Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第七章 妾将軍の秘宝 
* * *
 ティナの魔法がイクシオンを包み込んだ瞬間、それまで意思を失っていた瞳に、微かに力が蘇ったのが、三人の目に、はっきりと見とれた。
「な、自我を取り戻したのか!?」
「…」
 見守る人間たちの真ん中で、イクシオンは、顔をふっとアルフェリアの手元に向ける。
 妾将軍の秘宝。
 確かに、それを瞳に映し込んだ瞬間、聖獣は凄まじい咆哮を発した。

――あぁあああああああ!!!

「!?」
「っ…」
「な、何なの」
 他の二人も息をひそめる中で、ティナは口元に手をやる。
 天を仰いで喉をからさんばかりに絶叫するイクシオンは、何かを生み出そうとしているようにも、追い出そうとしているようにも見えた。
 まだ、油断はできない。
 口の中で防御の呪文を唱えたティナだったが、やがてイクシオンの身体の表面にわきあがる魔力が、実体をなしていくのを見て、息を止めた。
 現れ来る、石の欠片。
 間違いない、あれは。
「闇の石版!!」
「何だって!?」
 彼女の言葉に反応して、アルフェリアが言葉を返す。
 しっかりと頷いて、ティナは続けた。
「何…石版を――体から、追い出そうとしてる…?」
 正気に、返ったということか。
 石がはっきりと形を伴ってくるに連れ、イクシオンの声も次第に弱まってくる。
 やがて、からん、と石が地面に落ちる音と共に、『彼』も地面に倒れこんだ。
 同時に、海底を揺るがしていた魔力も、うそのように空に解けて行った。
「…」
 ティナは、それでも、用心深く様子を見続けた。
 すぐには、近づけない。
 足を竦ませたティナを横に、カイオスとアルフェリアはあっさりと聖獣に近寄っていく。
「…どうやら、当たりのようだったな」
 闇の石版を拾いながら、無表情に紡ぐカイオスに、
「………。で、こっちの聖獣は、どうなんだ?」
 アルフェリアは、気まずそうに尋ねる。
 地面に横たわったイクシオンは、ぴくりとも反応しない。
「…魔力を注いだら、生き返るかもな」
「そうかい」
 膝をついたカイオスが、聖獣に手をかざす頃に、やっとティナも二人の傍に近づいていった。
 二人とも、あんな危険な魔力を発散していたものに、良く平気で近寄っていくものだ。
「何とか、なったみたいね」
「ああ。あんたの魔法が、うまくイクシオンを正気に戻したみたいだな」
「たまたまよ」
 アルフェリアの手の中の鏡を見ながら、ティナは薄く笑う。
 ティナの魔法が放たれる前に、イクシオンは無意識にでも、ある程度の意思を回復していた。
 それほどまでに、護りたいと思った宝。
 聖獣の思いが、結局聖獣自身を救ったことになるのだろうか。
「っ………」
 ――と。
 足元で反応があって、二人は視線をそちらに向ける。
 薄氷を思わせる髪の色に、透き通る肌、そして羽に覆われた耳。
 清流のような瞳には、しっかりと意思を宿し、目を天井に向けたイクシオンは、二三度瞬くと、ゆっくりと身体を起こした。
「私は…生きているのか」
 先ほどまでとは、うって変わって、静かで理知的な響きをもった中世的な声音は、聞くものを安心させる響きに満ちている。
 少年のような外見をした守護獣は、しばらく沈黙していたが、やがて視線をこちらに向けた。
「あなたたちは…」
「闇の石版を探して、ここに来たの。どうやらあなたと融合してたみたいだけど…解けてよかったわ」
 ゼルリアの巡視船のことやらは、敢えて省いて、ティナは手短に核心だけを話す。
 それでも守護獣はどこか自覚しているところがあるようで、そう、とだけ返すと、微かに笑った。
「随分と迷惑をかけたようだね。すまないことをした」
「いえ…」
 目の前にあるのが、先ほどまで戦っていた相手とは思えない。
 そんな思いを抱きながら、ティナはあいまいに言葉を濁す。
「これ、返すよ。あんたのモノなんだろ」
 アルフェリアも、勝手が違う様子で、普段よりは殊勝な態度で手の中の鏡を差し出した。
 イクシオンは、ふわりと笑う。
 恥ずかしそうな、嬉しそうな微笑だった。
「ありがとう」
「…そんなに大事なものだったのか?」
「――遠い昔、私の主が思い人からいただいたものだ。彼女はこれを私に託した」
「じゃあ、やっぱりこれが――」
「妾将軍の秘宝」
 アルフェリアと、ティナの言葉を受けて、聖獣は意外そうに目を開いた。
 無邪気な疑問が、幼ささえ残る顔に浮かんでいる。
「…主を知っているのか? 彼女は、生きているのか?」
「いや、妾将軍は百年前の人だ。俺は彼女が建てた国で将軍をやってるが、今でもしっかり栄えてるぜ」
「――そうか」
「妾将軍は、どんな人だったんだ?」
 微かに興味をそそられたように、アルフェリアは言葉を重ねる。
 名前も肖像も伝わらない建国者に対して、彼女を良く知る聖獣に話を聞きたいのだろう。
 イクシオンは、淡く笑うと、そんな思いを悟ったように小さく呟いた。
「彼女は、誰より弱く、誰より優しく、誰より孤独な女性だった」
「…」
「よかったら、これをもっていって。私には、多分もう必要のないものだから」
 風が囁くように、聖獣は言うと、一旦は手の中に取り戻した鏡を差し出す。
 あれだけ固執していたものを、あっさりと手放す様子なのに驚いて、ティナは思わず口を挟んだ。
「いいの?」
「――」
 意味深に、聖獣は笑った。
「あなたは、夢の中であったね」
「――え」
 どきりとして見返すと、清流を思わせるきれいな瞳が、無邪気にティナを映しこんでいる。
「いいんだ。彼女とは、いつでも会える。思い出の中で。私は彼女が好きだけれど、いつまでもそれに捕らわれているわけにもいかないし。今回のようなことが二度とないように、これからはしっかりと目を開けていなければ」
「………」
「できれば、これを彼女のもとに持って行ってくれると嬉しいな。もう、捨てた心を取り戻してもいいだろう。主も」
 ティナは、答えることができない。
 ただ、『さよなら』と言って、宝とイクシオンを手放した女性の涙が、ちらりと脳裏に浮かんだ。
 『私の心と思い』を、ここに捨てていく、と――。
 どこかしんみりと手鏡を受け取った、そんな様子のティナを、イクシオンは微かに笑って見取ると、
「せめてものお礼に、地上まで送っていくよ。付いてきて」
 聖獣は、ふわりとした動作で立ち上がった。
 指し示されるままに、ティナたちは、海底都市を歩き始める。

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