現在からおよそ百年前。
当時、第一大陸において、あらゆる手段を使い、異民族を融和し、他国を懐柔し、史上最大の版図を実現したソエラ朝――ミルガウスの前身である――の王がいた。
時の王デュオンの妾は、版図拡張の只中にあって、常に軍の先頭に立ち、女の身にも関わらずその侵攻に大いに貢献した。
その功績の偉大さと微かな羨望から、人は、彼女のことを『妾将軍』と慕い、畏れる。
しかし、後年デュオンは彼女に対し、なんら報いることをしなかった。
そのため、勇猛な妾将軍は逆上し、当時、ソエラ朝最北端の地を占拠、分離、独立させ、セドリア王国と称した。
以後、セドリアは、極寒の気候のただなかで、現地民との共存を図りながら、弱者をいたわりながらも実力主義を掲げた、覇道の国を実現させていく。
妾将軍は、女だからと侮られることを嫌ったらしいが、彼女のその矜持は自身の後継者にも強制的に受け継がれていった。
後継者同士の決闘。
生き残ったただ一人の皇帝による、絶対権力に支えられた軍政。
彼女は、自分の子供――といっても、全員が養子ではあったが――に殺し合いをさせたのだ。
強きものが権力を握るという論理を掲げ、彼女は何よりもそれを王者の資質として要求した。
王位の継承者には、死ぬか、出家するか、王になるか以外に、選ぶ道はない。
そのような苛烈な実力主義への反動か。
時は流れたゼルリアの前王朝、チェラ王国末期。
後に後継者戦争とよばれる、時期国王候補同士の内乱が、四年にもわたって繰り広げられたのだ。
この内乱は、従来の王位継承者たちの『決闘』とは、明らかに違った方法での王位簒奪が、原因となった。
きっかけは、当時の第一王女の『事故死』。
それを皮切りに、第二王女の『水死』、第一王子の『中毒死』…と、次々と王位継承者たちが非業の死を遂げて言ったのだ。
しかし、王国がいくら調査をしても、犯人は一向に見つからなかった。
そして、不可思議な『死』の魔の手は、当時最も『無力』な王位継承者だったダルウィン・ジルザーグ・サレリアにも及ぶ。
『水難事故』で『行方不明』となった彼は、しかしとある海賊船に助けられて一命を取り留めた。
その海賊が、『ロイド・ラヴェン』だった。
ダルウィン・ジルザーグ・サレリアは、彼と意気投合し、義兄弟の契りを結ぶ。
その上で、王位の奪還の手伝いをしてくれるよう申し出た。
継承者たちの不審な事故死――それは、彼らと同じ、王国の王位継承者のしわざだった。
頭が良く、人柄も温厚だったその王子は、しかし生まれつき身体が弱く、仮に王を決する決闘に参加したところで死ぬしかなかった。かといって、形ばかりの出家をした後に、自分より能力の劣る新王に対し、還俗して絶対忠誠を誓う気にはならなかったのだろう。
彼は、自分に付き従う者の協力を得て、決闘の前に、自分以外の継承者を『自然排除』しようとしたのだ。
しかし、ダルウィンは、手の込んだ暗殺劇にも関わらず、たまたま生き残ってしまった。
彼は、ロイドたちや、後に『四竜』と称される者たちと共に、王都を奪還、彼を追放し、新たにゼルリア王国を建国した。
ちなみに、この『建国』の仕方が、代々のしきたりに反する、とミルガウス国王ドゥレヴァからいいがかりをつけられて、軽い戦争状態が始まったのは、つい五年前の話である。
当時のミルガウスは、『賢王の粛正』が行われていた時期だった。
ゼルリア王国の側からすれば、放っといてくれと言った感じであったが、できたばかりの新王国が、巨大なミルガウスを黙殺わけにはいかなかった。さらには、下手に無視してミルガウスの反発を招き、それに乗じての国内の反新王派の内乱を招かないためにも、ゼルリア国が『一致団結』して、ミルガウスに立ち向かうしかなかったのだ。
この不条理極まりない争いは、ミルガウスの左大臣の交代期――バティーダ・ホーウェルンからカイオス・レリュードへ移行した――今から二年前に終結した。
「うん、それでゼルリアの国王とは知り合いなんだよなっ。そのときの縁で国のおえらいさん…そこのアルフェリアとか、サラとか――あ、さっきの黒髪の娘、な――とも、顔見知りなんだよ」
剛剣の戦鬼――そう呼ばれる彼は、照れたように頬を掻く。
ティナは念のために、カイオスやアルフェリアやアベルの顔色をちらりと伺ってみたが、特に何か――例えば、集団で嘘をついてティナをからかおうとしているような――様子はない。
「えっと…じゃあ、アルフェリアは…」
恐る恐る確認すると、彼はにやりと笑って口を開いた。
「ゼルリア将軍。アレントゥムには任務で行っていたんだよ。あんなことになっちまって…お互い生きてて何よりだな」
「は、はあ…」
「ちなみに、ベアトリクスも同僚だよ」
「…」
アレントゥムのあの時、一瞬顔をあわせた、あの女性のことか。
目の前で、どこか不敵に笑うアルフェリアといい、どこかただ者ではない、とは思ったが…――
ミルガウスに石版を持って行ってから、やたらめったら国の偉いヒトとお知り合いになってしまっているのは、気のせいでは…ないだろう。
ティナはため息をつきたい心地だったが、それは一旦置いておいて、ロイドに向き直った。
「…じゃあさ。そんな立場なのに、何で、さっき、アベルを連れてたの…」
「あ、それはだなー。アベルちゃんが、人売りの…誰だっけ、ザラーに連れて行かれそうになってたから、保護したんだよ」
のんびりと応じた言葉に、ティナは目を剥く。
「人売りに!?」
一体、彼女を護るカイオスは何をしていたんだと、彼の方をふり向いた時――
「大変だ!!」
ばん、と弾き飛ばしかねない勢いで扉が開き、がっしりとした体格のスキンヘッドが飛び込んできた。
真っ青な顔で、荒く息をついている。
「ん? どした、ジン」
「と、とにかく来てくれ。船が…!!」
ただならぬ様子の男に首を傾げながら、ティナたちは一旦部屋を後にした。
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