Lost Words
    神は始め、天地を創造された。「光あれ。」――こうして、光があった。
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
  第五章 すれ違う二人 
* * *
――二年前 小さな町付近



 視界が揺れている。
 地面が、揺れている。
「っ………」
 彼女は、手放しそうになってしまう意識を、どうにか繋ぎとめようと必死になっていた。
 彼女を連れ出した蒼い髪の女と別れてから、いきなり現れた大男に口を塞がれ、そして意識を失ってしまった。
 次に気が着いた時には、再び男に担ぎ上げられ運ばれていく最中だった。
 手足を縛られているらしく、そこが痺れたように痛い。
 何かかまされているようで、声も出なかった。
 男が歩くたびに腹部を圧迫されるような体制で、ぐらぐらと揺さぶられ、気分の悪さは最悪を超えようとしていた。
(もう…ダメ………)
 ふっと、目を閉じて、彼女は意識を失っていた。


(………)
 うっすらと、光が差し込む。
 ゆらゆらと振れている視界。
 像がぼやけていて、目の前に何がいるのか、分からない。
 だが、『何か』いる。
 赤い、赤い輪郭が、鮮やかに目を薙ぐ。
(何…?)
 なに、ゆらゆらと揺れている、あの赤い、モノは。
(なに…?)
 ゆらゆらと、視界が揺れる。
 ふわふわと、意識が揺れる。
 鼻孔を微かにくすぐる、鉄臭い匂い。
 この匂いは、血。
 ――血?
(だれの…!?)
 はっと意識を取り結ぶ。
 その彼女の眼前に、ぐったりと身体を何かに刺し貫かれた、見覚えある少年の像が、残酷に映っていた。


「!!!」
 彼女は、目を見開く。
 どくんどくんと、心臓が波打っていた。
 自身を蝕む気分の悪さも及ばない――深い…そして、暗い、予感。
(な、何…今の)
 夢?
 それにしては、あまりに――
「っ…」
 その時。
(…そういえば)
 彼女を担ぐ男の歩みが止まっている。
 どのくらい気を失っていたか分からないので、そんなにも歩いてきたとは実感できなかったが。
(つ…着いたの…?)
 しかし、何か様子がおかしい。
 何か――そう、緊迫した空気が、どことなく漂っていた。
 何が起こっている。
 そう、思ったとき、彼女の身体がいきなり宙に放り出され、どさりと地面に叩きつけられる。
「っ!!」
 とっさのことで、まともに叩きつけられ、彼女は身体を走った衝撃と息が詰まりそうな痛みに、歯を食いしばった。
 しばらく動けないままにかろうじて顔を上げると、そこには、――地獄が広がっていた。
 一面、赤い、海。
 そして、その『海』に断末魔の表情を張り付かせて、浮かんでいるは――
(盗賊…たち……?)
 それを映し込んだ瞳が、限界まで、見開かれる。
(――な…)
 何が、起こった…?
「う、うわぁ…うわぁぁあああああ!!」
 すぐそばで、情けない悲鳴が上がる。
 彼女を担いでいたらしい男が、尻もちをついて後じさっていく。
 涙と鼻水にまみれた恐怖に染まりぬいた顔が、何かにおびえていた。
「…」
 彼女は、その視線を追う。
 おそるおそる。
 視線を移した先に、人型をした『何か』がいた。
 『何か』――そうとしか、形容できなかった。
 その『何か』がさらりと手を振ると、悲鳴を上げて、男の身体の一部がはじけ飛んだ。
 それは、ウソのようにくるくると宙を舞い、彼女の目の前に落ちた。
 地面をはねて、再び沈む。
 同時に、耳をつんざく男の悲鳴。
 そして、赤い血の、生臭い死の匂い。
 頭をなにか鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
 見開いた瞳を『それ』から逸らすことができない。
 震える身体は、別の人のものになってしまったようだった。
 その耳が、かろうじて、音を拾う。
「まったく…私が眠っているときならば見逃してやったものを――。さすがに、鼻先を素通りされると腹が立つものだな」
 透き通った、男の声。
 こんなひどいことをしたような『人間』には、まるで思えないような――。
「娘。お前は彼らに連れてこられたのか。ん…その瞳の色は…――」
(あ、あなたは、誰…!?)
 口が利けないために、胸中で必死に問いかけた疑問には、驚くことに答えがあった。
「私は、この聖なる呪地の番人だ。娘。この者たちに連れてこられたか? まあ、悪いが私の矜持に関わることでな。この地に踏み入ったもの、そして私の目に触れたもの、契約によりて許しを与えたもの以外は、何人たりとも、逃すわけには行かぬ」
 まるで、彼女の胸中を汲み取って、それに答えてくれたかのような――。
 しかし、それを確かめる猶予はなかった。
 さらりと手を上げた『彼』が、無情にそれを振り上げ、振り下ろした。
 それは、死の宣告だった。
 あの男たちと同じく。
「あ…」
 手足を縛られているため、逃げることもできない。
 ただ目を見開いてそれを受け入れる彼女の視界の端で、ぱっと赤い鮮血が、舞った。
「あ…」
 彼女は、さらに大きく目を見開く。
 紫の瞳の中に、――彼女の身代わりに――彼女を庇うようにすんでのところで身を躍らせてきた、少年の串刺しにされた姿が、残酷なほど克明に、映っていた。


――現在 海賊船船内



「そ、それで、クルスさんは死んでしまったんですか!?」
 今のくだりを聞いて、驚きのアベルに、
「…生きてるじゃん」
「ひどいなあ、オレ、生きてるよう」
 ティナとクルスは半眼で突っ込む。
「あ、確かに生きてますねー」
 アベルはぽんと手を打った。
 どこまで本気なのだろうか。
 きっとどこまでも本気なのだろう。
 ため息をついたティナに、アルフェリアが話しかける。
「しかし、何たっていきなりそんな展開になるんだよ」
「ふえ?」
「だから、何でいきなりあんたを連れ去ろうとしていたやつらが、何かわけわかんねーものに、殺されなきゃシーいけねーんだ?」
「あー、それね」
 ティナはパタパタと手を振る。
 あたしも、後で全部わかったことなんだけどね、と前置きしてから。
「あいつら、堕天使の聖堂に入り込んで、そこでうっかりそこの番人に見つかっちゃったらしいのよねー」
 ルーラ国堕天使の聖堂は、第一大陸中央部の位置するミルガウスと、南部に広がるルーラ国との間に位置する、交通の要所だ。
 ここを迂回すると、物資をやりとりするのに、大変手間と時間がかかってしまう。
 だが、堕天使の聖堂には、先にもいったように、その地の番人が存在する。
 番人に見つかれば容赦なく、死、だ。
 そこで、ミルガウスとルーラは、その地の番人に対して、ある契約を交わした。
 国が発行する特殊な呪を与えられた商人たちには、決して手は出さないことを。
 これは、聖地を迂回する手間ひまが掛からなくて済む、というだけではなく、呪を持っていない盗賊たちなどから安全に荷を守ることができるという点で、とても商人たちに受けがよかった。
 ただ、盗賊の側からすれば、他の盗賊との競争が少なくて済む地域なので、思い切ったバクチをうつような輩もいる。
 堕天使の聖堂のぎりぎりで、商人たちを待ち構えて、そこを狙い撃ちするのだ。
 ただこれは、『ぎりぎり』聖地の番人に見つかると、問答無用であの世に送られてしまうので、かなり運に作用されることではあるが…。
「あたしを連れてた盗賊たちも、多分ぎりぎりのところで見つかっちゃったんでしょ。で、ついでにあたしも殺されそうになったとこを、クルスが助けてくれたってわけ」
「そうそう。びっくりしたよー。ティナと会った場所に戻ろうとしてたら、ちょうど見つけてさー」
「てか、あんたも、もっと自分の身を守るよーな感じで飛び込んで来られなかったわけ〜?」
「ムチャいわないでよ! ティナー」
 ぷうと頬を膨らませたクルスは、手のお菓子を頬張りながら、
「オレ、一生懸命だったんだよー」
「うん、それは分かるんだけど」
「それで、ティナさん、それからどうやって、クルスさんは生き返ったんですか!?」
 続きを聞きたそうなアベルの指摘に、
「あー、えっと…」
 ティナは口ごもる。
 クルスがにゃははと笑いながら、あっさりと暴露する。
「うん、ティナはこっからヒョーヘンしたんだー。すごかったよっ」
「ひ、」
「豹変………」
 全員の目が、恐る恐るティナに集中する。
「豹変て…そんな、別に…」
 もごもごと口の中で言ってから、彼女はため息混じりに続きを口にした。

* * *
 | Back | 目次 | Next | HOME | 
Base template by WEB MAGIC.   Copyright(c)2005-2015 奇術師の食卓 紫苑怜 All rights reserved.