Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 船上の決闘 
* * *
「やべえな…ティナのやつ」
 かん高く弾きあう剣閃を、己の黒瞳に冷静に映しこみながら、アルフェリアは呟く。
「力の差がありすぎる」
「しかも、相手は本気じゃないだろ」
 応じたのは、カイオス。
 他の海賊は――ロイドを含め、誰一人騒ぎ立てようとしないし、アベルは変わらず、すやすやと寝入っている。
 アルフェリアなりに知っている、お祭り騒ぎが三度のメシと同じくらい好きな連中とは思えないほど、海賊たちは固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
 無関心を装った金髪の左大臣が、アルフェリアの言葉に応じたのも、それを悟ってのことだろう。
 甲板を、剣撃の音だけが響き渡る、不気味な静寂が支配していた。
 ふと、隣で男が腕を組みなおし、淡々と言い切る。
「…絶対無理だ」
 続けられた断定に、非情とは思いながらも、アルフェリアは覆す言葉が思いつかなかった。
 代わりに思ったことをぼそりと加える。
「体力的にも、そろそろもたねぇだろ」
「気力ももちそうにないが」
 二人して、絶望的な局面をためらいもなく断定していく。
「ううっ…二人とも、ひどいよぅ」
 聞きとがめたクルスが、唇を尖らせた。
「ティナは、がんばってるんだよ!! もっと、応援しようよ!」
「けどなぁ…」
 アルフェリアは言葉を濁したが、態度は彼の思いをいつわりなく語っている。
 決してティナに有利とは思えないと暗に言い切られて、クルスはしかし伸び上がるようにして、アルフェリアに語りかけた。
「ううっ…確かに、ちょっと、押されてるけどさ…っ」
「『ちょっと』どころじゃねぇだろ」
「だけど、相手は、一直線に攻めてるだけだよ!! きっとティナをおそれて、踏み込めないんだよ!!」
「…」
 懸命に相棒を援護するクルスの最後の言葉に、アルフェリアは意味深に沈黙した。
 答える代わりに首をめぐらし、カイオス・レリュードの方をちらりと見遣る。
 冷めた表情は何も語ろうとしなかったが、戦いを見つめるその目は微かに細められていた。
 おそらく、自分と同じことを考えているのだろう。
 それを確認した後、彼は再びクルスに視線を戻した。
「何度も言うようだが、相手は、本気じゃない」
「…。それって、ティナが手加減されてるってことだよね!?」
「ああ」
「けど、じゃあ、何で? アベルを取り戻させたくないなら、さっさと勝っちゃえばいいのに」
「そーだな…たぶん――」
 それから先の言葉をアルフェリアは呑み込んだ。
 本気を出さない相手に翻弄されるだけでも、戦士としての屈辱ははかり知れないものがある。
 その上に、さらに自分の憶測を口に出したら、少年は血相を変えて決闘を止めるに入るかも知れない。
 それに、こちらに対してのそう言った非礼を感じているから、ロイドたちにしてもはやしたてもせず、深刻な面持ちで見守っているのだろう。


(うーん)
 ロイドは微妙な立場にいた。
 男として、海賊の頭として、こちらからふっかけた決闘をなしにすることなどできなかったし、そうして一旦始まってしまえば、後は結果を黙って受け入れればいい。
 だが、副船長のやりようはあんまりだ。
 事のなり行きさっぱり分かってない、他の海賊連中も、息を潜めて黙り込んでいる。
 副船長の戦闘を見慣れている彼らは、最初の一撃がかみ合わされた瞬間、予想を裏切られた。
 てっきり、その一撃で勝負が付くと思っていたのだ。
 戦鬼の片腕と称される実力は、並みのものではない。
 背中で眠りこける少女については、あとでどうとも返しようがある。
 受けた以上、勝負は神聖にして真剣。
 しかし、実際には――
(やべーよ…)
 ここまで露骨に手を抜いたことをやれば、さすがにアルフェリアたちにだって分かってしまっているだろう。
 その証拠に、さきほどからこちらをちらちらと掠める二対の視線が、痛くて痛くてしょうがない。
(どうすっかなー)
 止めるか。
 いや、それだといくら何でもメンツってもんが…と、悶々としていたロイドの背中で、ぐったりと身を預けていたぬくもりが、「ん…」と声を立てる。
 ロイドは、おっと視線を背中にやった。
「おお、起きたかい。えっと…アベルちゃん」
 確か、そう呼ばれていた名前を口に出してみる。
「んー。何か、潮風がべたべたしますぅ」
 こしこしと目をこすっていた彼女は、しかし、間近で起こった鋼の弾きあう音に、びくっと身体を震わせ、ロイドの背中にしがみつく。
「な、何なんですかー一体…。何で、ティナさんとローブの人が戦って…」
「い、いやこれには深いわけがあるんだけどな…」
 さすがに、あんたのせいだとは言えず、言葉を濁すロイド。
 しかし、少女の方はしばらく考えた後、全てを悟ったように呟いた。
「そうですか…わたしのために…」
 そして、彼女はロイドの背中から身をのりだすと、戦う二人に向かって真顔で叫んだ。
「やめてください、二人ともっっ!! 私のために争わないでっ!!」
 論旨としては全く正しいが、しかし何かが激しく間違った声援に、ティナの方が大きく体勢を崩す。
 そこに、副船長が斬り込んだ。
 かろうじて受ける、ティナ。
「ああっもう、何やってるんですか、ティナさん!!」
(…そりゃ脱力もするんじゃねっかなー)
 非難めいた声を上げるアベルに対して、ロイドは思わず胸中で呟いた。


「やめてください、二人ともっっ!! 私のために争わないでっ!!」

 少女のかん高い声がふいに耳に入りこんで、ティナはふっと意識をひっぱられた。
「え!?」
 (アベル!?)
 気が散った拍子に、振りかぶった剣を振り損ねて、彼女は大きく体勢を崩す。
「!?」
(やっば)
 そこを見逃してくれる相手ではない。
 小さな円を描いて到来した剣先を、かろうじて視界いっぱいに受け止め、ティナは力を振り絞り、そのままじわりと押し返した。
 拮抗状態に持ち込み、フードに包まれた、吸い込まれそうな顔を睨み付ける。
(…ったく…何なのよ)
 アベル。
 大事なときにはいつも寝ている彼女だが、起きたら起きたで何かと穏やかでない。
 元はといえば、何かの拍子に彼女が人相悪い男に連れられていたのが、原因ではあるのだ。
 確かに、よく確かめもせずに、誘拐犯と決め付けたティナも悪かったが…
(だからって…)
 眼前のローブに、ここまでされるいわれもないだろう。
 自分の剣の腕はわかっている。もともと魔法の方がずっと得意だし、標準よりは少し上の剣士を軽くいなせる技量はあるが、その程度だ。
 本気も出されずに時間をかけて遊ばれて、笑ってバカにされてやるような広い器は持ち合わせていない。
 そろそろ、怒りに似たいらいらも頂点に達する。
 だが、さっきの一撃で突破口が見えた。
 狙うのは、一点。
 これで勝負を終えることができる…――おそらく。
(ま、やってみるしかないか)
 大きく息を吸い込んで、ティナはかみ合った刃を弾くと、一気に斬り込んだ。
「はあっ!!」
 胴を打つと見せかけて、軌道を逸らし、一気に刃を跳ね上げる。
 意表を突いた軌道だったが、相手はその動きにも冷静についてきた。
 迎え撃つ剣が、視界の端に移る。
 ティナは刃の拮抗を見ずに、開いた左手を相手に向けて伸ばす。
 完全に死角から近づいたが、相手は気付いた。
 こちらの意図を悟ったのだろう――剣を引き、一気に飛びのいて、距離を稼ごうとする。
 しかし、追いすがるティナの方が、わずかに速かった。
 糸が風に乗るように逃れていく青年に手をいっぱいに差し伸べ、その指の先が、大きく波打つローブの裾をかろうじてつかむ。
(届け!!)
 ローブの青年が、戦闘の中で、唯一見せた『隙』。
 顔を覆う布を、ティナの剣が掠めたとき。
 即ち、彼のフードが取り払われようとしたとき。
 彼は、そのまま進めば間違いなく――たとえ、どんなに手を抜いていたとしても、間違いなく決めることができた勝負を、一旦退いた。
 ひょっとして、彼は、ローブを『とらない』んじゃなくて、『とれない』んじゃないか。
 それは、憶測に過ぎなかったが、それを信じるしかティナに勝利はなかった。
 舞うように甲板を滑る細身の身体には剣を当てられなくても、それに追随して、大きくはためくローブならば、はぎとるまではいかなくても、つかむくらいできる――。
 多分、そこにローブの隙が生まれるはずだ。
「…」
 果たして、青年は、一瞬凍りついたように動きを止めた。
 その隙を、ティナは逃さない。
 ためらいなく地を蹴る。
 相手の無防備な懐に入り込み、身体を添わせると、思い切り力を込め、思い切り吹っ飛ばした。
「!!」
 動揺がざわりと広がる。
 ティナは大きく息を吐いて、肩から力を抜く。
 女とはいえ、全体重かけて吹っ飛ばされた青年の細身の肉体は、船の支柱に音がするほど激しくぶつかって、そのまま崩れた。
「そこまで!!」
 ロイドの声が、響き渡り、勝敗が決した。

* * *
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