Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 伝説の住処へ 
* * *
「…寝ちゃったか」
 ティナとの話に華を咲かせたのもつかの間、うとうとと船をこぎ始めたアベルから規則正しい寝息が聞こえ出すのに、余り時間は必要なかった。
 それを見届けて、彼女は部屋を後にする。
 薄暗い船内を、自分のために充てられた部屋に向かって歩く間、彼女はふと王女について考えをめぐらせていた。
 年端もいかない――しかも、王族でもっとも有力な王位継承者が、どうしてこんな危険な旅に同行しているのか。
 アレントゥムの時とは、話が違う。
 あの時は、同じ王位継承者であるカオラナと、『王位を争う』という建前で同行したに過ぎない。
 しかし、今回はそれこそ完全にアベルはお忍びだ。
 カオラナ王女の方は、旅などはしないという。
(…考えてみれば、変なのよねー)
 首をかしげたところで、甲板から船内の方に降りてくる足音を聞きつけて、ティナは足を止めた。
 闇の中でうっすらと見える輪郭を頼りに、相手を誰何してみる。
「アルフェリア?」
 案の定、近づいてきた彼は、気安げに手を上げた。
「何だ? こんな時間に」
「ちょっとアベルと話してて」
「へー」
 何となく会話が途切れる。
 ティナはあらためて、男へと視線をやった。
 暗がりの中で、不敵な表情が闇に隠れて、不気味な存在感を放ちながら、ひっそりと佇んでいる。
 いつもなら、その中に一片の子供の顔が覗くが、今日はそれがない。
 どちらかといえば、険しい表情――ただ、そこに苦笑めいた気安さもあって、ティナは何となく口を開いてみる。
「…ゼルリアの将軍だったのね」
「ああ」
「あの時は、ありがとう。何か、なんだかんだでちゃんとお礼言ってなかった気がするから」
「あれくらい」
 肩を竦めて軽く応じた彼は、ふと沈むような表情をした。
「ま、どっちにしろ街はあんなになっちまったわけだけど」
「…」
「あ、そーいや、ちょっと聞きてぇことあるんだが、いいか?」
「え、うん」
 軽い調子で――しかし、真剣な黒瞳を向けられて、ティナは少し驚く。
 相手は髪をさらうような仕種をして、息をついた。
「何てか…あんた、ミルガウスの王女や左大臣たちと知り合いみてーだけど。アレントゥムの時も、一緒にいたんかい?」
「え…」
 思わずティナは言葉を止める。
 アレントゥムへの『お忍び』に関することは、多分国家機密なわけで――それをティナが独断で、ゼルリアの将軍に話していいものか、見当がつかなかった。
 ただ、アベルは『ゼルリアには、石版が持ち去られたことも何もかも、全て話した』といっていた。
 だとしたら、ひょっとしたら、彼も『お忍び』のことは知っているかも知れないわけで。
 しかし、一応ティナは先回りして相手に尋ねた。
「えっと…ちなみに、アルフェリアはどうしてアレントゥムに居たの? 任務…って聞いたけど」
 相手は、意を得たようにさらりと答える。
「ミルガウスから連絡があって、石版が盗まれたって聞いたからな。ミルガウスも王女を立ててアレントゥムに向かったって聞いたから、オレらもそれを受けて、向かったんだよ」
「…」
 少し考えて、ティナはこっくりと頷く。
「石版見つけるための王女の護衛、頼まれたのよ」
 ほとんど無理やりに、だったが。
 ティナの言葉を受けたアルフェリアは、闇の中で微かに首を倒すと、
「じゃああの時、あの場に、確かに左大臣はいたんだな」
「え…うん」
 『左大臣』。
 わざわざ彼の存在を確認したのがひっかかって、ティナは聞き返す。
「でも、何で」
「――さっき、ちょっと気になること問い詰めたら、あいつ、自分が石版盗んだとか、言ったんだよ」
「…っ」
「その様子じゃ、あんたもそのこと知ってるみたいだな」
「あ…」
 意地悪く目を細めた相手に、軽く問いただされて、ティナは思わず声を上げた。
 アルフェリアは微かに口の端を上げると、苦味を感じさせる調子で笑った。
「あ、いや別に、責めてるとかじゃなくて。あいつ、やっぱどっかよく分からねえから、はっきりさせときたかったってだけだよ。ただ、それだとあいつもアレントゥムの崩壊に立ち会ってんだよなあ。…別に、気負った風でもなかったけど」
「…」
「魔封書待ちだすくらいだから、やっぱりどっかで気にしてんのか…」
 一人言のように続けるアルフェリアに対して、ティナは思わず口を挟んだ。
「ま、魔封書!?」
 持ち主以外が触れると、容赦なく手を吹き飛ばすという、物騒な魔法の書物だ。
 ただ、封印を解いたものには、己の知識を惜しげもなく与えるという…
 どうしてそんなものを、と言いかけた瞬間、彼女の中で、何かが一本の糸につながった。
 石版の確かな情報。
 らしくもなく、王女から目を離していたこと。
 そして、魔封書の性質…。
「じゃあ、あいつあのとき、魔封書使ってたんだ…」
 それであの日、彼は焚き火の傍を離れたていたのか。
 魔封書は、総じて大変に自意識過剰なので、持ち主以外の人間の目が触れる所では、決して呼びかけに応じない。
「あの時?」
「あ、いや…こっちの話」
 しかし、彼もそうならそうと言ってくれればいいのに。
「…」
 そして、ティナは無意識に自分の手を見た。
 振り払われた、手。
 まあ、やり方に問題がないといえなかったが、別に彼はあの時悪意でそうしたんじゃなかったのだ。
 本に触れていたら、ティナの手は――冗談を抜きにして――吹っ飛ばされていた。
 しかし、それにしても。
(やり方、あるでしょ…)
 ただ、先ほどまでのもやもやが自分の中から消えているのは、確かなことで。
「そっか…うん。安心したら、急に眠たくなってきちゃったわー」
「? ああ。呼び止めて悪かったな。お休み」
「こっちこそ、ありがと。じゃーね」
 軽い気持ちで手を振って、ティナはどこか釈然としない表情をしたアルフェリアの傍を抜けて、寝室に歩き出した。


 アルフェリアがあてがわれた部屋に戻ると、闇の中には、少年の寝息が心地よく響いていた。
 聞こえる寝言に食べ物の名前が多いのは、ちょうど食べ盛りの年頃だからか。
「平和なヤツ」
 かすかに笑んで、アルフェリアは開いたベッドに腰を下ろす。
 三つのベッドの残った一つは、使われた形跡もないまま、月の影を描いていた。
 その陰影を、何の気なしに視線でなぞりながら、
「…見届けてやるよ」
 彼はふっと呟いた。
 辿る視線の裏側には、闇の中で交わした、先ほどのやりとりがあった。
 その時カイオス・レリュードが口にしたのは、ほとんど無謀な数字だ。
 それでも。
 付き合ってみようという気になるのは、敵対心丸出しで詰め寄った自分に、水のように冷静な受け答えをしてみせた青年に興味がわいたからか、それとも自分の懸念が取り越し苦労だったことへの気まずさからか。
 ただ、どっちにしても、賭けごとめいた応酬は嫌いではない。
「本当に、三ヶ月で石版集めてみせるのか」
 今のところ、勝負は目に見えて自分の方が有利に見える。
 その局面がどう移り変わっていくのか。
 にやりと口の端を上げる。
 やってみやがれと口の中で呟いて、彼はベッドに横になった。

 アルフェリアが眠りにつくまで、結局カイオスは帰ってこなかった。

* * *
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