Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第二章 アレントゥムの語り手 
* * *
――アレントゥム自由市 宿屋



「わたくしが彼女に会ったのは、辺鄙な町の小さな食堂の前でしたわ。わたくし、その時因縁をつけられていて…むさっくるしい男に、追っかけられている最中だったんですねよ」
「…へえ」
「本当に、しつこい方々でしたわ…」
「ところでさ」
 病人の手前、声を落として語る蒼い髪の美女――ジュレスの話に、相づちを打っていた青銀髪の少女、ウェイは、何の気なしに言葉をさしはさむ。
「何の因縁をつけられていたわけ?」
「この容姿だと、いろいろと大変ですの」
 あっさりと言い切った彼女は、ただ――と付け加える。
「その時限りにおきましては、相手の方々のお宝に手を出してしまったためなんですけれども」
「相手の方々って、盗賊?」
「人売りでしたわ」
 そんな相手の獲物を盗もうとするとは、見かけによらず大胆だ。
「あ、そ」
 呆れた様子で肩を竦めたウェイは、それで、と続きを促した。
「それで、その紫の目の女とは、どうなったのよ」
「…」
 そうですわね、とジュレスは桃色の唇に指を触れる。
 誘うようにくすりと笑んで、彼女はいたずらっぽく続きを語り始めた。


――二年前 小さな町



「まったく…しつこい方々」
 自分の前に立ちはだかった有象無象を、碧の瞳で艶やかに見回して、ジュレスはくすりと微笑む。
 わざと隙を見せた立ち位置で、相手の余裕を誘う。
「もう、逃げ場はねえ…!! 賊のモンに手を出した報い、しっかり身体に教えこんでやろうじゃねーの!!」
「あら」
 好色丸出しの目が、いやらしくジュレスに注がれている。
 彼女は、心底いやなため息を吐き出した。
 まったく、だからこのテの男って、嫌いですわ。
「最後に聞きますわ。見逃してくださいませんこと?」
 わたしくがあなた方を土に返す前に。
 親切心からのジュレスの最後の警告は、相手方にはもちろん受け入れられることはなかった。
「このアマ、なめ腐りやがって…!! やっちまえ!!!」
「おおう!!」
 激した相手方が、一斉に襲い掛かってくる。
 ――バカな男。
 淡い桃色をした唇の輪郭が、微笑みながらそう形作った。
 瞬間、彼女の身体に叩き込まれた男の無骨な拳を、優雅な仕種で交わし、口説かれた男にしてやるように、いたずらっぽくウインクする。
「残念でしたわね!」
「こ、この…!!」
 逆上する男たち。
 一斉に攫みかかってくるのを見計らって、彼女は呪を唱え始めた。
「遍(あまね)くしじまに佇みて 育む汝の 腕(かいな)より…」
 ふわり、と魔力が発現していく。
 野郎どもに動揺が奔る。
 この時始めて、美女の口元が不敵に笑んだ。
(あの世で後悔なさいな)
 ――だが。
「え?」
 はっと、あるものに気付いて、ジュレスの呼吸が止まる。
 わらわらと立ちふさがる男たちの向こう。
 彼女の魔法の射程内。
 地面に座り込んで震えている、一人の少女がいた。
(あの娘…)
 確か、表に出たときに、突っ立っていた。
 紫の瞳が珍しくて、思わずじっと見たから間違いない。
 他の野次馬はさっさと退散しているのに、その場を離れ損なってしまったらしい。
 こういった類の喧騒を見慣れていないのか、腰が抜けてしまっているようだ。
(どこの世間知らずの人なんですの!?)
 目立たないように舌打ちしたのは一瞬、ジュレスは一旦組み立てた魔法を解いて、だっと男たちの横をすり抜けた。
「立って! 逃げますわよ!!」
「え…え………?」
 とまどうように腕をとられた娘が、ぱちぱちと瞬く。
 まさか、魔法の標的にはできないし、かといってこのまま自分だけ逃げたとすれば、残された彼女はほぼ確実に、男たちの『腹いせ』に巻き込まれてしまうだろう。
 少女がとまどっている間に、不意を突かれた男たちが、彼女たちに迫ってきているのが、感じられた。
 一刻の猶予はない。
「立って!!」
 一喝すると、泣き出しそうな瞳をびくりとこわばらせた後、少女はよろよろと立ち上がる。
 その背後には、すでに野郎の荒い呼気が迫っていた。
「まったく…!!」
 呆然とした彼女の手をとって、ジュレスは走り出す。
 女をつかもうとした男の手が、かろうじて空をつかみ、彼女たちは人に紛れるように、姿をくらませていった。


――二年前 アレントゥム自由市 宿屋



「というわけで、その彼女としばらく一緒に居る羽目になってしまったの」
 ジュレスは肩をすくめて、さらりと語る。
「へえ、それで?」
「それで、ですわね…」
 さて、どう語ろうかしら、と言葉を選んだジュレスの耳に、遠く悲鳴がこだまする。
「え」
「今の」
 彼女だけではない。
 ウェイにも聞こえたらしい。
 顔を見合わせて、表に飛び出した彼女たちの目に、巨大な陰影が映った。
「え…これは」
「野生の…ゴブリン…ですわよね」
 呆然と呟く二人は、暫く立ち尽くす。
 確かに、それはゴブリンだった。
 野生のものだろうか。
 ただし、二人の前に立っているそのゴブリンは、通常の十倍くらいの軽い小山ほどの大きさがあり、ただでさえ崩壊したアレントゥムの崩れた家屋に、とどめの一撃を加えながら、のしのしと歩いていた。
 踏まれた家屋は、あわれ、ぺしゃんこに潰れて跡形もない。
 足が大地を踏みしめるたびに、どしんと地軸が揺れる。
あれに殺されたら、死んでも死に切れないわね、と二人はくしくも同じことを考えていた。
「…夢に出そう」
 ウェイの呟きは、大層もっともな響きをもって、ジュレスに届く。
「ただ――これを野放しにしておくわけにも参りませんでしょ?」
「何で、こんなのがいきなり出てきちゃうかなあ…」
「石版が絡んでいるかも、知れませんわよ」
「………」
 はあ、と重いため息を吐き出して、二人の娘たちはゴブリンに向かって、駆け出していった。

* * *
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