――二年前 堕天使の聖堂付近
男たちを追って、いくばくか。
ジュレスは物陰にひそんで、息を詰めて成り行きを見守るしかなかった。
盗賊たちの前に現れた、堕天使の聖堂の番人。
そして、惨殺されていく男たち。
その番人の手が、少女に下されようとしたとき、彼女は動くことができなかった。
――動けなかった。
圧倒的な存在感。
圧倒的な、その力。
――殺される。
手を出したら、それこそ一瞬で殺される。
そう、見ているしかなかった彼女の横を、一筋の風が駆け抜けていく。
(…あ)
と思ったときには、全てが起こっていた。
振り上げられた手。
振り下ろされた手。
すんでのところで割りこんだ小柄な身体が、番人の攻撃を受け、串刺しになったまま宙吊りになっていた。
「な…」
ジュレスは、息を呑む。
目の前の光景をただ受け入れていくことしかできなかった。
あえぐしか、できない。
その彼女の顔を、不意に生暖かい風が吹き付けていった。
「…?」
次の瞬間、暴発した莫大な魔力が、力場を捻じ曲げて大気を、激震させた。
■
「あ………」
彼女は、目を見開いた。
宙吊りの身体。
したたる赤い雫。
ぐったりとした少年。
鼻をくすぐる、生臭い血の匂い。
「っ…」
ぴくりとかろうじて動いた顔が、ゆるゆるとこちらを振り向いた。
振り向いて――そして、笑った。
大丈夫? と。
「あ…」
彼女は、ただあえいだ。
どうしようもないくらい、心臓が波打っていた。
どうして、彼が?
わたしを、かばって?
早く、止血しないと…!
死んでしまう。
このままでは…
(死…)
その言葉が、彼女を刺し貫いた瞬間、彼女の周囲で、全ての音が、止まった。
どくん、と心臓が次の一音を奏でる。
どくん、どくん、と。
――黒き竜が…神殿にも…!!
――早くお逃げください、巫女様…!!
――どうして、私は、護れな…!!
――危ない、ティナ!!
――いやぁあああああああ!!
――どうして…どうして、助けてくれなかった!!! どうして…!!
――今は時ではない。
――いずれくる。
――その時が来れば………
「あ…」
ずきずきと、頭が痛む。
交差する、いくつかの場面。
むせかえる炎と血の匂いとともに。
それは、彼女の『失われた』時の、断片だったのか。
意味を成さない記憶の欠片が、彼女の目の前を過ぎ去っていった。
ただ一つ。
そこにある、圧倒的な『死』を予感させて。
(――死んでしまう?)
目の前の、少年も?
それは、想像を絶するような強さで、彼女を打ちのめした。
彼女は、拳を握り締めた。
胸中にわだかまる、何か。
自分の中に眠る、何か。
――死なせない。
絶対に、死なせない!!
「命の灯よりもなお赫く」
ゆらりと。
立ち上がった彼女が呪を唱え始めた刹那、力場が捻じ曲がるように、変容した。
■
――現在 アレントゥム自由市
「…そういえば、この石版どうすればいいんでしょうね」
ひょいっと欠片を拾って、ジュレスは他の二人に語りかける。
「さあ…ミルガウスに持っていけば、大層な額のお金と交換してもらえるって聞くけど…」
「では、そちらに行ってみます?」
ウェイに答えて、彼女がそう提案すると、
「では、オレはここで降りさせてもらう」
青年は、あっさりそう言って、彼女たちに背を向けた。
女たちは、え、と慌てて追いかける。
「ちょっとちょっと!」
「待ってくださいな」
「ふん…悪いが、オレには個人的な恨みを持った奴がいるんでな。そいつに復讐してやらねば…オレの気が治まら…」
「そうではなくって」
渋く語る彼を遮って、ジュレスはぴっと指を立てた。
扇情的な仕種で唇に当てて、下から覗き込むように青年へ微笑む。
「あなた、大事なことを忘れているんじゃなくって?」
「何?」
「そうね」
「…」
彼女たちが言わんとしたことを本能的に悟ったか、青年はあからさまに眉をひそめる。
構わず、ジュレスは先を続けた。
「あなたが意識を失っていた間の治療代、誰が立て替えたと思っているんですの?」
「まさか、踏み倒す気じゃないでしょうね」
ウェイがすかさず援護射撃をして、何か言おうとしたダグラスの口を封じた。
「…何が言いたい」
むっとした顔の青年。
彼に向かって、二人は顔を見合わせると、にっこりと微笑んだ。
「そうですわね。このまましばらくわたくしたちと一緒に行動してもらうというのは」
「あなた、意外と戦力にりそうだしねえ」
くすくすと笑みを向けられて、青年は忌々しげに舌打ちした。
だが、結局、彼女たちの言う通りになる。
「そういえば、ジュレス。あの話の続きは?」
「ああ」
ウェイに問われて軽く微笑むと、彼女はにっこりと微笑んだ。
「そうですわね…」
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