Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
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  第四章 三つ目の欠片 
* * *
――現在 アレントゥム自由市



 地を砕かんばかりに闊歩するゴブリンの勢いは激しく、その前進を誰もが止められないでいた。
 それは、ゴブリンが天下を取ったようですらあった。
 その巨大さ、その圧倒的な巨大さに、人々はまず空を見上げて唖然とし、ただひたすら願うしかない。

――どうか、アレに踏まれて死にませんように。

 アレントゥム崩壊という、人生の岐路を生き延びた人々にとって、ゴブリンに踏まれて死ぬという結末は、あまりにもつらすぎた。

「まあ、どんなにデカイっていったって、所詮はゴブリンでしょ?」
「あら、ウェイさん、何か、策がありますの?」
「とりあえず、一旦転がしてしまえば、自分の力じゃ起き上がること、できないと思わない?」
「それはそうですけれど…」
 こんな町の中で、小山ほどの大きさもある巨大なゴブリンを転がすと、ただでさえ廃墟のアレントゥムに、とどめの一撃を加えそうではある。
 ゴブリンから逃げる町の人々が、心配そうに彼女たちに声をかけていく。
 それらに笑顔で答えながら、ウェイは肩を竦めてみせた。
「まあ…じゃあ、別の方法で行きましょうか。ちょっと、アレの足を止めててもらえる?」
「ええ」
「制御難しいのよね」
 ぶつぶつと呟きながら、ウェイは、さらりと身体を構えると、呪の詠唱に入る。
 ジュレスもふっと息をついて、足止めの呪文を唱え始めた。
 魔力が彼女を取り囲み、まるで淡いヴェールのように、繊細に編みあがっていく。
「遍(あまね)くしじまに佇みて 育む汝の 腕(かいな)より」
 ふわりと蒼い髪が浮き上がる。
 しなやかな指をまっすぐに対象に突きつけて、ジュレスは優雅に紋様を描いた。
 それと同時に、彼女の髪の――そして、目の色にも変化が訪れる。
 一瞬風をわたる髪の毛は銀に、日を反射する瞳は、藍色に。
 忌み嫌われる種族の証。
 混血児の色へと。
「生きる全ての者の母 かの者を射止め かの者を繋げ」
 シャドウ・レスト、と術者が唱えるのに従い、彼女の意のままにゴブリンの足元の土が盛り上がり、まとわりつくと、あっさりとその動きを止めた。
「どうぞ、後はお任せしましたわ」
 さらりと言ってみせたジュレスに、ウェイは何か言いたそうにする。
 彼女の髪や目は元の色に戻っていたが。
 だが、彼女の驚きは、ウェイの色の変化に向けられたものではなかった。
 そうではなく、彼女の魔法に対して。
 一度に、そんなにも大量の土を操り、あんなに巨大なものの足を止めるとは。
「まさか、あなた」
「あら。早くしないと、さすがにあれが動き出してしまいますわよ」
 意味深に微笑んだジュレスが、ウェイの二の次を封じる。
 実際突然の足止めに動揺したゴブリンは、身体を必死にねじって、足の土を振り払おうとしていた。
 傍から見ると、危ない踊りを踊っているようにも見える。
 だが、足の土は確実にぱらぱらとはがれ始めていた。
 ふ、と笑みを返したウェイは、同じく構えると、魔力を一気に展開していく。
「じゃあ、あたしも遠慮はいらないわね。空高き天の楽園に 舞い降りし風の一欠けら」
 不敵に微笑んだ彼女の周囲に、風が収束していく。
 尋常な強さではない。
 近くにいたジュレスは、思わず腕で顔を庇う。
 髪がばらばらと舞い散って、それごと上空に連れて行かれそうだった。
(まさか、この方も)
「さまよい惑う旅人よ わが手に宿り わが手に集い」
 ジュレスの胸中を悟ったように、ウェイはちらりと彼女を振り向くと、くすりと笑った。
 そのまま、一気に魔力を練り上げていく。
「わが手に来たりて 槍となれ 全てを貫き 吹きすさべ!!」
 ごう、と風が――大気がうなる。
 収束していく。
 猛る風が、完全に術者の華奢な手に収まったとき、荒れ狂う風の轟音が、恐ろしいほどぴたりとやんだ。
 す、としなやかな指が、ゴブリンを刺し貫く。
 その瞬間、ジュレスと同じようにウェイも、髪と瞳が変化した。
 一瞬色がそこを吹き抜けていくように――銀の波そして、藍の宝石のように。
 混血児の証。
 彼らに向けられる迫害から逃れるため、混血児は、己の魔力で髪と瞳の色を操作する。
 しかし、大きな魔法を使うときは、一瞬その制御が解かれてしまう――。
「ウィンディ・ランス」
 解き放たれた呪は、凄まじい勢いで彼女の手を放たれ、ぱっと空を裂いたと思うと、瞬きの次の瞬間にはゴブリンへと吸い込まれていった。
「!?」
 驚愕するゴブリン。
 その身体に触れた刹那、ごう、と風が吼えた。
 一気に暴発した風がジュレスの作り出した魔物の足の楔ごと、ゴブリンを宙に引きちぎって一気に持ち上げていく。
「ぎゃ…!!」
 持ち上げられていく体。
 まともに技を喰らったせいか、ごぼりと咳き込んだゴブリンの口の中から、何かがぽろりと零れ出る。
「あ…」
「あれは!」
 闇の石版。
 どうやら、野良のゴブリンが砕け散った闇の石版を飲み込んで、巨大化していたらしい。
 だが、ウェイの作り出した風は、想像を絶する強度で、ゴブリンごと吐き出された石版を持ち上げてしまい、彼女たちには手は出せない。
「わたくしには、無理ですわね、ウェイさん、何とかなりませんの?」
「何とかって…発動中の術に干渉するなんて…」
 下手をすれば、暴発しかねない。
 舞い上がっていく欠片をただ見送るしかない二人の背後に、ふっとけはいが現れた。
「………?」
 同時に振り返る女たち。
 その視線の先には、やつれた風貌をした、金髪の男がいた。
 折からの騒ぎで、目覚めたのだろうか。
「あなた…」
 ジュレスが言葉をかける前に、彼は動いた。
 青空に手をかざし、じっと意識を集中する。
「………」
 二人が見守る中で、彼はなおも空に向かって気を注ぎ続けた。
 その間にも、ゴブリンは石版と一緒に空高く飛んでいく。
 やがて。
「あ…」
 呟いたのは、ウェイだったか、ジュレスだったか。
 空の一部が、突然水の糸を引き、たわむように魔物に――否、くるくると風に弄ばれる石版に向かって伸ばされていく。
 縄を手元で操るように、青年が手を翻すと、くん、と引っ張られるように水の糸につながった石版は彼女たちの下に吸い寄せられていった。
 ちょっと手を伸ばせば届くところまで自然に吸い寄せられてから、ふっと制御を失ったように地に落ちる。
「ふん…」
 軽く目を伏せた青年に、二人は石版を放っておいて、思わず詰め寄る。
「あなた…!」
「あなた、まさか…!!」
「『水』の属性継承者」
 短く答えた青年は、ふと決まり悪そうに目をそらせる。
「ずいぶんと世話になったようだな」
「目が覚めたようでよかったですわ」
「けど、偶然ね。私も、『四属性』なのよねー。『風』の」
 ウェイは肩を竦めて、やっと石版を拾う。
 ゴブリンを撤去して拍手喝采の町の人々に、適当に言葉を返しながら、
「あら、じゃあ、ここに三人そろっているんですのね」
 ジュレスがさりげなくさらりと言った。
「わたくしは、『土』ですわ」
 『地』『水』『火』『風』の属性を司る四属性継承者。
 他の『属性』から一線を画する高位属性の、存在が確認されている最強の属性だ。
 その属性に対しては、完全に『属性継承者』は一人、と言われている。
「すごいですわね。ここに、四属性のうち、三属性の継承者がそろっているなんて」
「…まあ、ここまで来ると、最後の一人が気になるわねえ」
「知ってますわよ、わたくし。四属性継承者の、最後の一人」
 ウェイが呟いた言葉に、ジュレスはさらりと答えた。
「え?」
「…」
 これには、彼女だけでなく、青年も反応する。
 二人の視線の先で、ジュレスはくすくすと笑った。
「お二人とも、もう会っているんではなくって?」
「………」
 くすくすとなおも笑いながら、ジュレスは、再び過去に思いを馳せていた。
 彼女が出会った頃の、残り一人の四属性継承者は、あの時は、本当に頼りなく見えた。


――二年前 小さな町 外れ



「まったく…とんだ『仕事』でしたわ」
 ふう、と息をついて、ジュレスは首を回した。
 その仕種ですら、人を惹きつける魅惑的な所作だ。だが、そこは町の外れ、そんな姿を目撃できる幸運な人間は傍に一人も居ない。
 ――と。
「ったく…あの蒼い髪の女は見つからねーのか!」
 いらいらとしただみ声がすぐ傍の物陰からして、ジュレスは思わず足を止めた。
(この声…)
確か、今回の『仕事』――ちょっとした盗みだが――のお相手の、盗賊団のお頭の声。
「まったく…あの女はとっ捕まえて身体に礼儀ってモンを教え込んでやらねーと気が済まねえ!」
(それは、ご愁傷様ですわ〜)
 ジュレスは、口の端で冷笑する。
 あなたがたみたいなゴリラには、触れさせることもお断りですわよ。
 そのまま、歩き去ろうとしたとき。
「仕方ねえ…、先に、紫の目の娘を連れて行くか」
「おう!」
(――え?) 
どきり、と胸が高鳴った。
 紫の目の娘。
 不安そうに息を切らせて、こちらを見上げていた娘の顔が蘇る。
 ――まさか。
「しっかし、良くみりゃきれいな顔してるじゃねーか。この目の色は珍しいし…高くうれらーな」
「ははっ…違いねえ…」
 盗賊たちは、なにやら話し込んでいる。一方で、ジュレスの動悸は激しくなっていくばかりだ。
(まったく…あれほど、気をつけろ、と…!!)
 今、危険を冒して彼女を助けに行くべきか。
 ぎゅっと握った拳は、しかし、がやがやと人間が立ち上がる物音に、はっと握りなおされた。
 慌てて物陰に身をひそめる。
 そのすぐに傍を、荒々しい足音が通り過ぎていった。
 物陰の隙間から、ちらりと見えた『もの』。
 男の一人に担がれ、栗色の髪を振り乱して、ぐったりとしたあの姿は。
(やっぱり)
 息をひそめて、足音をやり過ごした後、のろのろと物陰から出てくると、ジュレスは重いため息を一つ吐いた。
「とりあえず――放っとくわけにもいきませんわよねえ…」
 さて、あいつらのあじとは…
 いいかけた唇が、不自然に止まる。
「――堕天使の聖堂」
 まあ、何が嬉しくてあんなところに、と再びため息をついて、彼女はたっと走り始めた。


「ううっ…ティナー」
 クルスは、髪の先までうなだれて、しょんぼりと呟いた。
 町中を探してまわったが、彼女はいない。
 狭い町だ。すぐに探すところは尽きて、彼はとぼとぼとうなだれながら歩いていた。
 彼女は、最初からどこか冷たかった。
 クルスが嫌いだったのかも知れない。
「………」
(おれ、きらわれてた…?)
 クルスは、とても真剣に考えた。
 食べ物以外のことで、彼がこれほどまでに真剣に考えたのは、これが初めてだったかも知れない。
 クルスはとても一生懸命考えた。
 そして、思った。
 ひょっとしたら、彼女は最初の場所に戻ったのかも知れない。
「そうだ! きっと、そうだよ!」
 ぱっとクルスは顔を上げた。
 そうだ、きっと、そう。
 彼女はあまりクルスに対していい感じではなかったけれど、クルスは純粋に彼女が心配だった。
 ――不安そうな顔。
 ほんとうに、すぐに会えるといいのだけど。
「………」
 きゅっと手を握って、クルスはたっと駆け出した。

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