――デライザーグ『検問所』
だばん、と検問所控え室の扉が破損するほどの勢いで開かれたのは、検問に引っかかった『アクアヴェイル人』によって場が微妙な沈黙にさらされてから、いくらもしない内だった。
何事だと視線が集中した後、相手が誰だと悟るや否や、酒樽兵士とその同僚は、背筋を自分の身長よりも高くしかねない勢いでぴんと張り、敬礼の姿勢を持って、声を張り上げた。
「これはこれは!!」
「将軍閣下におかれましては、ご機嫌麗しく…!!」
「そんなものどうでもいい」
あっさりと制した女は、精悍な顔の鋭い眼光を、相手を射殺しそうなほどに凶悪に細めて、眼前の『アクアヴェイル人』に向き直った。
右手に持った剣を、突きつけるように鞘ごと突っ返す。それは、疑惑の『アクアヴェイル人』が、最初に提出したものだった。
「随分なまねをしてくれるな」
怒りを最大限に押し込めた、抑えに抑えた低い声音が、金髪の青年に向かって、突き刺さる勢いで放たれる。
対して、眉一つ動かすことなく、『アクアヴェイル人』は涼やかに言葉を返した。
「…いきなりお前が出てくるとはな」
「とぼけるな。国宝をわざわざ届けさせるとは…。一体どういう了見だ」
「みてくれのせいで、正規の手続きを踏むと時間がかかる。それじゃ『手遅れ』なんだよ」
「何が、『手遅れ』だ。それを言うならば、すでにいろいろなことが『手遅れ』だろうか。場所と手段をもう少し選べ。おかげで城は大混乱だ。ゼルリアに恨みでもあるのか」
尋問するように机に手をついて、椅子に腰掛けた『アクアヴェイル人』を見下ろしながら、女は厳しい口調で詰め寄る。
隠していた怒気が、徐々に空気に吐き散らされていく。
「大体、お前は謹慎中だろ。こんなところまでのこのこ出てきやがって、国が大事になったらどうする。それだから影でも表でもいろいろと言われるんだぞ、分かっているのか」
「今更お前に言われることでもない」
「お前…!!」
酒樽兵士の尋問など、かわいいものであったと、当事者以外のその場の人間、全員がひしひしと実感するような、壮絶なやりとりだった。
検問所ごとびりびりと震えそうなほどの、烈火のごとくの剣幕に、むしろ神経を逆なでしかねないほどにしれっとした応答。
二人の兵士は手に手を取り合って、真っ青な顔でコトのなり行きを見守るしかない。
しかしそんな中、クルスがのんびりと首を傾けた。
「おねーさん、誰? おいしい人?」
「こ、こら子供!! そのお方は…」
「ん? 子供、お前、この男の連れか?」
「うん!!」
真っ青を行き過ぎて土気色になる兵士達を差し置いて、女は一旦『アクアヴェイル人』への口上を止めると、少年を覗き込むようにしげしげと見やった。
突然の沈黙、いくらか経ったその後、再び『アクアヴェイル人』を見る。
そこには、先ほどの怒気ではなく、意外なものを発見した時の表情が、ありありと浮かんでいた。
「お前…ついに、少年に趣旨がえしたのか」
「殺すぞ」
「冗談だ」
ふっと初めて笑みを見せてから、彼女は改めてクルスの方に視線を向けた。
眼の位置を合わせるように背をかがめて、どこか不敵な笑みを浮かべる。
「わたしは、ゼルリア王国将軍を拝命している、サラ・クレイセント。『赤竜』なんて呼ぶヤツもいるが。よろしく少年」
「えっと、オレはクルス」
「…自分で言うか、普通」
ぼそりと『アクアヴェイル人』が突っ込む横で、二人は手を差し伸べる。
きゅっと握手をすると、身体が揺れた拍子に彼女の黒いセミロングのストレートが肩から零れた。
はきはきとした動作で、それを整える。
この自己紹介を皮切りに、彼女は場所を思い出したように頬をかくと、すっかり生きた心地がしない兵士二人に向かって、鋭い眼光を向けた。
「この方は、国賓だ。わたしがご案内する。これまでのお相手、ご苦労だった」
「い、いいいいいいえ。いいいい、至りまませんで、すすすすすっかり、ししっ失礼をぉおお」
「政務に誠実なのは、いいことだ。これからも頼む」
裏返った声で応え敬礼する兵士達に、ちらりと笑ってみせると、彼女は客人の方を見た。
「しきたり破りは、そっちも同じだ。なかったことにしてくれ」
「ああ」
彼女――サラは、ぱっと姿勢を正すと、覇気に満ちた声を朗々張り上げた。
「では、改めてご案内する。我がゼルリア国にようこそ。ミルガウス国左大臣、カイオス・レリュード殿。従者クルス殿」
検問兵士の意識が遠のいたのは、言うまでもない。
■
――デライザーグ『裏路地』
「何だってんだぁ」
傷のあるいかめしい顔をゆがめた、人売りの賊――ザラーは、自分の前に突然立ちはだかった二人の『札付き』者に軽く困惑を覚えていた。
裏に生きるものには、裏に生きるものなりのルールや義理がある。
そのうちの一つが、他人のヤマには口を出さない、というものだ。
彼らならず者の間では、呼吸と同じくらい自然で当然のこと。
ひょっとしてこいつらは、そんなことも知らずに賊をやっているのだろうかと、呆れた視線を放る。
そんなザラーにびしっと指を差して、赤髪は詰め寄った。
「何だも何も、ねーだろーがっ!! 大体、こんな小さい女の子に手を上げるなんて、なんて非道なヤツなんだ!!」
その真っ当な怒りの口上に、人売りはますます嫌そうに眉をひそめる。
戦場でかんおけを売る人間を見たときのような表情だった。
「非道も何も…、オレぁ元々非道だしよ」
真っ当だったら、人売りなんてしない。
「ヒトのヤマに口出したら、あんた、闇の人間全員からハブられっぞ。さっさとそこどきな」
「断る!! 大体、やり方が乱暴なんだよ。女の子ってのはなぁ、もっと優しく…」
「あんた、人売りのザラーだな」
なおも口上を続けようとした赤髪を制したのは、隣のローブだった。
細身の体からはじき出された先ほどの拳は、意外にも重かった。その感触を未だ引きずっていたザラーは、さっと表情を改め警戒に口を引き結ぶ。
「そうだが」
「この娘、相当価値が高いだろ。賊が賊の獲物を横取りするのは…ルール違反じゃないな?」
「へ、へえ…」
ザラーは唇をぺろりと嘗めた。
随分と苦い――汗の味が舌に滲んだ。
「二人がかりで、ヒトのもんかっさらうって? 卑怯だろ」
「お前みたいな巨体が、こんな小さな娘をかっさらうのは、卑怯じゃないのか? 寝ぼけんなよ」
「そーだ、そーだっっ!! お前は卑怯だー!!」
ローブが挑発的に発するのに乗じて、赤髪が意を得たとばかりに、勢いよく腕を振り上げる。
人売りが返答に詰まると、ローブはさらに言葉を重ねた。
「何ならこっちも一人ずつで相手になってやってもいい。ただし、この赤髪がロイド・ラヴェンだと納得した上でかかって来いよ。ただ死ぬだけじゃすまねえぞ」
隠れた布の間から、唇だけが動く。
口調の乱暴さとほとんど正反対といっていい、ぞっとするほど無感情な語り口に、ザラーの背があわ立った。
まるで舞台のセリフを、感情を一切込めずに謳い上げているかのようなものだった。
怒気も、勢いもない。
しかし、そこには妙な圧迫感があった。
ザラーは忌々しげに唾を飲み込む。
体格が、自分の半分ほどしかないような人間に脅されているのか。
しかし、いやでも頭は理解する。
静かな口調が、理解させる。
ロイド・ラヴェン。
ゼルリア近辺随一の、剣の使い手。
その豪胆な戦いぶりは、ならず者達の間でも戦鬼と囁かれている。
海賊というよりも義賊に近いといった話も聞くが…。
「ほ、ホントに…? その、男が?」
眼前のお気楽男と、噂の戦鬼を結びつけるのは、ザラーでなくとも、難しい作業だろう。
妙に泰然としたローブの男と、ぷんぷんと怒り心頭の他称『戦鬼』の赤髪。
交互に見比べ、彼は暫く逡巡した。
最後に、二人の男に守られて座り込む、黒い髪の『商品』の方を見る。
はったりだか何だかかも知れないが、何やら得体の知れないこの男たちとやり合うより、この娘を差し出す方がとてつもない英断のような気がしてきた。
「す…好きにしな」
言い捨てて、ザラーは背を向け、小走りに立ち去っていく。
多少惜しい気はしたが、後悔はしていなかった。
次の子供をさらってくればいい。
獲物はいたるところにいる。
「ったく…とんだ道中だったぜ」
舌打ちとともに毒づいて、ザラーは闇に紛れていった。
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