波のかぶさる衝撃は、まるで鈍器に殴りつけられたかのような激しさで、ティナの全身を打ちつけた。
「!!」
口や鼻から、ごぼりと空気が噴き出し、代わりに入ってくる冷たい海水が、痛みさえ感じさせながら彼女の体内へと入り込んでくる。
(息が…っ)
必死に手足をばたつかせるが、指は空しく宙を掻いて行くだけ。
やがて、その力も尽き、荒れ狂う波になす統べなく弄ばれる身体を、ふわりと『誰か』が抱きとめた。
(…?)
誰と、口を動かしたつもりだったが、かじかんだ唇は荒い呼吸を吐き出すだけ。
ただ、肌に感じる人間の温かさが、彼女を無意識に安心させていた。
かすんだ視界に映るのは、暗い水面と、そこに居る人の陰影だけ。
「…」
いつの間にか、口や鼻から入る水は、なぜかなくなっている。
(たすかった…?)
ほっと息をついて、ティナは意識を手放した。
■
「深淵の果てから 漆黒の雷光の祝福をその手に宿す 獅子公レイオーソ。願わくば わが前に立ちふさがる者たちに 汝が裁きの鉄槌を!! レイオーソ・ブラッドサンダー」
クルスの放った魔法は、すっかり闇に染まった甲板を赤い閃光をひいて縦断した。
術者の手を離れた赤い雷光は、触れたものを弾き飛ばして激しく放電する。
「大したものだな、少年!」
勢い良く目の前の魔物をふっ飛ばしながら、黒髪の女将軍が賞賛する。
その彼女は、すらりと抜いた二刀の剣を、流星の軌跡を描くように見事に操りながら、次々と魔物を斬り捨てていった。
「お前が一番、魔物を葬ってるんじゃないか?」
ゼルリアの女将軍じきじきの、心からの賛辞だった。
クルスは、彼女に対してにこっと笑ってみせる。
実際、少年の戦力は大したものだった。
剣だと一対一で地道に数を減らしていくしかないが、クルスの魔法はうまく当たれば、十数匹を一気に叩くことができる。
「だけど、一番は、ロイドだよ」
クルスは、言った。
サラは無言で唇を上げる。
あれは『別物』だ、といわんばかりに。
海賊の船長の戦いぶりは、目をみはるほどに凄まじかった。
温和な表情は崩さないまま、手にした大刀――それは、クルスの身長よりも高い――を片手で自在に操りながら、びゅんびゅんと振り回し、次々と魔物を葬っている。
いつもの、人懐こい笑みを顔面に浮かべながら、魚を狩るように魔物を狩る様子は、ならず者たちの間で『戦鬼』と称えられる彼の片鱗を、ほんの少し覗かせていた。
「ううっ…。それにしてもオレ、魔力がそろそろ尽きそうだよ…。それに、魔物以外に当てないようにセイギョするのは、とっても大変で、腹が減るんだっ」
「がんばって、クルス君。後でおいしいご飯、つくってあげるからさ」
髪を寝かせて、力なくしょげ返ったクルスに、海賊船の女料理人――ジェーンが笑いながら語りかける。
彼女の剣も、魔物の黒い血に根元まで染まりぬいていた。
甲板は、既に数十の魔物の死体で埋め尽くされ、流れ出した黒い体液が、筋を描いて床に不気味なしみを作っている。
魔物の甚大な死に対して、人間の死傷はゼロ。
かなりの善戦だったが、これがいつまでも続くとは限らない。
「それにしても、こんなに汚れちゃ、また掃除のやり直しねえ」
「また?」
「アレントゥムで一回半壊したからね。それで、ついでにいろいろ整理したのよ」
ため息をついたジェーンは、クルスに向けて言う。
その間にも、後から後から、船に降り立つ魔物は、後を絶たない。
「おい、二人とも、喋ってないで、まじめに戦えよ」
「戦ってるわよ、ジン。あんたこそ、サボるとご飯抜きだからね」
「抜きの前に、生きてなきゃ、ありつけるモンにもありつけなくなるけどな」
「違いねえ!」
海賊たちは、こんな状況の中でも談笑しながら、どこか楽しそうに、次々と戦局を切り開いていく。
そこからは、互いに対する全幅の信頼が、ありありと感じられた。
まったく、暢気なヤツラだ、と呟くサラの横で、クルスは少し寂しそうに唇を尖らせた。
「…ティナ〜」
彼の相棒は、ここにはいない。
だけど、だからこそ。
一刻も早く、魔物たちを追い返して、彼女を助けなければ。
「よし、オレ、がんばるぞ!!」
気合を入れたクルスは、次の魔法を唱えるため、全員の位置を把握する。
そこで、ふと違和感に気が付いた。
船上に出ている人間が―― 一人、足りない。
「えっと…副船長?」
少年は呟く。
ローブの青年の姿が、そこになかった。
きょろきょろと見渡す、少年の黒い瞳の死角で、船内に続く扉が、戦闘で壊され、ぽっかりと黒い口をあけていた。
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