Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 伝説の住処へ 
* * *
「遅かったな」
 ティナが部屋に入ると、黒髪の女将軍――サラが出迎えてくれた。
 既に軽装に着替え、いつでも眠れる支度はできているような格好だ。
 ただ、腰に佩いたままの剣だけが、彼女の意識が寸分もゆるんでないことを伝える。
 ランプを消すのを待っていてくれたのか。
「あ、すいません」
 謝って、ティナは自分の着替えに取り掛かる。
 ふと視線を感じて相手を見ると、彼女は空気に語るように口を開いた。
「あなたは、信じているか」
「へ?」
「さっきの話だ。石版が、セドリア海北方の海域にあるという…」
「本当…なんじゃ、ないですか? あいつが――えっと、左大臣がそういってたし」
 カイオスは、大事なことや言って欲しいことを、口にしないことが多いが、逆に口に出した言葉は、間違いなく彼の中で何らかの確信を得ているものなんだろうと、ティナは思っている。
 実際、さっき石版の話が出た時も、彼の言葉の背後にはれっきとした根拠があったし、それは魔封書に裏付けられたものだった。
「何となく…信じられる気はするんだけど」
 素直なところを素直に吐き出すと、女将軍は彼女の言葉を飲み下すように、少しの間口を閉ざした。
 闇が濃くなった頃、空気に滲ませられていくように、彼女の唇から微かに声が漏れる。
「…手放しの信頼は、弧絶と暴走を生む」
「…」
「私は、それが怖い気がする。実は、石版が海上にあると言う話もそれほど真に受けているわけじゃない。
 たまたま、潮の流れが複雑なところに、船が迷い込んでしまった。
 そして、たまたま炎上事故が起こってしまった。
 生存した乗組員は、怪我のショックで意味の分からない言葉を口走っていた。
 それを、私たちは都合のいいように受け取った」
「…」
 さらさらと流れる言葉を、ティナは黙って聴いていた。
 相変わらず、サラは空気に語るような調子で、ランプの光を瞳に映じている。
 ティナは、すぐには応えずに自分の着替えを済ませた。
 まわりこむように覗き込むと、相手の目を見て言葉を選ぶ。
「えっと…。つまり、サラ…さんは、カイオスの言ったコト、信じてないんですね」
 相手は、強い光を秘めた瞳で、見返した。
「サラでいいよ。まあ、そんなところだ」
「………。あいつも、『信じてもらってること』前提に、話してなかった」
 ティナはふっと口にした。
「…」
 サラは、答えない。
 ティナも、続けない。
 ただ、彼女の中に、淡々と言葉を紡ぐ『彼』の姿がぼんやりと浮かんだ。
 何を言うにも必要最低限の言葉しか用いず、それ以外は黙殺してしまう。
 反対したり、反目するようなことを言えば、すらすらと説得の言葉を紡ぎだす反面、同意や賛成には、そっけないほどの態度しか示さない。
 そんな、姿が。
「自分の言うことは、全部一回疑われてて、それを突っ込まれること前提で、…そんな感じで喋ってる気がするのよね…」
 手放しの信頼は、弧絶と暴走を生む、とサラは言った。
 それが何を指しているのか、ティナには分からない。
 ただ、最初から自分の意見が『信じてもらえない』と思いながら話すというのも、結構寂しいことなんじゃないのかと、彼女は思う。
「…。確かに、私は、彼のことを手放しじゃ信頼できないな。何においても」
 サラが言って、ティナは慌てて顔を上げた。
「そう、なんですか」
「ああ。名前も、出自も、何も分からない。それは、自分を相手にさらけ出していないということだ。そんな相手が信頼に足りるとは、思えないね」
「…」
 ティナは少しだけ口を閉ざす。
 言いたいことを整理して、慎重に音を紡いだ。
「確かに…よくわからないところはいっぱいあるけど…、だからって、それで彼の言っていることが全部信用できないものだっていうのも、違う気がする」
 もちろん、何が何でも手放しで全て受け入れるのも違うと思う。
 ただ、ある程度は相手の言っていることを正しいと思わないと、いつまで経っても話なんてできないとも思う。
 それは、別にカイオスだけに限ったことではなくて。
 ただ、サラの言うように、相手が信用できないから、言っていることが信用できない、と言うのは。
「それは、カイオスの言葉を受け取るこっちの問題でもあるんじゃないかな…」
「…」
 サラは、闇の向こうで精悍な顔を少しゆるめて、そうかもな、と言った。
「ではあなたは、左大臣の言うことをそれなりには信用しているわけだ」
「はい」
 ためらいなく頷くと、彼女はくつくつと喉の奥で笑った。
「そうか…。そんな人間も、彼には珍しいんだろうな」
「…え」
「何でもないよ。ただ、一言だけ言わせてもらうなら、それでも私は彼の言うことは大体において信をおけないだろうな。それが、立場ってものだ。ま、あなたがそういうんなら、今回は私も信じてみようかな。何もなければ何もないで、平和なことではあるし」
「…」
「少しすっきりした。ありがとう」
 話を打ち切るように、彼女はほっそりとした体躯を、しなやかな動きでベッドに横たえた。
「あ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 つられるようにティナもベッドに入る。
 昼間の決闘の疲れもあってか、泥のような眠気が、すぐにティナを包み込んだ。
 意識が落ちていく瞬間、女将軍の低い声が、微かに夜気を揺らす。
「そうだ…。さっきの、『手放しの信頼は、弧絶と暴走を生む』。誰の言葉か教えようか」
「え…」
 夢見心地に、ティナはそれを聞いていた。
「ソエラ朝第六十三代の王、デュオン。事実、彼が手放しで信頼していた女性は、暴走しセドリアへと下ってしまった。そして、王は弧絶になった」
 まどろみの頭は、意味を考える前に言葉だけを受け入れていく。
「『手放しの信頼は、弧絶と暴走を生む』。当時のアクアヴェイルで流行した歌劇の有名な一句。そして、彼の辞世の言葉だ」
 闇に解けるように、ティナは眠りに引き込まれていった。


 軽いノックを二回。
 返事を待たずに微かに開けた部屋の中からは、あどけない少女の寝息が規則正しく響いている。
「…」
 さすがに寝ていたか。
 それを確認して、カイオスはさっさと踵を返しかけた。
 ひょっとしたら、起きて待っているんじゃないかとも思ったが。
「…遅かったですね」
 ふと、闇の中から呼び止められて、彼は動きを止めた。
 遣った視線は、変わらずこちらに背を向けて眠った姿勢の少女を捕らえる。
「今度こそ、アイソつかしたのかと思いましたよ」
「…。目を離したのは、俺が悪い」
「理由無く、私から目を離すヒトじゃないでしょう、あなたは。別に、悪くないですよ」
 穏やかな少女の声は、眠りの狭間をさまよっているようにも聞こえる。
 カイオスは、あえて言葉を切った。
 こんな風に自分の立場を分かっている小娘も、珍しいだろう。
 これで普段の言動がもう少しまともならば、それなりに周囲も納得するのだろうが。
 彼女が、『第一王位継承者』だと。
「怪我は」
 一応聞いてみると、ないですよ、とすぐに答えが返ってきた。
 殴られたように腫れていた彼女の頬をすぐに浮かべて、下手な嘘を、と思ったのは一瞬、続く言葉がやんわりと彼女の本音を紡ぎだす。
「けれど、少し怖かったです。あと、窒息死しそうでした。熊のせいで」
「…」
「おやすみなさい。これからは、ならべく目を離さないでいてくれると嬉しいです」
「善処する」
 さらりと答えると、くすりと闇が笑った。
「それで、石版は見つかりそうなんですか?」
「たぶんな」
「そうですか。ま、テキトーにがんばってくださいね」
 私はテキトーに傍観してますから、と言い切った彼女は、やがて安心したような寝息を再び立て始めた。
 カイオスは、暫く戸口に佇んだ後、今度こそ踵を返した。

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