Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第三章 船上の決闘 
* * *
「そこまで!!」

 ためらいなく、静止の声を響かせながら、しかしロイドは内心驚きを抑えられなかった。
 予想外の光景だった。
 栗色の髪の少女が、体勢を崩さんばかりに手を伸ばし、副船長のローブに触れた刹那、それまでなめらかに動いていた青年の時間が、身体ごと止まった。
 そこにできた一瞬の隙を見逃すことなく、懐に飛び込んだティナの一撃が、勝敗を決したのだ。
 しかも、彼女の手は、たまたまローブに触れたというのではない。
 彼女はあの戦いのなかで、『副船長がローブをはぎとられることを避けている』ことを確かに見抜き、狙って行動した。
 正直な話、勝てると思っていなかった。
(けっこう、やる娘だなー)
 ロイドは素直に賞賛を送る。
 戦いに必要なものは、技量だけではない。
 彼女には、その『技量以外』のものでもって、副船長に勝ったのだ。
 それは、すごいと思う。
 だが、ここからは別の問題が残っていた。
 アベルは、約束どおりに返すこととして…。
(しっかし…こっからどうするつもりだー? 副船長)
 ロイドが、声を上げてからも、しかし戦った二人はその場を動くことなく、緊張をともなった膠着が続いていた。
 海賊たちも、ゼルリアの将軍たちも、動かない。
 双方が、ティナの心中を察しているのだ。
 状況が全く分かっていないアベルも、さすがに雰囲気に呑まれてロイドの背中で沈黙していた。
「…」
 幾多の視線が集まる中心で、ティナはいまだ整え切れない息を荒く吐き出しながら、相手をにらむように見つめていた。
 紫欄の瞳が鋭く光を放ち、勝利に浸っているのとは正反対の悔しさを、その面に波立たせている。
「っ…」
 支柱に背を預けたまま、立ち上がろうとせずこちらを見上げる相手を、その布越しに刺し貫くようにねめつけて、ティナはかみ締めた歯の間から、押し殺した言葉を搾り出した。
「試してたの?」
「…」
 副船長は、ためらいなく頷いた。
 周りが一斉に息を呑む。
 ティナは、いっそうきつく唇をかみ締める。血が滲んですらいた。
 拳を握り締めた彼女は、そのまま相手に殴りかかりそうにも見えた。
 しかし、誰も止めない。
 止めることができない。
 手を抜いた相手に、弄ばれただけでなく、理由もなく試されるような戦い方をされていた戦士の屈辱は、言葉では表しがたいものがある。
 息を詰めて身体を硬くしたアベルも。くいいるように見つめる海賊たちも。どこか真剣な面持ちで見守るアルフェリアも。心配そうに眉をひそめたクルスも。無表情に腕を組んだカイオスも。
 ティナの次の行動をただ待ち続けるしかなかった。
 無言の聴衆の間を、風が吹き抜けていく。
 ティナは、なおも怒りの捌け口を求めるようにじっと立ち尽くしたままだったが、
「で、気が済んだ?」
 ため息とともに吐き出された言葉には、抑えがたい感情の名残はあったが、先ほどまでの高ぶりはなかった。
 それを皮切りに、ほっとしたような空気が生まれる。
 それを背中で感じ、ティナはどこか吹っ切れたような仕種で肩を竦めると、あっさりと剣を手放した。
「あーっ疲れた。じゃ、アベルは返してね」
「…」
 いつもの調子で、からっと明るく言ったティナに対し、ようやく立ち上がった副船長は、一つ頭を下げると、そのまま船内に歩き去ってしまった。
 その背を見送る前に、後ろからとんっと肩を叩かれて、ティナはふっと振り返る。
「ティナっ!!」
 駆け寄ってきたクルスがにこっと笑っていて、思わずほっと息が漏れた。
「よかったねっ。最後、かっこよかったよっ」
「最後、はね」
 おもわず苦く笑った。
 ふとこちらに近づいてくる人影に目線を移すと、赤髪の若い男と、アベルが居た。
 男――確か、ロイドという名だった――の方が、すまなそうな顔で頭をかく。
「悪かったな。紛らわしいことをしちまってたみたいで」
「ティナさん、ロイドさんたちは、私を助けてくれたんですよ」
 アベルが言い添えて、ティナはパタパタと手を振る。
「あー、わたしも、よく確かめもせずに、ごめんなさい。ま、一応そっちのローブの言うとおりにしたから」
「うん。悪かったよ」
 心の底から、と言った風に潔く頭を下げたロイドの隣で、アベルは、お久しぶりですね〜、とティナの手を握る。
 そのときには、他の海賊やら、アレントゥムで一度会った黒髪の男やらが一斉に近寄ってきて――気安げな環の中心でティナはほうっと息を吐いた。
 賊にしては、随分と気安い連中のようだ。
 それに、
「えっと、ロイド…だったっけ? 一体、何者なわけ? えっとアルフェリアとも知り合い、みたいだったし」
「あー、それはな。まあちょっと長くなるから、船内で話そうや。お茶でも飲んでってくれ」
 くっと気安げに中を示されて、ティナは意向を問うように、クルスたちを見遣る。
「わーい、お茶だ、お茶だ〜っ」
「いいですね。ちょうどおなかすいた頃ですし」
「…」
 特に、異論もなさそうだったので、ティナは視線を戻すと頷いた。


 ティナたちが案内された船内の一室は、明るい陽光と、吹き抜ける潮風に満たされていた。
 床は広く、天井は高く、物があまりないせいか――事実、机と椅子、ベッドが置かれているだけ。
 ほかにあるものといえば、しいて言うならベッドの上に読みかけのように開かれた分厚い本が一冊と、壁にとめられた地図が一枚。
 四方が茶色く変色した地図の中には、いくつかピンが刺さり、何かの目印を示しているようだった。ちょうど、紙の右上――ゼルリアの北方の海域にも、ピンが一本立っている。
 海賊ときて、地図ときたら、宝の位置でも記しているのだろうか…。
 それを横目に見ながら、ティナは手近な椅子に腰を下ろす。
 彼女のとなりに、クルス、アベル、カイオスが腰を下ろしそしてなぜかアルフェリアも同席して、最後にロイドが余った椅子に腰を下ろす。
「ここが、一番散らかってないんだ。副船長の――あ、さっきあんたと戦ってたヤツの部屋なんだけどな」
 どことなく照れたように言って、彼は頭をかく。
「悪い、コックがお茶入れてくれるから、ちっと待っててな」
 言い切ってしまってから、少し沈黙が降りた。
 ロイドの黒い瞳が、好奇心をいっぱいにしてティナたちに注がれているのを感じて、ティナもちらりと彼の方を見返してみた。
 堀の深く、重厚なつくりをした顔は、浮かべる表情が軽く明るいせいで随分と親しみやすく感じる。
 年は、二十をいくつか越した程度だろうか。
 それも、表情のおかげで随分と若く見えた。
 『少年のような』というのであれば、アルフェリアもそうだが、彼の場合は、少年の面影を残した食えない大人、といった感じがしたのに対し、ロイドの方は、子供の好奇心と穏やかさそのものが『ロイド』という人間を形作っているような感じがした。
 それでいて、単に『単純』と言い切ってしまえないような奥行きも、その全身から感じられる。
「ん? 顔になんか、ついてるか?」
 いつの間にか、じっと見入っていたらしい。
 覗きこむように首を傾げられて、ティナはあわてて首を振った。
「わ、ごめんなさい!」
「ははは。いーって。お、お茶が来たみたいだな」
「へ?」
 言った直後に扉が開き、長身の女性が姿を現す。
 甲板で、ロイドに詰め寄っていた女性だ。
「コックのジェーンだ。彼女の飯は、めちゃめちゃうまい」
「…ほかに言い方ないの? あんた」
 軽くにらんでから、彼女は客人たちの前に手際よくグラスを差し出していく。
 ティナの前にグラスを置くときにだけ、
「ごめんなさいね」
 と、ちらりと笑ってみせた。
「い、いえ…」
「ありがとう」
 やりとりはそれだけだったが、何となく打ち解けた雰囲気のようなものを感じて、ティナは軽く頬をゆるめた。彼女のもつ開放的な空気が、そう感じさせたのかもしれない。
 そのジェーンが、扉の向こうに消えてから、ロイドは改めて頭を下げた。
「じゃ、改めて自己紹介、な。オレは、ロイド・ラヴェン。ここいら縄張りにして、海賊やってる」
「ロイド・ラヴェン…」
 どこかで、聞いた覚えのある名前だ。
 ティナはしばらく首をかしげて、ふっと思い当たった。
「! あー!!」
 ロイド・ラヴェン。
 吟遊詩人たちは、彼の名を高らかに謳いながら、ゼルリア王国の建国について朗々と謳い上げる。
「もしかして、ゼルリア建国の英雄で、戦鬼の!?」
 思わず声を上げた少女に対して、ロイドは照れたように頬を掻くと、グラスの冷茶を一口含んで、ひとつ、頷いた。

* * *
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