよこした。
「七君主を止めに行くんだろ?」
今はただ真摯な瞳が、ティナをじっと見つめていた。
「二人のガキのめんどうは俺が見てやる。お前はさっさと先に行け」
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