「大丈夫かい? もう、怖いことねーからな」
ザラーの後ろ姿を見届けた後、振り返った赤髪の男――ロイドは座り込んだ少女の頭をよしよしとなでた。
怖がらせないようにかがみこんで、覗き込むように目線を合わせる。
少女は縮こまらせた身体を堅くしたまま、それでも蒼白な顔にこわばった微笑を浮かべて頭を下げた。
「あ…ありがとうございました」
「ん。あの男につれてこられたのかい? この近くからか? もっと遠くからか?」
「み、ミルガウスからです…」
「よしよし。怖かったなー俺がおうちまで送ってやるからなー」
子供をあやすように、無骨な手で髪の毛をなでつけながら、ロイドはいたわりをこめて、言葉を紡ぎだしていく。
ふっと自分たちが今いる路地の暗さと、少女の不安げな表情をみて、やんわりと首をめぐらせた。
「さって…こんなところからはさっさと立ち去るに限るな」
「あ、あの…」
「ん?」
ロイドはためらいなく膝をついて目を合わせる。
覗きこんでくる瞳をまっすぐに見返すことができずに、アベルは下を向いて、ぼそりと呟いた。
「あの…さっきので…立てなくなって…」
「ははは。じゃ、オレが負ぶって行ってやるよ!」
ためらう事無く背中を向けた彼に対して、アベルは少しの間迷っていた。
彼らだって、さきほど自分のことを『札付き』と言っていた。
ということは、その首に懸賞金が掛かっている、ならず者の一員で。
アベルにとって絶対安全な人間とはいえないのだ。
(けど…)
この男の笑顔に、嘘はない気がする。
アベルはこくりと唾を飲み込むと、大きくて温かい背中につかまって、ぎゅっと潮の香りのするシャツを握った。
■
――デライザーグ『市街』
「あー。ったく…どこ行っちゃったのよ…!!」
とりあえず、アベルの方を追うことにしたティナだったが、ただでさえ人の多い大通りで、一瞬見ただけの人間に連れられた、小柄な少女をさがすのは、この上なく大変だった。
この町では――というよりこの国全体に言えることでもあるが――、アレントゥムやミルガウスと違って、大半が黒髪黒目の現地人なので、アベルの容姿だと、紛らわしいことこの上ない。
だが、不可能と最初からあきらめていては、いつまで経っても前に進めない。
街中をあてなく駆け巡っていた彼女だったが、ふと、雑踏の向こう側に、見覚えのある少女を発見する。
「あ。居た…!!」
少女は――アベルは、赤の交じる髪をした若い男に負ぶわれ、意識がないのかぐったりとしていた。
アベルを連れているのがさっきの男とは違うことと、少女の様子がおかしいこと。
二つのことがあわさって、ティナは唇をかみ締める。
「一体、どういうことなのよ…!!」
だが、多分賊に捕まっているのだけは、間違いないようで。
ティナは、人を掻き分けながら、彼らの元に辿りつくと、大きく息を吸って、声を張り上げた。
「ちょっと、待ちなさい…!!」
■
「あーあ。寝ちまった。疲れてたんだな」
通りに出て暫く歩いているうちに、少女は気が抜けたのか、ロイドの背中で眠りこけてしまった。
すーすーと、規則正しい寝息を立て、全く目を覚ますけはいがない。
「ホント、この子が叫んでるのに、気付いてよかったよ」
目を細めて、肩ごしに寝顔を見やる。
その様子からは、ならず者達の間で恐れられる『戦鬼』の異称の面影は、全くと言っていいほどなかった。
ずれ落ちていく少女の体をよっと抱えなおし、ロイドはふっと気付いたように、隣の青年に投げかけた。
「なーなー。この子が価値の高い娘だってさっき言ってたよなー、お前」
「…ああ」
短く答えた青年に、ロイドはなおも不思議そうに続きを語る。
「口からでまかせか? それにしちゃ、あっちの方も、えっらい真に受けてたが」
「あっちが、そこまで分かってたとは思わないけど」
「けど?」
首をかしげて、おとなしく待つ。
少し言いよどんだ末に、ローブはさらりと言った。
「ミルガウス王国第二王位継承者。アベル・シル・セレステア・ミルガウス」
「ほえ」
ちょっと目を見開いて、ロイドは言葉をかみ締めるように、少しの間黙りこむ。
「…。するってぇと、この子、王女さまか!」
「そ」
「なるほどなあ。この子が、お前の…」
「………」
どこかしみじみとした空気が、二人の間を流れた。
「なあ…お前」
ロイドが、言いかけた、時。
不意に、行き交う人の波を突き破って、突然少女が二人の目の前に飛び出した。
「うぉおっと!」
「…」
ぶつかりそうになって、慌てて二人は立ち止まる。
栗色の髪を振り乱し、肩で息をした少女は、紫欄色の瞳をそちらにきっと向けると、澄んだ大声を上げた。
「ちょっと、待ちなさい…!!」
ロイドとローブは、首を傾げる。
「…はあ?」
■
――デライザーグ『市街』
「ん、あれは…」
カイオスとクルス。
二人の旅人を引き連れ、ゼルリアの王城への道を急いでいた将軍サラ・クレイセントは、人でごった返す大通りの向こうの『何か』に気が付くと、大きく手を上げた。
「アルフェリア!!」
「あん?」
まっすぐに呼び止められた青年は、つと視線を上げる。
相手を悟ったか、すぐにこちらに近づいて来た。
「サラじゃねーか。随分と久しぶりだな」
「何だ、連絡の一つもよこさず。てっきり死んだかと思って、四竜の後継を巡って喧嘩が起こっていたところだ」
「へー。そりゃ、残念だったな」
「しかし、一ヶ月も何をしていたんだ。その間に、こっちはアレントゥムへの支援やら、巡視船の行方不明事件やらで、大変だったんだぞ」
「…。巡視船て、北方廻りのやつだよな…。北の海域なら今しがた通ってきたところだが、何も問題なかったぞ」
「そうなのか?」
「ああ、何も」
「…」
黙り込んだ女に、男の方は軽い調子で続ける。
「いや、今しがたゼルリアに着いたんだが、王城に帰る前に、ちっと寄るところに寄ってきたんだよ。ベアトリクスが先に帰ってたはずなんだが、会ってないか?」
「多分、ちょうど行き違いになった。『彼ら』を迎えにいっていたからな」
軽口に軽口で応じ、言葉を重ねた後、サラに自身の背後を示されて、青年と少年の中間のような表情をした、黒髪のゼルリア将軍アルフェリアは、そちらの方に視線を遣った。
余裕に構えた黒い眼が、微かに見開かれる。
抑えた声音で、しかし精一杯の驚きを声に込めた。
「ミルガウスの左大臣じゃねーか。それと…あんたは…」
「…」
「あー!! えっと、アレントゥムでティナを助けてくれた、おいしそうな人!!」
軽く目を伏せて目礼を返すカイオスの隣で、突然の再会に、クルスが目を丸くする。
サラが、二人の間に割って入った。
「ん? お前ら、知り合いか?」
「えっと、助けてくれたんだ。女の人も一緒だったけど」
「アレントゥムでちょっとな。何だ、お前、左大臣の知り合いだったんかい。あの時の娘――確かティナっつったか? 彼女は、一緒じゃないのか?」
「うー。ちょっと、はぐれ中だよ」
「あん?」
うなだれたクルスの説明では、状況が伝わるはずもなく、彼は困ったように、頭を掻く。
視線をカイオスの方に向けて、説明を求めるが、視線を向けられた方は、取り合おうとしない。
「何なんだ?」
眉をひそめたところで、不意に喧騒の向こうから、一際澄んだ声が上がった。
「ちょっと、待ちなさい…!!」
その、聞き覚えのある相棒の声に、クルスはぱっと黒い瞳を明るく輝かせる。
「ティナの声だ!!」
「…何なんだ?」
アルフェリアは首を傾げていたが。
「行ってみよっ! カイオスも、おねーさんも、早くぅっ」
少年に引っ張られるようにして、他の三人も、ぞろぞろと続く。
人だかりをかきわけて進むと、赤髪の男とローブの青年を相手に、彼らの良く知る少女が指を突きつけている場面に遭遇した。
栗色の髪。紫欄色の瞳。
見覚えのある少女の姿に、クルスはぱっと顔を輝かせ、カイオスはため息を吐き、アルフェリアはおっと眉を上げる。
衆目の大注目しているど真ん前で、ティナ・カルナウスは、しかしためらうことなく、びしっと相手を指さすと、次の言葉を朗々と決めた。
「さあ、さっさとアベルを返しなさいっ!!」
そうきっぱりと言い放たれて、困ったように頭を掻いている、その相手方は。
「ロ、ロイド…?」
困惑したように呟くアルフェリアの横で、カイオスは呆れたように腕を組んでいた。
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