Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 伝説の住処へ 
* * *
 それから、何事もなく日中を過ごし――変化が起きたのは、その日の夕方のことだった。

「おい、ちょっと来てみろ!!」
 船内にこもって、カードに興じていたティナたちに、慌てた様子で海賊の一人――フットと言った――が、声を掛けた。
「何なんですかー?」
「海獣でも出てきたとか?」
 アベルたちと顔を見合わせながら、ティナは甲板に急ぐ。
 波にあわせて揺れる狭い廊下を、小走りに駆け抜け、外に通じる階段を一気に駆け上った。
「っ!?」
 目の前に現れた『光景』に、ティナは一瞬呼吸が止まる。
 心臓が、どくん、と次の一音を刻むのが、やけに大きく彼女の耳に跳ね返ってきた。
「な…」
 口を開くが、声が出ない。
 完全に身体をこわばらせて動きを止めたティナを、後ろから急く声が上がる。
「ティナさん? つっかえてますよ〜」
「ティナー? どうしたの?」
 アベルとクルスが、背後で何か言っている。
 暫く、その言葉ですらも、ティナの耳には届かなかった。
「な…何…」
 珍しく、風のない日だった。
 たそがれ色に燃える空。
 規則正しく、揺れる波。
 遥かな海原の、その行く手に、魚や鳥や船や――さまざまな『もの』の残骸が、ばらばらに裂かれた破片を空ろに浮かべ、赤い血色を波に滲ませていた。
 その悲劇の中心――波が渦巻く只中に、赤い――毒々しい光を放つ魔法光のような光が、ゆっくりとたゆたっていた。
 夕日の赤と、波の赤と。
 二つの光に照らされて、それはあたかも血色の涙を流しているかのような表層を見せていた。


「おいおい…ちょっと前、オレたちがこの辺りを通ったときは、あんなん、なかったぞ」
「ど、どーすんだよ。近寄れねーよ」
「…最近、巡視船の帰りがえらく遅かった――いや、少なかったわけだ」
「漁船も結構巻き込まれてるな。――時がたてば、大きな騒ぎになるぞ」
 船にいる全員が、甲板に集結していた。
 ロイドも、アルフェリアも、カイオスも、――舵を取っていたはずの、ローブの青年も。
 その全員が、そろいにそろって、あっけに捕られたように、目の前の光景を凝視している。
 呆然としたまま、ぽつりぽつりと呟きがこぼされていく。
 長い間、気の抜けた沈黙があった。
 最初に一同を見回したのは、ロイドだった。
「一旦、離れた方が良い。舵を取って――」
「無理だ。さっきから、効かない」
 無情なほどに、さらりと口を挟んだのは、ローブの青年だった。
 先ほどから、ずっと彼が舵を取っていた。
 今は、持ち場を離れている。
 しかし、船は『まっすぐに』進み続ける。
 煌々と光る、たそがれ色の光球に向かって。
 ――風もないのに。
 それを受けて、ロイドは真剣な表情で黙り込んだ。
 事実上の死刑宣告だった。
 おそらく、数日前に見た、ゼルリアの巡視船も、こうして『あれ』に引き寄せられていったのだろう。
 渦を巻く、『何か』に。
 そして、引き寄せられた先で、おそらく船が丸ごと『炭化』してしまうような出来事が起こった…
「………」
 下りた沈黙は、果てしなかった。
 船が波を突き進む音だけが、大きく、遠く、全員を打ちのめす。
「…手は、ないのか? あれが、砕け散った闇の石版が、何かの拍子に作用したせいだとして、――たとえば、魔力によって対抗するとか」
 サラが自分に言い聞かせるように、ぽつりと言う。
 おそらく、将軍とはいえ、彼女は魔法は使わないのだろう。
 ほかに誰も言い出す気配がないので、ティナが応じた。
「多分、無理だと思う。こんな現象引き起こせるの、石版が作用したに決まってるけど――。だとしたら、わたしたちじゃ絶対対抗できない。石版の力に、人間が適うわけない」
「…」
「ま、仮に生き残る方法があるとしたら、あっちに近づく前に、船を捨てて――デライザーグまで泳いで帰るくらいしか…」
 言っていて、声がどんどん小さくなっていく。
 ため息混じりに、言葉を止めた時、そうだな。と同意する声を聞いて、彼女は一瞬息を呑んだ。
「…え」
 ティナだけでない。
 全員の視線が、発言者に注がれる。
 その眼差しをさらりと受け止めて、カイオス・レリュードはあっさりと言った。
「帰るなら、今のうちだ。おそらく――この距離ならば、あれの『勢力範囲』じゃない。今はまだ、魔力の微かな余波に引き寄せられているだけだろ。『ここ』にいる属性継承者が全力を出せば、まだ振り切ることができる」
「…随分と『あれ』とやらに詳しそうな口ぶりだな」
 アルフェリアが、険のある口調で応じた。
 他の人間は、何も言わない。
 だが、大体はアルフェリアと同じ意見だということは、各々の表情が物語っていた。
「…」
 カイオスは、多少の間を置いて、息をついた。
「石版の軌跡のひとつは、まっすぐにこの海域を目指していた。目測だが、おそらく間違いない。――魔力の強いものは、同じように、強いものと引き合う。この辺りで『強い魔力』を発するといったら、『妾将軍の宝』しかない」
「だから、オレが言いたいのは…」
「言葉遊びをしている時間はない。黙って聞いてろ」
 静かな、しかし反論を許さない言葉で封じて、カイオスは青の目を海原に向けた。
「宝には、『護るもの』と呼ばれる――おそらく妾将軍の、守護獣が憑いている。それがおそらく石版と融合することで、暴発し、片っ端から船やらを灰に返しているんだろ。魔力の局面と波動から考えれば、おそらく、『護るもの』の実体は、聖獣イクシオンだろうな。まともに行ったとしても、人間が抑えられる相手じゃない」
 彼は瞳を戻すと、全員を見渡して、さらりと宣言した。
「実際に確かめるまでは、断言できなかったが、イクシオンがこのまま暴走すれば、デライザーグくらいは、簡単に灰になる程度まで成長するぞ。おそらく――数日以内には」
 石版による、自然への影響――。
 なにせ、魔王の魂さえ受け入れられる魔力の器だ。
 何かと惹き合い、融合すれば、確かにまわりの環境に多大な影響を及ぼす。
 魔族は活発になり、風の軌道や波の流れは変わる。
 それが顕著なものはすぐに回収され、人知れず影響が少ないものは、なかなか見つからなかった。
 それも、今までは『廃墟』やら、『遺跡』やらに半ば居座るように存在していただけ。
 それを野良のゴブリンが見つけて凶暴化することはあったが、聖獣を巻き込んで暴発するなどといった事態は起こらなかった。
 不測の事態――そして、その予想よりも遥かに凄まじく早い発現に、甲板の上を不気味な静寂が席巻していた。
「で、では…どうすれば…」
 サラが愕然とした調子で呟く。
 例え、この場を凌いでデライザーグに帰港し、ゼルリア国王に現状を報告しても、数日のうちに『手遅れ』になることを話すだけ。
 かといって、今戦うとしても、こちらが攻撃できる場所まで近づくことも適わず、おそらく先にゼルリアの巡視船が辿った運命をなぞるだけ…。
 完全に沈黙した船上。
 しかし、一人がぱっと顔を上げて、伸び上がるように高らかに言った。
「…たとえばさあ、じゃあ、あれに戦えるところまで近づけたらいいんだよね」
 クルスだ。
 少年の屈託のない笑顔に、場の全員の視線がたどり着く。
 全員の視線をしっかりと受け止めて、彼はにこっと笑って続けた。
「属性継承者が全員で結界を張って、近づくとかは、無理なのかな?」
「おいおい、戦う気かよ」
「だって、どっちにしてもこのままじゃ、いけないんだろ!? だったら、オレは戦った方がいいとおもうよ」
 クルスは笑みをたやさず、驚いた顔のアルフェリアを見る。
「みんなはどう思ってるのかは、分からないけど…」
「ま、あたしもあんたに賛成かな。とにかく近づけるかどうかが、問題だけど」
 間を置かずティナははっきりと言った。
 その彼女の背後で、そーだなっ、と声が上がる。
「うーん、オレも逃げちゃいけねーとは思うぞ〜? な、みんな」
 ロイドが、海賊たちを見回しながら穏やかに言って、視線はゼルリア将軍たちに集まる。
 全員の視線を受け止めて、サラは、肩を竦めてアルフェリアを見た。
「外野がここまでやるといっているのに、われわれが逃げるわけにもいかないだろ」
「…そーだな。だが、どうする気だ。勝算は、あるのか? オレは、犬死はごめんだぞ」
 根負けしたように呟いたアルフェリアは、自分の呟いた懸念への答えを探るようにカイオスを見る。
 ここまで状況を把握している人間ならば、それへの対処もある程度は考えているのだろうという期待が、微かに見え隠れしている。
 果たして、視線を受けた彼は口を開きかけるが――
「何とかしてやるよ」
 差し出された、抑揚のない中性的な声音に、全員が意識を引っ張られた。
 幾対もの視線の真ん中で、ローブの青年は、舞台のセリフをただ『読んで』いるような口調で、淡々と紡ぐ。
「妾将軍の守護獣の攻撃を、受け流すくらいはできる。『あれ』に近づいたら、後は好きにすればいい」
「おいおい、副船長。いけるのか〜?」
「少なくとも、船を灰にする気はないよ」
 ロイドの問いかけに、彼は肩を竦めて請け負ってみせた。
 ゼルリアの将軍たちも、カイオスも、反論を唱えられない。
 そのあっさりとした――しかし、その背後にある揺るぎない自信に、ティナは多少複雑な気持ちで呟いた。
「剣だけじゃなくって、魔法も得意なのね…」
 聖獣の攻撃を受け流す、なんて、いくらティナでもできる芸当ではない。
 彼女の得意なのは、攻撃魔法のほうだったが…こうも実力の差を見せつけられると、さすがに単なる『賞賛』ではない、暗い気持ちも浮かんでくる。
「…ま、いっか」
 強いて、自分の羨望を切り捨てるように呟いて、ティナは一つ首を振ると、明るい声を上げた。
「よろしくねっ。副船長!」
「…」
 相手は少しためらった後、一つ頷いてみせた。
 その彼の名前を、まだ知らないことに今さらながら気が付いて、ティナは何気なく聞いてみる。
「あ、そういえば、あんた、名前は何ていうの?」
「…」
 再び少しためらって、彼は低い声で、呟くように言った。
「…――ジェイド」
「へー」
 青年がぽつりと落としたその名前を聞いた海賊の船長が、目を伏せて悲しそうな顔をしたことに、ティナは気付かなかった。

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