――アレントゥム自由市 『光と闇の陵墓』
きっかけは、ささいな事だった。
あまりに栄えすぎた文明の末に、魔族をさげすんだ天使と。
それを受け入れ続けて、終には自らの精神を壊してしまった魔族。
地上で二つの種族はぶつかりあい、第一次天地大戦と呼ばれる悲劇が起こった。
そして、その最中、もっとも気高い二つの魂が砕け散った。
最初の人。
天使イオスと魔王カオス。
彼らは互いが互いを刺し貫いて、その地で果てた。
後の歴史はその場所を、アレントゥム自由市と名づけた。
アレントゥム自由市。
――『光と闇の陵墓』と。
(…未だ探索が進んでなくて、ヤバい魔物がうようよしてんのよね…)
遺跡の入り口を封じていた結界は、ティナの手で消滅した。
魔法で出した光を背後に、慎重に押し開けていく。
闇に細い光が入り、吹き込んだ風で埃がゆるやかに舞い散っていった。
乾いた石の床、その向こうに今のところ殺気は感じられない。
(…まーったく…手当たりしだい行くしかないのかしら…。いや)
息を詰めたまま、ティナは自分の懐に手を遣った。
石版。
(引き合う…はず)
唾を飲み込む。
最後にちらりと振り返ると、小さくなっていくカイオス・レリュードの後ろ姿が見えた。その先には、廃墟と化したアレントゥム自由市。この後、彼は町に行き、アベルたちと合流する…
(大丈夫かしらね…)
というか、クルスたちは生きていてくれるのか。
怒りの引いた今は、その一念が胸をつまらせていた。
(…頼んだわよ)
大きく息を吸い、ティナは最初の一歩を踏み出した。
■
――アレントゥム自由市近郊 キルド族野営地
「嘘やろ…」
呟いたのは、誰か。
ただ、見守るしかないキルド族たちの目の前で、昼間、たまたま自分達が閉め出された街が、ばらばらに崩れていった。
崩れていった。
波打ち際に放り出された砂の城が、寄せる波に負けたときのように。
「………」
愕然とした恐怖が、人々を縛り続けた。
血臭が、濃く人々を取り巻いても、暫く誰も動けずにいた。
「…行くか」
キルド族の中にあって、異色の容姿を持った少年は、呟いた。
表情さえ変えないその姿は、誰にも悟られることのないまま、夜の闇の中に消えていった。
■
――アレントゥム自由市 大通り
「行きましょうか」
低く、ジュレスは呟く。
街を席巻した、強大な力…その、衝撃を、彼女はあっさりと受け流した。
泣き声、血臭、死臭…――
その全てが彼女にかする事はなかった。
血の一つ、土に塗れた跡さえない…――
淑女の碧眼が細まる。
蒼い髪を艶やかに翻し、彼女は町外れへと向かって行った。
■
――アレントゥム自由市 波止場 海賊船
「うおっ何だあ!?」
閃光の後、横転した船に一瞬足場を崩されたものの、さすがの顔ぶれだけあって全員転ぶというザマは見せなかった。
しかし、反動で今度は反対に揺れ、同時に船体が激しく揺さぶられる。
頭上からはばりばりと木材がはがされていく不吉な音、そして、風がガラスを割る音が船内を駆け抜けていった。
「ただごとじゃねーぞ!」
「みんな、無事かあ?」
「外へ…!」
手近なものをとりあえずひっつかみ、身体を何とか保つ。動こうにも、動けない。
他の海賊達も、集まる気配を見せなかった。
「こりゃ、どんな嵐でも、おっつかねーぞ」
ロイドが珍しく真面目に悪態をついたところへ、
「「「「!?」」」」
闇だった船内が、再び明るくなった。
人間達の表情が凍るのを照らすことなく、再び暗転した後、――
二度目の大衝撃が来る。
海流が激しくうねっているのか、前後上下左右に船は大きく揺さぶられ、たまらず四人は床を跳ねた。
ここまで来ると、凌ぐだの身体を保つの問題ではない。
箱の中に閉じ込められて、がつがつ揺さぶられているのと同じだ。
随分と長く感じる、その間を、必死に頭を防御して、衝撃に耐え続ける。
「っ…」
がん、と一際激しい揺れを全身で感じた後、急に、波が静かになる。
幸いな――本当に、幸いな事に、転覆だけは免れたようだった。
四人は恐る恐る顔を上げた。
「終わった…のですか」
「最後の揺れは、でかかったなあ」
「…衝撃で綱が切れて、湾にぶつかったのかも」
「…そーかもな」
「みんな、無事かあ…?」
さすがの彼らも、座り込んだまま、ほうっと息をついた。
不気味な静けさは、破られる気配はない。
やがて海賊たちがぞろぞろと集まり始めて、無事を確認しあった。血に塗れてはいるが、全員生きている。確かに。
「…そと、出てみるか」
ロイドが言って、残りの人間達は、無言で頷く。
ふらふらと甲板に出た彼らは、一斉に口を開けた。
船を支える支柱が、途中からぼっきりと折れていた。
甲板は床をむしりとられた状態。碇を繋いでいたロープは、裂けていた。
そして、その船体は湾を囲い込むような防波堤のところで、――ほんのちょっと位置がずれていたら、堤にぶつかることなく沖まで運ばれていただろう…。そんな位置で、かろうじて沈黙していた。
だが、屈強の海賊たちを黙らせたのは、そんなささいな事ではなかった。
闇の向こう、船着場に至る湾内いっぱいに、船の墓場が築かれ、その死臭は、陸の彼方まで広がっていたのだ。
波色までも、血の黒に、染まりぬいたような。
「ボート出せ」
震える声で、ロイドは叫んだ。
「早くしろ! 助けに行くぞ!!」
■
――アレントゥム自由市 東大通
「っ…」
ウェイは、唇をかみ締めた。
「こんなことって」
彼女の目の前で、町が吹き飛んでいった。
破片が、部品が、赤い悲鳴が。
はじけては、彼女の横を通り過ぎて、消えていく。
それらは、彼女に掠りもしなかった。
彼女を取り巻く、その力の故に。
ただ、ウェイは見ていた。
街が、死んでいく様子を。
「………」
唇をかみ締めて。
ウェイは、駆け出した。
■
――アレントゥム自由市 宿屋
「…」
クルスが呪を唱え終わった瞬間、白い昼が一瞬差し込んだ。
直後、見えない空気の大槌が、街を踏み潰した。
そんな、衝撃が襲った。
「………」
窓が砕け飛び、その向こうを、建物が吹っ飛んでいった。
建物や、馬車や、家畜や、――人が。
どこからか上がった火の手が、赤黒く広がっていく。
少年の目が、細まる。刹那、二度目の光と轟音が、闇の街を蹂躙した。
クルスたちの宿が吹っ飛んだ。
モノとヒトを巻き込んで、上空まで押し上げられた後、もの凄い勢いで落下した。
血の、雨が降り、血の、道ができた。
町中で。
そして、その惨劇の果てに、死に絶えた建物の残骸が、忽然と遺されていった。
一瞬だった。
そのさまを。
クルスは見ていた。
ただ、見ていた。
きわどい瞬間に出現させた、何者をも拒む、結界に守られて。
「…ごめんよ。自分を守るだけで、精一杯なんだ」
いつも、いつだって。
「…ごめんよ」
小さく呟く少年の頬を、一筋のしずくが流れていった。
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