Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第一章 北の国へ-それぞれの旅路- 
* * *
――???



 波のゆらめきが、静かな影を幾重にもたゆたわせていた。
 日も届かぬ海底に、ひだのように細かく揺れる、囁きのような蒼い波。
 『それ』はずっとそこに居た。
 ゆるやかな眠り。
 悠久のまどろみ。
 『それ』――すなわち『護るもの』が、主に与えられた『約束』と『信頼』のもとに。
 藍色の、けだるい夢。
 しかし、突然それがかき乱される。
 まばゆいばかりの白光が一瞬、光を知らぬ海底にまでさしこみ、その直後、再び闇に眠る空を鋭く裂いて、小さな石の欠片が『護るもの』へと、吸い込まれるような奇跡を描いて到来した。
 『護るもの』は、『夢』うつつにそれを受け入れた。
 直後、『護るもの』の全身が煮えたぎるような熱気につつまれ、彼は声なき慟哭を発しながら――静かに、狂っていった…――。

 ――そして、『彼女』は闇の中ではっと目を開けた。


「…」
 彼女――ティナ・カルナウスは、ため息をついて身を起こした。
 静かに眠る森の最中。
 闇に蝕まれそうな深夜。
 焚き火が空ろな赤をくゆらせ、吐き出す息が白いほどの冷気をほんのりと温めている。
 まるで、『未来』を見せるかのような…。そんな夢を見るのは、初めてのことではない。
 しかし、アレントゥム自由市の時といい、得体の知れない夢に眠りを妨げられるのが、最近多い気がする。
(おちおち眠れやしないわねー)
 苦笑して、彼女は傍らで寝息をたてる仲間たちを、やれやれといった風にみやった。
 焚き火の回りを取り囲むように、少年少女が丸まっている。
 一人――茶色のふさふさの髪を投げ出して大の字に転がった少年は、ティナの相棒クルス。むにゃむにゃ言いながら、古今東西あらゆる食べ物の名前を寝言で幸せそうに呟いている。もう一人、長い黒髪を身体に巻きつけるようにして、丸まって寝息を立てる少女は――世界随一の大国『ミルガウス』の第二王位継承者、アベル・シル・セレステア・ミルガウスその人だった。――といっても、ティナには、コレのどこが王女なんだという印象が会ってこの方、今まで拭えていないのが正直なところではあるのだけれど。
 そこまで闇目に見取って、ティナは首をかしげた。
(あれ…?)
 ここにいる三人では旅の顔ぶれには一人足りない。
(どこ行っちゃったってのよ…)
 紫欄色の目をこすりながら、焚き火を見つめ、呆然と思う。
 火の番をすると、起きていたはずなのだが。
 本人の代わりのように、彼の『属性』――氷属性の簡単な結界だけを残して、男の姿は忽然と無かった。
「………」
 闇は、気を抜いていると蝕まれそうなほど深く、ティナは両肩を抱くように身体を縮めた。
 火はやんわりと冷気を温めるが、背後からは何かが迫ってきそうな圧迫感がある。
 あの男は、こんな中をどこに行ったのか。
「まったく…しょーがないわね」
 気になったら、そのままにはしておけないのは、果たして彼女の長所なのか、それとも短所なのか。
 ティナは、またクルスたちのために魔物よけのまじないを簡単に施すと、闇の森に歩き出していた。

 しかし、さすがの彼女も、闇の中を息を詰めてこちらを伺い見る、どす黒いけはいには、気付かなかった。

「よし…女だけでいい…、やっちまえ」

 彼女が立ち去った後の隙間に潜り込むように、数人の男たちの足音が、草の間で微かに音を響かせていた。


 昔、狂った『二つ』の戦争があった。
 『第一次天地大戦』。
 三つの世界のうちの二つ、『天界』と『地界』が、残りの『地上』で激突した。
 そしてその結果、天界の長『イオス』と地上の長『カオス』は、相打ちとなり、戦争は三つの世界が分断される形で決着がついた。
 三世界の分断の要石『石版』。
 天界側の要石は『光の石版』。地界側の要石は『闇の石版』。
 二つの石版は、『天』と『地』と『地』の交わる地、聖地と呼ばれる場所で眠ることとなった。
 天使たちは、その後戦争の責任を神に問われ、根こそぎ天界追放をされてしまったので、ずっと後に『光の石版』が砕け散ってしまっても、特に問題は起こらなかった。
 一方、闇の石版は――人の憎しみや苦しみを快楽とする魔族の棲む、『地界』――改め、『地獄』との境界を果たす闇の石版は、地上で暮らす人にとって、なくてはならない大事なものだった。
 しかし、それは、砕け散ってしまう。
 一度は、何とか集った。しかし、回収の間に、七つに砕けた欠片の一つ一つに闇の意思が宿り、七君主と呼ばれる大魔族が生まれてしまった。
 そして、二度目の石版決壊。
 聖地を守護する王国の、スヴェル、ソフィア、そしてフェイといった『シルヴェア』の王位継承者たちを巻き込んで砕け散った七つの石版は、しかし全てが集う前に『何者か』により、持ち去られてしまう。
 それは、息子を失った一人の魔法学者の狂気が引き起こした、魔王カオス復活の儀式に使うためだった。
 魔法学者――『ダグラス・セントア・ブルグレア』は、自身の身に七君主を宿らせ、魔王を復活させようとした。
 その舞台となったアレントゥム自由市は崩壊してしまうが、結果的に土壇場でティナの使った召喚魔法によって、その目論見は一応防げた形になる。
 しかし、その時に集まりかけていた七つの欠片は、再びばらばらに砕け散ってしまったのだった。
 その罪滅ぼし――と言うわけでもないが、ティナは、今回、聖地を守護するミルガウス王国から、石版を再び集めて欲しいという依頼を受けた。
 まずは、全ての事情を説明するために、北の大国ゼルリアに向かうということなのだが…。



「………」
 木々が絡まりあい、藍に眠る森の中をティナは進んでいった。
 わけあって、向こう一ヶ月彼女お得意の魔法が使えない。ので、いつもなら簡単お手軽に出すことのできる魔法光すら、お預けの状態だった。
 月の差し込まない森の中、ほとんど効かない視界も災いして、手や足に枝や草が鋭く当たる。
 歩き出してから、焚き火を持ってきたほうが良かったと気付いたが、既におそい。
 人を探しに行って自分が迷ってはしょうがないので、木の幹に印をつけながら進む。
 適当なところで、帰るつもりだったのだが…。
「あ、…」
 闇の向こう、木々の重なり合うそのわずかな隙間から、一瞬の光がティナの目を薙いだ。
 目を細め、じっと凝らすと、確かに闇の向こうに光が――おそらく魔法の光がともっている。
 ただの獣が魔法を使うはずがないし、野良の下級魔族でも同様。
 多分、『彼』に間違いはないわけで。
「…何、やってんのよ」
 口の中で小さく呟く。
 ティナはその光を頼りに、木々を掻き分けていった。
 近づくにつれて、水のせせらぎが耳を撫ぜ、たどり着く頃には、渓流が月に青く浮かんでいるのがはっきりと見えた。
 その、川べりの適当な木に背を預け、魔法光に照らされて『彼』が居た。


「………」
 魔法光の照らす羊皮紙を、男は物憂げに眺めていた。
 傍を流れる川の音が、心地よいリズムと鳴って耳をさらっている。
 青の瞳は、魔法の光の黄と羊皮紙の褪せた茶を淡々と映し込んでいる。
 手にした本は、少しでも乱雑にすれば、ばらばらになってしまいそうに脆い。
 紙面に映る、幻想的な魔法光が、持ち主の面を亡羊と照らしていた。
 また一ページ。慎重な手つきでめくりながら、彼はぼそりと呟いた。
「どうやら…ゼルリアで間違いはないようだな」
 彼が――カイオス・レリュードが、左大臣の権限を唯一使って、ミルガウスから持ち出した古文書だった。
 一心に読み進むその視線が、ふっと何かに――森の中から近づいてくる何かのけはいに気付いて、上げられた。
 しかし、その正体を悟ると、興味の失せたように再び紙面に戻る。
 やがて間近に迫った気配は、聞きなれた声で、聞きなれた言葉を発した。

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