闇の中で揺れる波は、静かに、儚い。
切り取られた窓の向こうに、その情景を映しこみながら、少女は闇と同色の瞳を室内に向けた。
動いた拍子に、腰を下ろしたベッドがぎしりと音を立てた。
彼女にあてがわれたのは、副船長室――あのローブの青年の部屋だ――殺風景な色調と家具が物寂しかったが、清潔に保たれた空気はさっぱりと心地よかった。
色々あって疲れているはずなのに、眠れない。
けだるい疲労に包まれながら、彼女は目を閉じることができなかった。
一抹の不安。
自分の非力と、それがためにかけた迷惑。
今度こそ、見捨てられてしまうのか。
気持ちのせいでこわばった肩は、力を入れすぎて、痛みを感じるまでになっている。
それでも、彼女は何となく待っていた。
『彼』を。
と――
規則正しく外の廊下を歩く音が近づき、扉の前で止まった。
ノックの前にアベルは声を掛ける。
「どうぞ」
顔を覗かせたのは、ティナだった。
微かな失望を感じながら、しかしそれを顔には出さず、アベルはにっこりと微笑んでみせた。
「ティナさんでしたか。何か、ご用ですか?」
「あ、いや…用ってわけじゃないけど…」
少し迷った様子を見せてから、彼女は室内に踏み込んできた。
「あさってには、例の海域に着くって。身体休めとかないとね」
紡がれる言葉は流し半分に、アベルは何の気なしにその動作をながめている。
踏みしめる床が、不思議とあまり音を立てない。
きれいな歩き方。すっとした姿勢。強い瞳。
――自分にはないものばかりだ。
そこまで思って、アベルはわずかに苦笑した。
他人は他人。
自分は自分。
「いや…あの、それでね。賊に連れ去られてたって聞いたから。話し合いもひと段落ついたし、ちょっと様子見に来たっていうか…。大丈夫?」
そんなアベルをよそに、椅子に腰掛けて、ティナは切り出してきた。
アベルはにっこりと笑うと、こくんと頷く。
「大丈夫です。ありがとうございますっ。というか、ティナさんも皆とはぐれてたんですねえ。偶然でしたね。会えて、良かったです」
「そーね。ホントに」
ほっとしたような調子で、ティナは応じた。
彼女は、とてもはっきりとした喋り方をする。
そう、アベルは思う。
感情が素直に表れて、話にあわせて体が揺れて、一緒に話していると、楽しくなる。
「で、それで一人の時どうしてたんですか?」
「あ、そうなのよ。聞いてくれる?」
身を乗り出したティナにつられて、アベルもいつの間にか話しにのめりこんでいた。
熱心に耳を傾けているうちに、いつしか心地よい眠気がやんわりと彼女を包み込んでいた。
■
夜の闇を進む船の中では、昼間の事件と『闇の石版』の関係、そしてその位置について、かなりの時間話し合われていた。
顔を突き合わせていたのは、ロイド、ゼルリアの将軍たちと暇を持て余したティナとクルス。そしてカイオス・レリュードだったが、専ら口を開いていたのは、金髪の左大臣で、後の人間たちは質問か意見を挟むだけ。
その、左大臣の示唆は、根拠も明確でしかもかなり的確なものだった。
求められる質問にも、いちいち彼なりの理由を提示して応える。
文句のつけようはなかった。ただ、ゼルリアの将軍たちは――特にアルフェリアは、その信憑性について渋い顔をしていたが、――海賊の船長、ロイドの方は楽観的に取り合う。
「ま、大体の場所わかってんならいいじゃねっか。夜の航海は危険だけど、これで大分楽になったよ」
そのほがらかな言葉が、事実上の解散の合図になって、夜中を大分更かしていた彼らは一旦解散する。
各々、散っていく最中、席を立とうとしたカイオスの耳元に、アルフェリアが低く言葉を残した。
「…話がある」
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