Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 伝説の住処へ 
* * *
――???



 身体をヘビのように這いずり回り、蠢く灼熱の狂気に、『彼』は、ほとんど自分を見失いつつあった。
 からからに乾いた全身が、ひたすらに『何か』を切望する。
 祈りに似た願望は、彼の意識を蝕みながら、徐々に大きく、そして後戻りのできない強さに成長しつつあった。

――私が愛した男の名をあげたお前だから。私の『心』をずっと見守っていて欲しいの。『護るもの』。

 『彼』の主の、最後の言葉が蘇る。
 それに応えるように、『彼』は大きく慟哭を発した。
 このまま、自分がなくなってしまいそうな雄叫びだった。
 自分を見失い、最果てなく暴走し、そして、全てを灰燼に帰してしまいそうな。
 ふと、その研ぎ澄まされた知覚が、近づいてくる『何か』を悟る。
 注意深く探ってみるが、それも『彼』の望んだものではなかった。
 『彼』は、厚い泥に分断されたかのような自分の身体に、気だるい命令を発した。

――消えろ。

 『彼』の意図に従い、たちまち膨れ上がった強大な魔力は、海水を蒸発させながら、一直線に『標的』へと向かっていった。


 海鳥や魚、そしてばらばらになった船の残骸が、波間に赤い筋をひきながら漂う最中を、緊張に包まれた海賊船は、ひっそりと進んでいく。
 船べりに身体を預け、腕を組んで沈黙したカイオス。
 いらいらとツメを噛みながら、波間に目を遣るアルフェリア。
 その隣でサラは、セミロングの長い髪を、海風にたなびかせている。
 ローブの副船長――ジェイドとロイドは、舳先でなにやら小声で話しこんでいたし、他の海賊はアベルを連れて、船内に非難していた。
 沈みがちな場の空気の中で、ティナはあえて明るい声で、隣の相棒へと語りかける。
「…さって…どうやって倒そうかしらね」
「聖獣イクシオンだろ? でも、カイオス、何で分かったのかな。魔道キョクメンと、波動は感じたけど、オレ、イクシオンだとは分からなかったよ」
「…うーん、わたしも分からなかったけど…。イクシオンて、確か風と水と氷の聖獣じゃない。あいつ、氷の属性継承者みたいだし、それで分かったんじゃない? あー、あとあいつ、何か魔封書使ってるみたいだから、それで分かったってのもあるんじゃないかな?」
 属性継承者ならば、自分の属性と同じ系統の聖獣や精霊が近くに居れば、なんとなく分かるものだ。
 それに、アルフェリアから聞いた魔封書の存在も匂わせて、彼女はクルスに自分なりの意見を言う。
 少年は、ふさふさの髪を揺らすようにして、目を見開いた。
「え…、魔封書って…! とっても力を吸い取られるって聞くよ!! だ、大丈夫なの!?」
「さって、ねー」
 クルスの心配に対して、曖昧な言葉を返しながら、ティナは横目でカイオスの方をちらりと見遣った。
 目を伏せて、腕を組んだ姿勢で一人船べりにもたれた彼は、いつもと変わりがないように見える。
 あまりまじまじと見ていると、何か言われそうだったので、彼女は視線を相棒に戻すと、軽く肩を竦めてみせた。
「ま、大丈夫なんじゃない?」
「そっかー。力がない人が使ったら、一回で死んじゃうって聞くけど…」
「…」
 少年の懸念にどう答えていいものか分からなくて、ティナはその代わりに話題を変えた。
「そういえば、妾将軍て、かなり無茶してたっていうけど…本当に、非情なだけの人だったのかな」
「? うーん、オレは、良く分からないけど、そんなふうにいう人が多いから、そうなんじゃないかな。けど、どうして、いきなりそんなこと?」
「何となく、ねー」
 夢で見たとは言わず、ティナは船べりに頬をついた。
 今のように、風を裂いて進む船。
 見下ろしていた女性。
 少女のようなはなやぎと、老女のような静けさ。
 そして、語られた言葉。
 そんな情景を脳裏に描きながらも、適当に濁したつもりだったが、クルスは心配そうに顔を覗き込んできた。
「…ティナ、もしかして、夢で見たとか? 妾将軍の宝の海域のこと」
「分かっちゃった?」
「うーん、何となく」
 クルスは、黒い色の瞳を少し曇らせた。
「…――夢は自分じゃどうしようもないけどさ…。それが、少しでもティナ自身に関わることだったら、いいのにねー」
「ははっ。そう簡単にはいかないもんなんじゃない? 『忘れた』自分を夢で見る、なんて」
 軽く目を伏せて、ティナは薄く笑った。
 続きを話そうと唇を湿らせた直後、妾将軍の宝の海域に居座る、不気味な魔法球が、突然発光を始めたかと思うと――ヴンと輪郭がぶれるように一回り膨張した。
「!?」
 一気に緊張が走った。
 甲板に詰めた人間達の目が、一人残らず釘付けになる。
 内部で何かが鼓動を始めるように、脈動し、立ち昇る奇妙な魔力が、邪悪な波動を立ち昇らせながら、強大な力を発現しようとしていた。
 蠢く『何か』が、急激に膨れ上がる。
「!!」
 全員が目を見張った。
 刹那、まばゆいばかりの発光が、周りの海面と、船を呑み込むと、凄まじい勢いで、爆発した。
(…やられる!!)
 とっさに腕を庇いながらも、ティナは直感的に悟る。
 本能的な、悪寒。
 無意識に止まる呼吸。
 そして、はねつけられる衝撃への恐怖。
 だが。

「…――舞い降りし風の一欠けら」

 淡々とした声調が、ふっと彼女の耳を薙ぐ。
 うっすらと目を開けると、吹きつける衝撃波に立ちふさがるように、舳先に立ったローブの影が見えた。
 止めるのつもりなのか、あれを。
(無理よ…)
 反射的に悟って、ティナは思わず彼の方へと一歩踏み出そうとする。
 瞬間、船をまるでおもちゃのように弄ぶ、吹雪のような嵐が到来した。
 そこから感じる属性は、氷や風なのにもかかわらず、その余りに強い魔力の余波は、想像を絶する熱を発散させ、海水を蒸発させ、深い霧を撒き散らしながら、もの凄い勢いで船体に肉薄する。
 吹き付ける熱は、それこそ船など一瞬で灰にしそうなほどの、悪魔的な高温を感じさせた。
 同時に、耳をつんざくような轟音。
 そして、牙を剥いてこちらを葬り去ろうとする、凶暴な肉食獣の雄たけびような、深い慟哭。
 しかし、直前で海賊船を包み込んだ結界が、直撃をうまく逸らして、船体へのダメージを防ぐ。
 副船長の魔法が発動したのだ。
 実際それは、かなり高尚な術だった。
 だが、それをもってしても、船を浮かべる波の激動までは、どうしようもなかった。
 『それ』の力に翻弄された海は、大きな腕で船を囲い込もうかとするかのように、大きく猛りを上げた。
 まるで風に舞う木の葉のように、海賊船は、翻弄される。
「つかまれ、バカ!」
 そう、誰かが叫んだのをティナはぼんやりと聞いた。
 直後、床が跳ね上がって、副船長へと一歩を踏み出しかけていた、無防備な彼女の身体は、たやすく宙に投げ出される。
「あ…」
 床が、なくなった感覚。
 空中に放り出されたティナの身体を、浮遊感が包み込む。
 視界を過ぎていくのは、船の甲板、相棒の茶色い髪、そして、たそがれが藍色に落ち着いた空と、海上に蠢く魔法球。
 毒々しい赤が、激しい波しぶきの向こうに見えた直後、真っ黒い波が覆いかぶさるように、ティナを包み込んでいった。
 激しい衝撃に意識を失う直前、彼女の身体を『誰か』が抱きとめたような感触を――ティナはうっすらと感じていた。


 衝撃が過ぎ去った後の船上には、愕然とした沈黙が立ち込めていた。
「ティナ…」
 相棒がいた場所を、穴が開くほどに見つめて――クルスは、掠れた声で呟く。
 空虚な、何かが抜け落ちてしまったような、垢抜けた『空間』。
 彼は、見てしまった。
 さっきの『あれ』の攻撃で、船が揺れた瞬間――姿勢を崩していた彼女は、船から、放り出されてしまったのだ。
「…ティナ…!!」
 船べりに身をのりだし、暗い波に声を掛ける。
 だが、返事はない。
 心臓の音が早くなる。
 助けに行かなければ。
 一刻も、早く…!!
 だが、その時。
「…少年、残念だが、今は彼女の心配をしている場合ではないようだぞ」
 黒髪の女将軍――サラが、まだ高い波に不安定な甲板を、クルスの方に近づいてきた。
 さっきの衝撃の時にぶつけたのか、しかめた顔で腕を押さえながら、
「彼女だけじゃない。アルフェリアも――カイオスもいない。だが、探しに行くような余裕は、ないようだ」
 彼女は淡々と言いながら、甲板を見渡す。
 憔悴した表情のロイド。
 船べりに身体を預けた副船長。
 そして、泣きそうなほどに顔をゆがめた、クルスを。
「…戦力は半減。だが、敵はどうやら本気でヤる気になったらしい」
「え…」
「見ろ」
 サラは、あえて感情を押さえつけたかのような、抑揚のない声で、すっと海原を指し示す。
「…っ」
 クルスの表情が、ひきつった。
 赤い海に浮かんだ、赤い光球は、まるで触手を伸ばすようにして、こちらへと近づいてきた。
 伸びゆく触手からは、うごめきとともに、次々と魔物が生まれ、海へと落ち、あるものは沈み、あるものはこちらへと近づいてくる。
 ――血を求めて。
「…聖獣が、魔物を生むもんなのか?」
「石版の影響だろ。きりがないけど――相手をしないわけにも、いかない」
 ロイドと副船長――ジェイドの静かな応酬。
 やがて、船内から、状況を悟ったのか、アベルを除く海賊たちも姿を現して、一様に臨戦体勢をとった。
「ロイド、戦いだな」
「ああ。いっちょ、あばれっぞ」
「おおー!!」
 色めき立つ男たちに取り残され、クルスはなおも不安げな表情を隠せなかった。
 魔物が徘徊する海で、ケガをしているかも知れない。意識を失っているかも知れない。
一刻も早く、助けが必要な状態かも知れない、相棒のことを考えて。
「ティナは…およげないんだ」
 立ち尽くしながら、ぽつりと呟く。
 そんな少年に対して、傍らの女将軍はあえて無情に言った。
「探すにも、こうも海面を魔物が巡回していれば、こちらがまず餌食になる。一刻も早く、こいつらを何とかする。そして、一刻も早く探しに行く。それが、私たちにできる精一杯だ。――私も、仲間は救いたいが、…彼ならば、私が行くまで耐えるだろうと信じている」
「…信じる」
「ああ。お前は? 彼女を信じないのか?」
 笑みを含んで、確認するように問われ、クルスは一つ首を振ると、しっかりとサラを見返して応えた。
「信じるよ」
「じゃ、決まりだ」
 サラははすらりと剣を抜き、クルスは魔法の詠唱を始める。
 触手から生まれた魔物は、早くも甲板にたどり着き、触手自体も、その大元の光球を引き寄せるように、うねりながら、船体の船べりに手をかけようとしていた。
「だーっ! オレの船に、手を触れるんじゃねー!!」
 そこにロイドが突っ込んでいき、海賊の仲間や、サラも加わる。
 剣の音が轟いていく中で、
「…天を貫く怒りの雷動よ、この一時我が剣となりて、立ちはだかる愚かな者を打ち倒せ!!」
 ライトニング・ブラスト! と、船の側面から這い上がろうとしていた、魚と人の中間のような魔物を、クルスが一気に打ち倒す。
 怒号と鮮血が交じりながら、藍色に暮れていく海原で、戦いは深まっていった。

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