――妾将軍の宝の海域 海底都市
石版と融合した、聖獣イクシオン。
自我を失い暴走する『彼』を止めるためには、聖獣自身を倒すしかない――。
それを確認しあった瞬間、イクシオンが、ものすごい速さでティナたちに突っ込んできた。
「!!」
三人は、タイミングを合わせて、背後に跳ぶ。
素早く体勢を立て直し、聖獣に対峙しようと顔を上げ――
「何!?」
ティナは舌打ちして呻いた。
迫るイクシオンが、勢いを殺さないまま三つに分裂し、ティナ、カイオス、アルフェリアのそれぞれに肉薄してきたのだ。
姿勢を保てないまま、ティナは素早く魔力を練り上げた。
ほとんど後ろに倒れこみながら、呪を解き放つ。
「ちっ…我が手に集え、『火』の魔力よ!!」
『火』を司る『属性継承者』の特権。
呪文を省略した魔法で、火の壁を出現させる。
そこに突っ込んだイクシオンが、火にまかれるのを見届けることもできず、ティナは背中から地面に倒れこむと一転して起き上がった。
瞬間、火の壁を突き破って再び現れたイクシオンの分身と、再び肉薄する。
「命の灯よりもなお赫く 逸る血よりもなお熱く 烈火の怒り 渦巻け高く!!」
聖獣とはいえ――属性継承者の魔法にまともに焼かれたにも関わらず、イクシオンの目に、痛みや苦痛はない。
本当に、自我をなくしてしまっているのだ。
(…)
――『――』。なぜ、私がお前にこの名を与えたか、分かる?
腕を振り上げたイクシオンの攻撃を、ティナの剣が阻む。
見合わせた顔が、白く無表情に殺気を放っている。
強大な精霊だとしても、その『力』の源泉を操る確固たる意思がなければ、しょせんは持ち腐れ。
攻撃力は高いが、防御力は低い。
パターンも、速度が凄まじいぶん、単調にならざるを得ない。
隙をついてじわじわと追い詰めて行けば、倒せてしまう――簡単に。
「ファイヤー・ストーム!」
ごう――と猛る紅の風が、聖獣を巻き込んで天を衝いた。
間髪入れず、ティナは追撃する。
「烈火の意思よ、我が手に集え…!! フレイム・ディストラクション!!」
火の高位魔法が、聖獣を巻き込んで爆裂する。
後方に激しく吹っ飛んだイクシオンを見ながら、ティナもまた片膝をつく。
「っ…」
大魔法を呪文も唱えずに、早いペースで連発したせいで、消耗が激しい。
だが、まだだ。
まだ、終わっていない。
(とどめを…ささないと)
――『――』。私が愛した男の名をあげたお前だから。私の『心』をずっと見守っていて欲しいの。『護るもの』。深い海の奥底で、私が捨てた、私の心を。
とどめを、ささなければ。
早く、石版を切り離さなければ――
――さよなら。
「…っ」
『夢』の言葉が、耳の奥にこだまする。
ティナは拳を握り締めた。
あれは、『夢』だから。
あの女性の思いも。
『彼』の思いも。
全部が、『夢』だから。
(今、必要なのは)
石版を、手に入れること。
「…」
呼吸を整えて、ティナは倒れたイクシオンに手をかざす。
さすがに渾身の魔法は効いたようで、すぐには起き上がるけはいがない。
「命の灯よりもなお赫く 逸る血よりもなお熱く…」
流れる汗が、うっとおしい。
片手で額を拭った彼女の紫欄の目に、ふと、あるものが飛び込んできた。
「…あれ」
「はーっ、芸達者だねえ」
三つに分かれたイクシオンの一体を、剣で迎え打ちながら、アルフェリアは余裕で唇をゆがめる。
体勢を崩すことなく、流れるような剣閃で斬り結んでいく。
「まあ、遠距離ならともかく」
こんな至近距離で、魔法はないだろう。
そんなことをすれば、アルフェリアだけでなく、イクシオン自身が大きなダメージを食らってしまう。
逆に、距離をとろうとする聖獣に、執拗に追いすがり、間合いを外させない。
薄い笑みを張り付かせたまま、アルフェリアは、確実に聖獣を追い詰めつつあった。
痛みを感じないのか、聖獣は表情を崩さないが、動きは確実に鈍くなっている。
「悪いな」
相手が悪かったな、と口の中で呟いて、彼は致命傷を負わせるために剣を振り上げる。
だが。
「…ウソだろ」
目を見開いて、アルフェリアは呻いた。
イクシオンの、左拳が、淡く光っている。
まさか、魔法か。
思う間もなく、爆発的に膨れ上がった、魔力の衝撃が、イクシオンごと――アルフェリアを飲み込んだ。
「…」
魔法の余波が漂う中、イクシオンはむくりと起き上がる。
無感情に辺りを見回し、さきほどまで黒髪の人間が『存在した』場所に『何も』残っていないことを確かめる。
数滴の血が落ちたそこは、ウソのように何もなかった。
やがて、首を巡らせたイクシオンの背後で、
「残念だったな」
声がした。
少年の姿をした守護獣が、振り向くとほとんど同時だった。
剣閃がひらめいて、『彼』を地面に叩きつけた。
「…ったく、本気かよ」
肩を竦めて、アルフェリアは剣を下ろした。
捨て身の不意打ちには驚いたが、避けられないタイミングではなかった。
ゼルリアの四竜の名は、別に飾りではない。
「てめえも、随分とダメージくらってるじゃねーかよ」
呆れたように呟くアルフェリアの足元で、倒れていたイクシオンが、
「…!!」
突然、目を見開いた。
優美に空を渡る剣閃は鋭く、イクシオンの分身に吸い込まれていく。
「…!!」
聖獣の激しい攻撃を落ち着いて裁きながら、金髪の青年は、口の中で呪文を唱え、『その時』を待っていた。
わざと距離を開け、誘うようにまた肉薄する。
自在に間合いを操りながら、余裕の攻防は聖獣をまったく寄せ付けなかった。
意思のないなりに、次第に苛立ちを覚えてきたのか、イクシオンの攻撃パターンが煩雑になっていく。
「…そろそろか」
ふと呟いて、彼は大きく距離をとった。
その隙を逃すことなく、イクシオンは手を振り上げる。
両手に満ち溢れた魔力の、強烈な具現化が、カイオス・レリュードに向かって、吹き付けてきた。
魔法が放たれる前に、彼は唱えた。
鋭く、しかし確実に。
「浄の集(すだ)く白き壁 全ての眠る蒼き苑(その) 惑う標榜 戒め放て」
清涼な声が、空を鳴らす。
「ミラー・リフレクト」
瞬間、魔力をまさに解き放とうとしていたイクシオンの四方を、薄い氷の壁が取り囲む。
「!!!」
術者の手を離れかけていた魔法は、その壁に突き当たって跳ね返り、そのまま術者自身に――イクシオン自身に跳ね返った。
「ぎゃああああ!!!!」
自らの魔法に身を焦がされて、イクシオンの絶叫がこだまする。
だが、それも次第に弱々しく消え果ようとした頃――弾かれたように、『彼』はかっと目を見開いた。
「…あれ」
ティナは、ふと目線を止める。
海底都市の床に、――戦闘のあおりだろうか――吹き飛ばされたように、手鏡が落ちていた。
きれいな装飾の施された、しかし随分と年季の入った手鏡だった。
それは、どこか場違いだったが、どこかしっくりと、その場に収まっていた。
「なに、あれ」
戦闘中のよそ見なんて、命取りもいいところだったが、ティナはそれから目が放せなかった。
吸い寄せられるように、身体を近づけていく。
鏡のはめられた背の部分に、何か文字が刻まれている。
埃が間に随分と積もり、しかもティナの知るミルガウス語とは微妙に形の違う文字――
(あれは…『K』かな)
あてずっぽうで、文字を拾っていく。
(『K』…カ…レ……ン?)
カ・レ・ン・ク・リ・ス・ト・――
(え…)
どくん、と心臓が波打って、ティナは思わず手を伸ばしていた。
指が、鏡の淵に触れる。
その瞬間、ものすごい魔力の波動が、海底都市を揺るがした。
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