「…ここが、盗賊のアジト〜?」
クルスが傍らに問いかけたのは、二人が『ザラー盗賊団』のアジトを目指して歩き始めて、半刻ほど経った頃だったか。
少年が見上げるのは、切り立った絶壁。
表面は、岩肌の露出はなく、ほとんどが絡み合った緑に覆われつくしている。
どこからどのように見ても、入り口のようなものは無かった。
「…」
傍らのカイオスは、クルスのことなど視界に無いような様子で、一旦膝を付くと、地面を調べ始めた。
暫くして、小さく呟く。
「…あった」
「あったっ…てえ!?」
語尾を変な風に跳ね上げて、クルスがふさふさの髪の毛ごと飛び上がる。
侵入者よけのために、地面に魔法の仕掛けでもしてあったものを、今カイオスが解いたのだろう。
崖を覆う緑が、ぞわぞわと動き出し、カーテンがひとりでに引いていくように、開けていった。
すると、遥か上…――崖の丁度中間のほどに、ぽっかりと洞穴が口をあけていた。
少々距離はあるが、昇っていけないほどでもない。
「ふえー」
クルスは素直に感動した。
この手の結界は、暗号が使われているので、その解読方法を知らない者がそう簡単に解けるものではないのだが。
「カイオスって、すごいんだ〜」
「…」
きらきらとした視線を、気持ちのいいほどに受け流して、さっそく崖に足をかけた元左大臣は、冷めた視線を下方に放ると、淡々と必要最低限の返事を返した。
「いくぞ」
「うん!」
そして、彼らはあっさりと敵のアジトへの潜入を果たしたのだった。
■
熊男が部屋を出て行ってから、どのくらい経ったのだろう…。
膝を抱え込むように抱いて、俯いていたアベルの耳に、微かに、怒号のような――叫び声が響いた。
「?」
何なんですかもう、デリカシーないですね、と呟く。しかし、耳に届く音は次第に大きく、はっきりとしたものになっていく。
侵入者だ、強いぞ、二人か、たかが男とガキじゃねーか。
(…え)
アベルはふっと顔を上げる。
二人。男と、子供。
(カイオスと、クルスさん!?)
心臓が、飛び跳ねる。
思わず頬が熱くなって、アベルは逸る自分をなだめるねように、両手で顔を包み込んだ。
「…助けに、来てくれたんですか」
しかし、その喜びは、扉をぶち破るようにして現れた人物を見た瞬間、絶望の色に変わる。
「くっ…なってこったい…!!」
アベルの眼前に飛び出してきたのは、
(くっ…熊!!)
顔に傷を持つ、汗臭い熊男、ザラーだった。
厚い唇を不快そうに嘗め上げ、男はがちゃがちゃと懐から鍵の束を取り出すと、アベルの入れられていた檻の鍵をはずした。
「出な」
剣を突きつけながら、一言。
焦りながらも、瞳に宿った昏い光は、盗賊の本分を全うする意思に満ちていた。
「ど、どこに連れて行く気ですか!?」
息を詰めながらもアベルが放った問いに、鋭い眼光を突きつけて、ザラーは忌々しげに応じる。
「予定が狂った。一番高そうなあんただけを先に売りに出す」
来い、と腕を強く引っ張られて、アベルはあやうく上げそうになった悲鳴を、精一杯飲み込んだ。
ここで騒ぐことはできるが、追い詰められて血走った眼の盗賊は、本気で何をしでかすか分からない。
(カイオス、クルスさん…)
彼らが、運良くこの部屋にたどり着いてくれはしないか。
淡い期待は、しかし見事に裏切られた。
裏口のようなところから連れ出されるまで、ずっと騒ぎの聞こえる方に顔を向けていたが、彼女の仲間は、助けに来てはくれなかった。
アベルは、最後のあがきとばかりにつけていた腕輪をはずすと、ザラーに気付かれないよう、投げるように、床に放った。
■
「天を貫く怒りの雷動よ、この一時我が剣となりて、立ちはだかる愚かな者を打ち倒せ!!」
クルスの手に収束した、無属性魔法の『雷』は、ばりばりと青白く放電しながら向かってくる十数人に向かっていく。
「ライトニング・ブラスト!!」
その間隙を縫っていくように、駆け出したカイオスの剣は、流れるような剣閃の残像だけを、見るものの眼に焼き付けながら、次々と盗賊たちを葬っていった。
「何人いるんだろうね」
「さあな」
白兵戦にクルスも加わりながら、短く言葉を交わす。
視線を交わらせたのちに、心得たように、左右に散った。
二手に別れのだ。
カイオスが、敵をひきつけている間に、クルスがアベルを探す。
ほとんど勘を頼りに、クルスは奥の方に広がる洞窟を駆け抜けていった。
やがて、最奥と思われる、行き止まりを見つける。
「うーんと」
クルスはちょっと考え込んでから、カイオスがしていたように、地面に手を当ててみた。
しかし、魔法で仕掛けが施してある様子ではない。
今度は、壁に手を付いてみる。
ぽんぽんと叩いていくと、一箇所だけ微妙に音が違うところがあった。
「みっつけた!!」
にかっと笑って、クルスはその部分に思い切り力を込めた。
岩の壁が陥没し、細かな地響きとともに、やがて隠し通路が姿を現す。
「よっし、行くぞー」
少年は、魔法の光を出すと、闇のわだかまる通路に踏み入れていった。
「浄の集(すだ)く白き壁 全ての眠る蒼き苑(その) 猛る狂者を包みて沈め」
氷雨、と唱えた呪文によって、出現した氷の槍に貫かれた男が、最後の一人だった。
潜入してから、半刻あまりか。
およそ数十の屍が転がった床をまたぎながら、カイオスはクルスの向かった最奥を目指す。
すると、向こうから十数人の少年少女を連れたクルスとかち合った。
おそらく売買のために誘拐されてきた子供達なのだろうが。その中に、彼のよく知る少女の姿はなかった。
「カイオス!!」
ぱたぱたとこちらにかけてきたクルスに、短く問う。
「王女は、いたか」
「…」
とたんに表情を改め肩を落とすと、少年は暗い顔で首を左右に振った。見つからなかったらしい。
「でも、コレ」
代わりに差し出された腕輪は、しかし彼のよく知ったものだった。
「落ちてたんだ。高そうなものだったから、アベルのじゃないかって」
カイオスは、微かに首肯する。
「…一足遅かったようだな」
「そんなー」
うー、オレ折角がんばったのにー。と、クルスはしゃがみこんでしまう。
逆に、カイオスは、呟くように唱えた。
「ゼルリアだな」
「うん。…え? へ?」
全く予想もしていなかったのだろう。
こちらを見上げて、目を白黒とさせるクルスに、仕方なく言葉を紡ぐ。
「人身売買を生業とする盗賊団だと言ったろ。人が高く売れるのは、アクアヴェイル。輸送には、船。港は…」
「ゼルリアの首都、デライザーグ」
クルスがさしはさんできて、彼は、言葉を止めた。
世界最強の海軍を擁するゼルリアは、同時に港の管理が随分と適当なことでも有名だ。
正直な話、自由市アレントゥムよりも盗賊や海賊の出入りが多い。当然人身売買や奴隷の流出も、世界一の港でもある。
それは、世界最強の海軍が、ほとんど海賊や盗賊の志願によって構成されているからだ。ゼルリアとしても、そんな彼らをあまり邪険にできるのではない。
クルスにそこまでの知識があったとは到底思えなかったが、答えとしては間違っていなかったので、カイオスは黙っていた。
「…」
「けど、その前に…」
ゆっくりと立ち上がったクルスは、ちらりと自分の後ろを振り返って、困ったようにこちらを見返す。
すがるような子供たちの目線が、じっと無言で、カイオス・レリュードを見上げていた。
「………」
「それにオレ…お腹、減っちゃったしさ」
朝から何も食べてないんだもん、と頬を膨らませてクルスは上目遣いに言う。
「………」
カイオスは、短く息を吐いた。
膝をついて、連れてこられた子供達の中で、一番の年長と思われる子供に視線を合わせた。
「…自分の村が分かるか?」
「…うん、多分…外に出れば」
しっかりと頷いたその瞳を静かに見返して、彼はクルスに向かって軽く肩を竦めてみせた。
王女を追うなら一刻も早いほうがいいが、助け出した子供を置き去りにしていくわけにもいかないし、未だに合流できていないティナ・カルナウスのこともある。
うまくいけば、送っていった先の村で彼女の情報が手に入るかも知れない。
「行くぞ」
「うん!」
こうして彼らは、盗賊の洞窟を後にしていった。
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