Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第六章 赫き贄は謳う 
* * *
――アレントゥム自由市 『光と闇の陵墓』



 きっかけは、ささいな事だった。
 あまりに栄えすぎた文明の末に、魔族をさげすんだ天使と。
 それを受け入れ続けて、終には自らの精神を壊してしまった魔族。
 地上で二つの種族はぶつかりあい、第一次天地大戦と呼ばれる悲劇が起こった。
 そして、その最中、もっとも気高い二つの魂が砕け散った。
 最初の人。
 天使イオスと魔王カオス。
 彼らは互いが互いを刺し貫いて、その地で果てた。
 後の歴史はその場所を、アレントゥム自由市と名づけた。

 アレントゥム自由市。
 ――『光と闇の陵墓』と。



(…未だ探索が進んでなくて、ヤバい魔物がうようよしてんのよね…)
 遺跡の入り口を封じていた結界は、ティナの手で消滅した。
 魔法で出した光を背後に、慎重に押し開けていく。
 闇に細い光が入り、吹き込んだ風で埃がゆるやかに舞い散っていった。
 乾いた石の床、その向こうに今のところ殺気は感じられない。
(…まーったく…手当たりしだい行くしかないのかしら…。いや)
 息を詰めたまま、ティナは自分の懐に手を遣った。
 石版。
(引き合う…はず)
 唾を飲み込む。
 最後にちらりと振り返ると、小さくなっていくカイオス・レリュードの後ろ姿が見えた。その先には、廃墟と化したアレントゥム自由市。この後、彼は町に行き、アベルたちと合流する…
(大丈夫かしらね…)
 というか、クルスたちは生きていてくれるのか。
 怒りの引いた今は、その一念が胸をつまらせていた。
(…頼んだわよ)
 大きく息を吸い、ティナは最初の一歩を踏み出した。


――アレントゥム自由市近郊 キルド族野営地

「嘘やろ…」
 呟いたのは、誰か。
 ただ、見守るしかないキルド族たちの目の前で、昼間、たまたま自分達が閉め出された街が、ばらばらに崩れていった。
 崩れていった。
 波打ち際に放り出された砂の城が、寄せる波に負けたときのように。
「………」
 愕然とした恐怖が、人々を縛り続けた。
 血臭が、濃く人々を取り巻いても、暫く誰も動けずにいた。



「…行くか」
 キルド族の中にあって、異色の容姿を持った少年は、呟いた。
 表情さえ変えないその姿は、誰にも悟られることのないまま、夜の闇の中に消えていった。


――アレントゥム自由市 大通り



「行きましょうか」
 低く、ジュレスは呟く。
 街を席巻した、強大な力…その、衝撃を、彼女はあっさりと受け流した。
 泣き声、血臭、死臭…――
 その全てが彼女にかする事はなかった。
 血の一つ、土に塗れた跡さえない…――
 淑女の碧眼が細まる。
 蒼い髪を艶やかに翻し、彼女は町外れへと向かって行った。


――アレントゥム自由市 波止場 海賊船



「うおっ何だあ!?」
 閃光の後、横転した船に一瞬足場を崩されたものの、さすがの顔ぶれだけあって全員転ぶというザマは見せなかった。
 しかし、反動で今度は反対に揺れ、同時に船体が激しく揺さぶられる。
 頭上からはばりばりと木材がはがされていく不吉な音、そして、風がガラスを割る音が船内を駆け抜けていった。
「ただごとじゃねーぞ!」
「みんな、無事かあ?」
「外へ…!」
 手近なものをとりあえずひっつかみ、身体を何とか保つ。動こうにも、動けない。
 他の海賊達も、集まる気配を見せなかった。
「こりゃ、どんな嵐でも、おっつかねーぞ」
 ロイドが珍しく真面目に悪態をついたところへ、
「「「「!?」」」」
闇だった船内が、再び明るくなった。
 人間達の表情が凍るのを照らすことなく、再び暗転した後、――
 二度目の大衝撃が来る。
 海流が激しくうねっているのか、前後上下左右に船は大きく揺さぶられ、たまらず四人は床を跳ねた。
 ここまで来ると、凌ぐだの身体を保つの問題ではない。
 箱の中に閉じ込められて、がつがつ揺さぶられているのと同じだ。
 随分と長く感じる、その間を、必死に頭を防御して、衝撃に耐え続ける。
「っ…」
 がん、と一際激しい揺れを全身で感じた後、急に、波が静かになる。
 幸いな――本当に、幸いな事に、転覆だけは免れたようだった。
四人は恐る恐る顔を上げた。
「終わった…のですか」
「最後の揺れは、でかかったなあ」
「…衝撃で綱が切れて、湾にぶつかったのかも」
「…そーかもな」
「みんな、無事かあ…?」
 さすがの彼らも、座り込んだまま、ほうっと息をついた。
 不気味な静けさは、破られる気配はない。
 やがて海賊たちがぞろぞろと集まり始めて、無事を確認しあった。血に塗れてはいるが、全員生きている。確かに。
「…そと、出てみるか」
 ロイドが言って、残りの人間達は、無言で頷く。
 ふらふらと甲板に出た彼らは、一斉に口を開けた。
 船を支える支柱が、途中からぼっきりと折れていた。
 甲板は床をむしりとられた状態。碇を繋いでいたロープは、裂けていた。
 そして、その船体は湾を囲い込むような防波堤のところで、――ほんのちょっと位置がずれていたら、堤にぶつかることなく沖まで運ばれていただろう…。そんな位置で、かろうじて沈黙していた。
 だが、屈強の海賊たちを黙らせたのは、そんなささいな事ではなかった。
 闇の向こう、船着場に至る湾内いっぱいに、船の墓場が築かれ、その死臭は、陸の彼方まで広がっていたのだ。
 波色までも、血の黒に、染まりぬいたような。
「ボート出せ」
 震える声で、ロイドは叫んだ。
「早くしろ! 助けに行くぞ!!」


――アレントゥム自由市 東大通



「っ…」
 ウェイは、唇をかみ締めた。
「こんなことって」
 彼女の目の前で、町が吹き飛んでいった。
 破片が、部品が、赤い悲鳴が。
 はじけては、彼女の横を通り過ぎて、消えていく。
 それらは、彼女に掠りもしなかった。
 彼女を取り巻く、その力の故に。
 ただ、ウェイは見ていた。
 街が、死んでいく様子を。
「………」
 唇をかみ締めて。
 ウェイは、駆け出した。


――アレントゥム自由市 宿屋



「…」
 クルスが呪を唱え終わった瞬間、白い昼が一瞬差し込んだ。
 直後、見えない空気の大槌が、街を踏み潰した。
 そんな、衝撃が襲った。
「………」
 窓が砕け飛び、その向こうを、建物が吹っ飛んでいった。
 建物や、馬車や、家畜や、――人が。
 どこからか上がった火の手が、赤黒く広がっていく。
 少年の目が、細まる。刹那、二度目の光と轟音が、闇の街を蹂躙した。
 クルスたちの宿が吹っ飛んだ。
 モノとヒトを巻き込んで、上空まで押し上げられた後、もの凄い勢いで落下した。
 血の、雨が降り、血の、道ができた。
 町中で。
 そして、その惨劇の果てに、死に絶えた建物の残骸が、忽然と遺されていった。
 一瞬だった。
 そのさまを。
 クルスは見ていた。
 ただ、見ていた。
 きわどい瞬間に出現させた、何者をも拒む、結界に守られて。
「…ごめんよ。自分を守るだけで、精一杯なんだ」
 いつも、いつだって。
「…ごめんよ」
 小さく呟く少年の頬を、一筋のしずくが流れていった。

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