空高く、天高く、立ち昇る黒き竜を、一体幾千万の人間が、その目に映したか。
石版が崩壊するときに前兆として現れるといわれている、魔の黒竜。
禍々しい魔力の波動は、それを彷彿とさせた。
夜の闇よりもなお昏(くら)く、猛々しい狂気の風の旋律。
この世の端々から魔に属するものを吸引しようと猛るそれは、人々の不安を激しく掻きたてながら深淵の闇が支配する夜の空に、君臨し続けていた。
そして、黒い渦に惹かれていくかのように、崩壊したアレントゥムから、血に濡れたミルガウス大平原の国境から――悲しみの涙が流された墓跡から、青白い光が生まれ、漂いながら、ゆっくりと立ち昇っていく。
散らされた命の、魂の輝きか――一斉に蛍が舞ったような幻想的な景色は、息を呑むほど美しく、ぞっとするほど寂しいものだった。
茫洋とした青に彩られ、深淵よりも昏い竜が舞い狂う、狂乱の宴。
幾多の血と、石版という闇の器に導かれ、呼応するように大地が震え、眠っていた魔王の魂が目覚めさせられていく。
それは、遥か上空でより合わさり、一つの絶対の弧絶たる生命体とならんと、うごめいていた。
その瞬間、遥か地上、栗色の髪に紫欄の瞳をした少女の呪文が完成した。
「出でよ、流転の女神。『不死鳥』」
そして、世界は光に包まれた。
■
――アレントゥム自由市市街
死に絶えた街。
一瞬で廃墟と化したアレントゥム自由市。
「あ…」
生き残って肩を寄せ合っていた人々、町の外から救助に駆けつけたキルド族の面々や、海賊たちも―― 一斉にそちらを見上げた。
黒竜に犯された暗黒の空、崩壊したアレントゥムの至る箇所から立ち上る、青い死者の光に照らされた絶望の空が、一転、まばゆいばかりの光に包まれていた。
■
――ゼルリア王国ゼルリア城
「陛下、アレントゥムの方に、何か…」
「分かっている」
年若きゼルリアの覇者、国王ダルウィン・ジルザーグ・サレリアは、自室から窓の外をじっと眺めながら息せき切って飛び込んできた使用人をねぎらった。
「…アルフェリアたちは、無事だろうか…」
物憂げに呟いて、彼は深く目を閉じる。
その瞬間、世界が光に包まれた。
■
――ミルガウス王国『鏡の神殿』
北方に向けられた幾多の視線、そのひたむきな注視の果てに、世界が光に包まれたのを、沈黙のうちに人々は迎えた。
「あ…」
ミルガウス国の右大臣、兵士たちが、呆然と口を開ける中で、国王ドゥレヴァは深く瞑想した。
「…長かったのう…」
独白に、答えるものは無かった。
そして、その国王ですらも――誰もが気付かないうちに、毒々しく神殿から立ち昇る魔の瘴気は、いつの間にか消えていた。
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――アレントゥム自由市『降臨の間』
扉を開け放った先。
光と振動に包まれた、大戦遺跡、光と闇の陵墓の終着地。
降臨の間。
「…」
ジュレスとウェイ、声も無く二人はその光景に見入っていた。
くいいるように、言葉も無く。
虹色に照らされた二人の半面が、優しい光を受けていた。
「な…」
扉を抜けたアルフェリアと副船長は、呆然と立ち尽くした。
立ち昇る黒い竜と、そして、茜色の優しい光が、彼らを受け入れていた。
「さすが、すごいモンやなぁ…。コレを見るんは、…もう、何年ぶりになるんやろ…」
クルド族の少年は、悲しく笑って顔を覆った。
「きれいやなぁ…。これを召喚できる人がここに辿りつけてるなんて…でっかい奇跡やなあ…!!」
「マサカ…」
勝利を確信した、していたはずだった七君主は、一気に顔色を変えた。
「マサカソンナ…! 人間ニ、『アノ力』ガ扱エル ハズガ…!!」
極限を越えたところまで見開かれた七君主の慟哭は、しかしまばゆいばかりの清浄たる光に呑み込まれていく。
「…あれが」
思わず、だろう。
目を見開いたままぼそりと呟くカイオスに、クルスはどこか、誇らしげに頷いてみせた。
「うん。これが、ティナが石版を二つももってこられた力の秘密。『火』の属性継承者、最強の切り札だよ」
にっと笑って青年を振り返る。
「ノニエルの半身、炎の精『不死鳥』!!」
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