Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 船上の決闘 
* * *
 状況は、この上なく混迷を極めていた。

「ふ、惚けたってムダよ!! さっさとアベルを返しなさいっこの悪党!!」
 ざわめく群集を背後に、紫の目をきっと細めて、彼女の前に呆然と突っ立っている、眠りこけた少女を背負った青年と、ローブの男に指を突きつける、ティナ。
「?? 何なんだ〜?」
「…」
 とまどう『悪党』二人組みに、
「わーいわーい。ティナだ〜」
「…ロイドの背中のお嬢さん、お宅の国のお姫さんじゃねえ?」
「…」
「一体…? 何がどうなっているんだ?」
 後ろの野次馬たちに交じって、ぼそぼそと会話が交わされる。
 非公式とは言え、ゼルリア国王義弟のはずのロイドが、何ゆえ少女から王女誘拐犯呼ばわりされているのか。
 そろいにそろって現実逃避をするかのように、口元に手を当て、一斉にあさっての方向を向いたゼルリアとミルガウスの官僚三人に対して、少年は、茶色の髪をふわふわと揺らしながら、一直線に相棒の方へと駆けていった。
「ティナ!!」
「え。へ…? クルス!!」
 人だかりの中から突然現れた相棒に、ティナははっと目を見開く。
「いなくなったから、心配してたんだよ」
「あー。ごめんごめん。って…そんな場合じゃないのよ!! こいつらがアベルを…!!」
「?」
 睨みを効かせて再び視線を戻した先には、困りきった顔の赤毛の男と、全く表情は伺えないながらも泰然とした雰囲気のローブがいた。
「なー…ちょっと待てよ〜。オレたち、そんなんじゃ…」
「じゃあ、何でアベルがぐったりしてんのよっ。大方、眠らせといてどっか売るつもりなんでしょ!?」
「は、話せば分かるって…!!」
 おろおろとしたロイドの前に、ふっと影が割り込んだ。
「?」
「っ…。な、何よ」
 ローブの男だ。
 顔の大半を、フードで覆われた陰影が、不気味な影を肌に落としている。
 かろうじて伺えるのは、鼻梁の先端。
 髪の毛の一本も、その向こうから覗く事はなかった。
 顔の輪郭が、絵画的に見えるだけ。
 そのあまりに薄っぺらい印象に、逆に不気味さが増す。
 そんな男の、無言を決め込んでいたようなそぶりからの突然の行動に、思わずティナは一歩退いていた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったら?」
 半ば、挑発するようにはっきりと言い切ると、頷くように振れたローブが微かに揺れた。
「つまり、賊のモノ、横取りしたいんだろ」
 生まれたときから感情を持ち合わせていないかのような、そんな声調が、じわりとティナを圧迫する。
 思わず、彼女は無意識に数歩下がっていた。
「…っ」
「お、おい。…ちょっと待てよ…。オレたちは別に…」
 止めようとする赤髪を制し、ローブは言葉を重ねた。
「決闘。…受けるか?」
「け」
「っておい、副船長!!」
「けっとおぉおお!?」
 思わず声を上げるティナに対し、ローブは挑発するように肩を竦める。
 かすかに責める調子の声をあげた赤髪を黙殺して、彼は先を続けた。
「その程度の覚悟もないのに、賊に言い寄ったのか?」
「っ…。い、いいわよ。うけてやろーじゃない」
「決まりだな」
「お、おいおい…」
「決まったから」
 ようやく赤髪の方を向いた青年は、さらりとそれだけ言った。
「決まったって…」
 その頃には、ようやく現実逃避をやめたゼルリアの将軍たちが駆け寄ってきて、場は一気に騒がしくなった。
 思わず唖然としたティナを置き去りにして、二つの影が海賊に言い寄る。
 黒髪の男と、黒髪の女。
 その顔をちらりと確認して、ティナははっと目を見開く。
 二人ともはじめて会ったのではない。
 女の方は、さきほどぶつかったばかりだったし、男の方は、確かアレントゥムでティナを助けてくれた、名前はアルフェリア…――。
「…な、何なの…一体…」
 そんなティナの言葉は、あっさりと流される。
 彼女の中途半端に見知った二人に詰め寄られたロイドは、すかさず彼の背後に避難したローブの代わりに、たっぷりと冷たい視線を浴びていた。
 両手を肩のところまで挙げて、最初から降参の構えだ。
「ま、待てよ…話せば分かるから…」
「バカ。じゃあ一から十まで、しっかりはっきりばっちり説明してもらおーじゃねーか」
 顔を凶悪にゆがめ、詰め寄ったアルフェリアに対して、ロイドはぽりぽりと頬を掻くと、まあまあ、と制した。
「そんな怒ることねーだろ、アルフェリア。てかサラ!! おっまえ、すげえ久しぶりだな。元気だったか?」
 あまりにのほほんとした口ぶりに、サラと呼ばれた女は、激したように頭を掻く。
 男が、あまりに状況を分かっていないかのような態度だからだろう。
 そもそも、町の中での私闘など、どこの国でも禁止されている。
 話が出た時点で、現行犯逮捕も不可能ではない。
 そんな類の話を、公衆の面前で堂々としてみせるとは。
「そういった問題ではないだろう。決闘とは、どういうことだ。次第によっては、お前でもただではすまないぞ」
「そ、そう怒るなよぅ、サラ」
「黙れ、気楽なバカが。大体、立場というものをもっとわきまえたらどうだ? しかも、今時決闘だと? 言いがかりをつけられたくらいで、女相手に情けない。それでも、相応の立場の人間か。そもそも…」
 女の言葉は、勢いの強すぎる調子で、次々とロイドに突き刺さる。
 始めは気圧されていたロイドも、次第にかんしゃくを起こしたような顔つきになって来る。
 あー、そろそろやばいんじゃ…と、アルフェリアが同僚を止めようとした瞬間、とうとう彼女を押しのける勢いで、男はだーっと叫んだ。
「ああもー、そんなこといわれたって、男に二言はないからな!! 決闘はオレの船でやる! 町には迷惑かけねぇ!! 文句ねーだろ!!」
「…っっ」
 半ば叫ぶように宣言したロイドに、唇を噛むサラ。
 大声での応酬は、ますます人目をひきつける。
 悪循環の堂々巡りを展開している状況に、見かねた黒髪の男が、助け舟を出した。
 二人のやりとりを見ているうちに、冷静になったらしい。
 黒髪の女の肩を、とんと叩いて当たり障りのない調子で言う。
「あー、サラ、お前城に帰ってろや。決闘とやらは、オレが付き合うよ」
 その言葉に対し、女の方はまだ言いたげだったが、
「…。そうだな。そうさせてもらう。付き合いきれん」
 吐き捨てるように言い残すと、彼女はストレートの髪を翻し、きびきびとした足取りで本当に去ってしまった。
 一応、ティナたちとすれ違う時に会釈してはいったが。
「…え。えっと…」
 会釈を返しながら、ティナはひきつった笑いが頬の辺りに浮かんでくるのを自覚した。
 なぜクルスだけでなく、いきなりさっきぶつかってすれ違った黒髪のおねーさんと、アレントゥム辺りであったことのある気がする黒髪のおにーさんが、目の前の誘拐犯と親しげに会話をしているんだろうか。
 完全に状況から取り残させたティナに、クルスがにゃははと笑いかける。
 会えたのがよっぽど嬉しかったらしく、腕にじゃれるようにしながら、
「知り合いなのかな〜? あ、そうそう、アルフェリアとまたあったんだよ」
「あ、アルフェリアって…」
 そう、確かにアレントゥムでティナを助けてくれた男だ。
 子供と大人の中間のような表情の中で、不敵に光っていた目が蘇る。
 そのときのことを、もっとよく思い出そうとするティナのそばで、クルスはさらに言葉を重ねた。
「で、さっきのおねーさんは、将軍なんだって!! アルフェリアとも、仲がいいみたいだよ!」
「…し、将軍…!?」
 ティナは背中のあたりに冷たいものが伝い落ちるのを感じた。
 では、さきほどティナがアベルを返せと言い寄った、その将軍と知り合いのような目の前の赤髪男は…?
「あ…あはは…」
 あたしって、もしかしてものすごく見当違いなことしちゃったかも?
「ど…どうしよ…」
「いまさらか?」
 さらりと後ろから声がして、ティナは飛び上がりそうになった。
「…っ」
 振り向くと、例の青い、冷めた目とかち合う。
 傍にずっといたようだったが、今の今まで気付かなかった。
 けはいでも絶っていたのか、単に自分が鈍いだけなのか。
 多分前者だろうが。
「な、何よ…。何か言いたいこと、あるの?」
 口早にまくし立てると、彼は一切の感情の読めない一言をさらりと切り返してくる。
「別に」
 相変わらずの口調の冷たさに、忘れていたあの夜の胸のもやもやが、少しぶり返してきた気持ちがして、ティナは密かにため息をついた。

* * *
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