「――っ」
はっと目を開けた瞬間、ひどい寒気に襲われて、ティナは無意識に身体を竦ませた。
ぼんやりとした天井――岩肌が不自然に垂れ下がる、洞窟のようだ――それが、はっきりしてくるころには何とか上体を起こして、ティナは辺りを見渡した。
「よお」
急ごしらえの焚き火が、ぱちぱちと音を立てている。
それを囲むように座った一人が、気安く手を上げていた。
「…アルフェリア」
潮水を大量に飲んだせいか、胃の辺りが重く、喉はひりひりと痛んだ。
服や髪が肌にまとわりついて、わずらわしい。
おまけに、洞窟の中に、得体の知れない魔力が色濃く充満していて、魔道士としては、息が詰まりそうな状況だった。
居心地の悪い――しかし、過去のどこかで実際に肌に感じたことのある魔力に似た、邪悪な波動…。
頬に張り付いた髪の毛を払いながら、相手の方に視線を向けると、彼は傍らを見て頬を掻く。
「カイオスが助けてくれたんだよ」
「…」
アルフェリアの視線を辿ると、少し離れた岩肌に背を預けて、カイオス・レリュードが立っていた。
服は湿っているようだが、目だった傷はない。
伏せられた目は、ティナと見合わせることを拒否しているようにも、見えた。
「覚えてるか? 『護るもの』――聖獣イクシオンだったっけか? の攻撃で、船が大揺れに揺れて――」
「うん、投げ出されたのよね。でも、じゃあ、一体ここは…」
気遣うように言葉をかけるアルフェリアに、視線を戻して話を合わせながら、ティナは少し違う方向に考えを逸らしていた。
カイオスが、助けてくれた…?
と、いうことは、波に揉まれていた時に、抱きとめてくれたあの温もりは――
(…ま、まさか…)
あの時のぬくもりに安心して意識を手放したのは、何となく覚えていたので、ティナはかなり真剣に思い悩む。
よりによって、『あれ』が『彼』だったとは。
(ど、どうしよ…)
無意識に頬が染まる。
それを見止められたのか、アルフェリアは怪訝そうにこちらを覗きこんだ。
「おい、ティナ。大丈夫か?」
「…っ。えと、うん。ごめん。――で、ここがどこかってことだったわよね」
胸に過ぎった動揺を悟られたくなくて、彼女は無理に明るい声を出す。
話に逃げるような格好になってしまったが、少し眉をひそめたアルフェリアは、ま、いいかと呟いて、先を続けた。
「ここは、妾将軍の宝の海域の、海底部――要するに、海の底らしい」
「――え」
ティナは、首をめぐらせる。
水がしたたる高い天井の岩石は、長年の自然の浸食の所為か、不規則にゆがみ、幾本もつらら状に垂れ下がっている。
そのところどころに磯や海草が引っかかっている。
ひょっとしたら、潮の満ち干で水が浸食してくる場所なのかも知れなかった。
潮の匂いと、海特有のまとわりつくような湿気を感じるが、――ここが、海の底だとは。
「…息、ちゃんとできるんだけど」
「…。まあな。確かに…。ってか、実はオレもヤツに連れてこられて、そう聞かされただけだし」
「へえ…」
アルフェリアとしても、言いようがないらしい。
自然に二対の視線が、今一人に注目する結果となって、岩壁にもたれたカイオスは、ため息混じりに吐き出した。
「…お前ら連れて、船に戻ろうとしたら、海底に不気味な魔力を感じた」
「…それが、『ここ』だってのか」
「ああ」
不気味な魔力。
カイオスが選んだ言葉が引っかかって、ティナは言葉を重ねた。
「ねえ…ちょっと待って。『不気味な魔力』って…それって、どういうこと? 海上の、イクシオンとは、違うもの?」
「…そういうことになるな」
最低限の言葉は、決して自分の見解を語ろうとしない。
そのことに少しもどかしさを感じながら、ティナはなおも言い募る。
「じゃあ、――例えば、海の上のイクシオンが、妾将軍の『護るもの』に当たる精霊だとして。ここ…――つまり、あの力が発現した、真下の海底にある『不気味』な魔力は…」
「『妾将軍の秘宝』に当たるものが、発している魔力、か」
ティナの言葉の先を、アルフェリアが引き継いだ。
だが、彼女は素直に頷けなかった。
何かが引っかかる。
釈然としないものを感じて、彼女は目線を上げた。
「…」
語りかけるように金髪の男を見つめる。
冷めた目は、あえて視線を外しているようにも見えた。
――洞窟に充満する、得体の知れない魔力。
魔道士としての、第六感が警告する。
『コレ』は、『妾将軍の秘宝』とか、『イクシオン』とか、そんな生易しいものじゃない。
彼女だからこそ悟った奇妙な既視感。
邪悪な――奇妙な吸引力に満ちた、黒い波動。
これは…――
「違う…多分これ、『石版』の魔力」
呟くように、ぽつりと落とした言葉に対して、弾かれたように反応が上がった。
微かに眼を細めたアルフェリア。
視線を動かしたカイオス。
その彼の青い眼が、始めてティナを見止めた。
すっと貫かれるような二つの視線を真っ向から見返して、ティナは呟きを確信に変える。
「そう…きっと、そう。わたし、感じたことあったわ。石版を探すとき…近づいたら、この波動に良く会った」
「おいおい…。ティナ、お前、一体…」
「わたし、石版見つけたことがあるのよ。そのとき、感じた波動によく似てる…」
海上の『イクシオン』からは、感じなかった。
間違いない。
『ここ』に石版がある。
「…けど、じゃあ海の上の『イクシオン』は一体…。だって、明らかにアレ、自分の意思があったじゃない? だとしたら、『妾将軍の宝』の方じゃなくて、『イクシオン』が暴走していたんでしょ? なのに、石版の波動はアレから感じなかった…。よく分からないんだけど…」
呟くように声を落とせば、その答えは金髪の青年から発せられた。
「おそらく、暴走した精霊の一部が、海上に姿をとっているんだろ」
「…つまり、海の上の物体は、そのイクシオンの分身みてーなもんで、『ここ』にさっきの本体が居る。しかもこっちの本体は石版をくわえ込んで暴走してるってことか」
アルフェリアが、ぱちんと指を鳴らした。
ティナは微かに頷いて、同意する。
「てことね。じゃあ、この洞窟を魔力の濃い方に進んでいけば」
「イクシオンと、石版のもとにたどり着く!」
そのときだった。
風が咆哮し、地軸が小刻みに揺れ動いた。
「!?」
はっと反応した三人の頭上から、崩れ落ちた小石が、ぱらぱらと落ちてきた。
獣が喉の奥で、凶暴な唸りを発した時のような。
不気味な脈動が、腹の底にまでこだましてきて、ティナは思わず自身を抱きしめた。
「な…何?」
「『護るもの』の吼え声…か?」
「どうやら、石版と融合して、自我が消えかけているようだな」
内に秘めた何かを、発現するような唸り声は、しばらくするとあっさりと消えた。
ティナは他の二人をみやって、言う。
「急がなきゃね」
洞窟の平坦な内部は、ずっと奥へとつながっている。
魔法で出した明かりを頼りに、しばらく歩を進めて。
「…こっから、少し狭くなってるな。気をつけろよ。…!?」
「? どうしたの? アルフェリア」
先頭を歩いていた黒髪のゼルリア将軍がはっと立ち止まり、後続のティナは彼の身体ごしにひょいっと前を覗き込んだ。
「…」
そのティナ自身も、目を見開いたまま、一瞬呼吸を忘れた。
「な…」
魔法光ではない――蒼い光が、やんわりと彼女の滑らかな肌を映し出す。
海の藍色と、波のカーテンが織り成す、穏やかな静寂。
海底に眠る都市が、ティナの紫欄の眼にひそやかに映っていた。
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